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言葉

私の友達に言葉をとても大切にしている女性がいる。彼女からときどき手紙が届くのだが、そこに書かれた言葉が、その人にとても大切にされていることが文面から伝わってくる。言葉を大切にする人が好きである。それは、裏返せば自分があまり言葉を大切にしてこなかったことの反省でもある。

幼い頃から詩を読むのが好きで、同居する姉や兄たちに本を借りた。小学生が読む月刊誌には冒頭に短い詩篇が載っていて、声を出して読んだりもしていた。小学校の教科書にも詩があったし中高時代もその年齢に合うであろう詩があった。それらの詩をときには斜め読みしながらも結果として結構な影響を受けていたことに今になって気づく。

大学生になってからは現代詩人文庫を買いまくった。明治大正の詩人ではなく、昭和の、戦後の詩人たちの代表作がまとめられた文庫は、新刊書でも古本でも安く入手できたので、見つければ求めた。今も本棚に並んでいる。その本の中では実にさまざまな言葉たちがいて、歌っているし、踊っているし、俯いているし、寝転んでいた。

自分で詩を書くことも試みた。京都の大学生が集まって作る同人誌にも参加して合評会というよくワカラナイ集まりに出かけた。深刻そうな顔をして詩の内実を語り、時にバカ笑いをしたり、ケンカごしになったりしながら最後は酒の酔い負けて、会自体はぐちゃぐちゃに終わる。そんなことを19歳頃までやっていたが、どうせなら書いた言葉を声を出してしまえばいいのだと思い、芝居をすればいいのだと思った。

だが、戯曲と詩はあきらかに違うのである。映画のシナリオでも舞台の戯曲でもト書きが必要だ。このト書きが好きな作家もいるがおれはあまり好きではないというか得意ではなかったので、邪魔くさくって仕方がなかった。それに、おれには自分の中に物語がない。書く動機が希薄なのだろう。小説が書けないのは、才能がないのが第一だけど、こういう現実的で不可思議なストーリーがあるといことを問いたいと思う気持ちがない。詩や俳句がいいのかもしれない。親父も素人俳人だったもの関係あるのかも。

田村隆一さんに「僕らは、生まれてから日本語を習ったんじゃない。日本語の中で生まれてしまったのだ」という言葉があると、石垣りんさんの随筆のなかで知った。おれも、習って日本語を使っている感覚はなくて、まさにそこに生まれてしまったという感が強い。成長していくうちに覚えた日本の言葉。その言葉を大切にしている人は素敵だと思う。

音痴とはあまり最近言わないのだろうか。耳が悪いから音痴なんです、という人に会ったことがある。言葉が貧しい人というのもいる。やはり耳が悪いのか、あるいは記憶力が弱いのか、それとも単に言葉に興味がないのか。言葉が苦手。言痴。だけど、絶対音感がある人も知っているけどその人が必ずしも音楽的才能があって、歌がうまいというわけでもない。ただ単に絶対音感があるだけでそういう才覚があるということだけだ。それでいいやんか。






# by kazeyashiki | 2024-03-17 21:19 | 言葉 | Comments(0)

平常心

おれにはどうも軽い躁鬱があるようで、ラジオ台本を書く時期が重なるとずっと引き籠もって書かなければいけないので、鬱状態になる。


そして、書きあがると今度は自分がマイクの前で喋ることになり、ゲストとの電話でのやり取りやなんやかやで、今度は躁状態になる。


躁のときは頭の中に詰まったものを解放してしまうせいか、あさはかな考えでモノを言ったり行動をしたりしてあまりいい目に遭わない。


そういう躁のときに酒など飲んでしまうとありもしない妄想を語り、自分の憶え間違いに躍起になり空しい賭け事をして負けてしまう。


今日あたりからまた録音の時期が続くので躁状態が継続されることになるが、酒を飲みに行くことには充分に注意しなければならない。


とはいえ、さこ大介さんのバンドが来阪するから飲むことにはなるのだが、しっかりとライブを聴いて気持ちを解放させるようにしよう。


平常心……なかなか難しい。



# by kazeyashiki | 2024-03-17 08:58 | 暮らし | Comments(0)

ダリダとアラン・ドロンの歌
♪~パローレ、パローレ、パローレ~
言葉、言葉、蓮っ葉なことば!

