ときどき見る芝居の夢   

時々、芝居の夢を見る。

今回の公演場所は異国、おそらくシンガポールに近い観光都市で、出し物は、これまで日本で公演してきた演目。ゆえにセットの組み立てとか照明、音響装置の配置などに時間をかけて、舞台稽古は少しだけしかやっていない。

まもなく開場ということになり、今回は出演していない銀昆のメンバーたちが見に来るのを迎えている。遠い距離をやって来るのだから感謝の気持ちもある。田島君は裏方で、走り回っている。ぼくは出演する役者~日本人が少なく、現地の人たちが多い~に最終的な確認などをおこなっている。

劇場は大きな倉庫のようなところで、100人以上入るようだ。「こんなに広くて大丈夫かな」と感じている。照明音響オペ室に行くと絵所さんが仕切っていて、 何も問題はないと安心する。また、劇場への入口にはいくつかの屋台が出ていて、現地の辛そうな料理や飲み物などを販売している。すべて現地人で、ぼくと目が合うと笑う。焦る気持ちが和む

いよいよ開場となってお客さんが入って来る。和田君が仕切っている。「あまり多くないですよお客さん」などと言いながら