カフェや街角でそんなパローレを聴く
すごく平静な差し向かいの席で
女性から男性へのひと言
「ねえ、どうしてくれるのよ」
険しい目つきでもない、純情なたたずまい
だけど言葉は剛速球

こういうことばを投げかけられたらね
空の話とかみどり色の湖の話はできないね

「ねえ、わたしのこと、ちゃんと見てる?」
「見てるよ」
「そうは思えない」
「そうかな」

そんなセリフを芝居で書いたことがあって、
女優達から、
「そないな言い方、しませんで女は」
と言われたことがある
でも、言う人っているような気がする
違うのかな

言葉ではなんともならない
なんて言えない



# by kazeyashiki | 2024-03-14 22:53 | 言葉 | Comments(0)

日々淡々と

ここ数ヶ月かけて書いてきた某氏の自叙伝がまもなく仕上がる。
2019年頃にこの某氏の自叙伝は文庫本三冊で刊行しているのだが、
今回はその続編、つまり第4巻目ということになる。

信頼してもらっているのか、一年以上前から依頼されていた。
ただ、内容的にかなりハードであるし、おれ向きの内容ではない、
そんなふうに思っていたので固辞してきた経緯があった。
つまり、裁判や選挙などおれには書けない世界の話が多かったのだ。
しかし、結果的には根負けしてしまったというべきか。

おれよりちょうど10歳年上の方であることも含め、請け負った。
そして、書けば何とか書き進めることが出来て、仕上がり直前である。
400字詰め原稿用紙で200枚程度になる。
月2回直接会って話を聞き、その上で原稿を書く。
それをチェックしてもらってさらに修正していく。
これをここ数カ月間、くりかえしてきたわけだ。

以前に刊行した三冊の自叙伝に登場する人物のうち数名がこの世にいない。
ここ3~4年のことである。そのことも新しい巻に書いた。

5月頃には書籍となる。


この春からラジオ番組がまた2本増えることになり、忙しくなる。
新しい番組はそれはそれで面白いのだがもちろん手間もかかる。
1本は若い女性がパーソナリティの番組で、
彼女が挙げてきた歌の半分は知らないミュージシャンだ。
それらを聴いていると、それなりの良さに気づくことがある。

ラジオ番組は、京都、大阪、神戸の三都市でかかわる。
京都に行き、神戸にも出向く。
いつのまにか構成作家ではなくディレクターになっている。
機械操作などはダメだと言っているし、編集もしないよ。
ジングルも作らないけど、たまに出演するくらいはアリ。
そんな感じで67歳の今を送っている。


農業雑誌の編集者も定年の時期が来ているようで、
果実系雑誌の担当者がこの三月で引退する。
実は彼とは顔を合したことが一度もない。
メールと電話だけで事が済む時代だからね。
もう一誌の担当者もまもなくかもしれない。
彼女とは何度か顔合わせをしている。
旦那がおれと同い年と言っていた。
すでに仕事をしていないのだろうか。

さて、この農業関係の仕事もいつまで継続することやら。


この週末と週明けは、とにかくラジオ台本製造期である。
今日までに4本仕上げ、明日4本、週明けに4本で、
さらに新番組が3本+3本を木曜日あたりまでに仕上げる。



もう、淡々とやっていくしかない日常である。


# by kazeyashiki | 2024-03-09 22:24 | 暮らし | Comments(0)

森ノ宮には何があった?

3月2日の土曜日、大阪歴史博物館で「森ノ宮には何があった?」という講演会があり、近所の者としては気になるので、予約申し込みをして参加してきた。博物館の四階の講堂には多くの人々が詰めかけていて満席状態であった。費用は2000円ながら、これだけ多くの人が参加したのかとちょっと驚いた。後ろの方の席に座ったのだが、見渡すと見事に白髪と禿げ頭の高齢者ばかり。夫婦連れもいたが、単独老人が圧倒的に多い。おれもその一員であろう。

正式には「博学連携講演会」と銘打たれていて、大阪公立大学、大阪市博物館機構、大阪市文化財協会の博物連携事業の一環である。「森ノ宮には何があった?—大阪の「ヒガシ」の歴史をさぐる―」8人の先生方が登場して持ち時間40分程度の講演をするのである。なかなかの迫力である。

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★大阪平野地下の地層構成と上町台地 
  大阪公立大学・大学院理学研究科教授 都市科学・防災研究センター 三田村宗樹氏
★自然と共生した縄文・弥生時代の森の宮遺跡の人々
  大阪市文化財協会学芸員 大庭重信氏
★難波宮を東に降るー上町台地東辺の歴史的環境ー
  大阪歴史博物館学芸員 李陽浩氏
★戦国時代の森村と木村(このむら)
  大阪公立大学大学院文学研究科教授 仁木宏氏
★大坂城惣構東南部の姿
  元大阪城天守閣館長 松尾信裕氏
★絵図・絵画にみる江戸時代の森ノ宮-武家の地と都市民の行楽地ー
  大阪歴史博物館館長 大澤研一氏
★砲兵工廠の建設と生産
  武庫川女子大学名誉教授 三宅宏司氏
★国鉄・地下鉄森ノ宮駅の開業と周辺開発
  大阪公立大学都市科学・防災研究センター特任講師 櫻田和也氏

というラインナップなのだが、昼休憩(おれは自宅まで食べに帰った)を挟んで、午前10時から午後5時前までの、まさに連続する講演会なのであった。

いやはや勉強になりました。古代から中世、近世、近現代まで時間にして約2500~5000年くらいの流れのなか、森ノ宮はどう変化してきたのかを地学、歴史学、文化史、都市論などから見る。とりわけ興味深かったのは、仁木教授の「戦国時代の森村と木村」で、天王寺領木村住人七郎男らが、港の利用料・通行料を兵庫津で取ると大山崎神人に言い、荏胡麻を押し取ってしまうという話がある。何の話かわからないだろう。京都府乙訓の大山崎の者は、対岸にある石清水八幡宮に仕える神人の住まい地で、そこで「荏胡麻油」の独占販売権を持っていた。荏胡麻油は照明用の油である。独占販売をしていることを知った天王寺領木村住人七郎男らが、兵庫津あたりを通行しようとした大山崎神人にイヤガラセをしたという記録があるのだ。木村は、このむらと読み、天王寺界隈にあった地名だとか。

そして、森村とは森ノ宮の西側一帯で、大坂寺内、大坂城から出て暗峠越え奈良街道に至る道に接するあたり。天王寺の木村(このむら)から北上し、上町台地東縁辺部を北上する道に接する?ということらしいのだが、ここに荘園があったのかもしれない。志宜庄という地名があり、これは「鴫」で、現在の鴫野のあたりになるのか。ここは荘園で、京都の相国寺鹿苑院の荘園だったといわれている。

これらは戦国時代の話である。

また、砲兵工廠の建設と生産の話も面白かった。武庫川女子大学名誉教授である三宅宏司氏の話のなかで、アメリカの空爆した際、終戦近くの時期は高度を下げて爆撃をしていて、目標を外すことはなかったのに、京橋駅を爆撃し多くの被害者を出した。終戦の前日、8月14日のことである。1万メートル上空から一屯爆弾を投下していたのなら外れるだろうが、終戦前のこの時期は、戦闘機のパイロットと目が合うくらい低空飛行で、大阪砲兵工廠を狙い撃つことは問題ないのだが、あえて人が大勢行き交う国鉄片町線京橋駅の建物に爆弾を投下した。また、三宅先生は大阪城公園内に残るレンガ造りの建物、「化学分析場」と「守衛室」「水門」などは是非とも残すべきだと力説された。特に「守衛室」は全国的にみても、最も古いレンガ造建築物だそうだ。

テキストを読み返しながら、再学に勤しもう。


# by kazeyashiki | 2024-03-07 12:53 | 大坂と大阪 | Comments(0)

日日是好日

by 上野卓彦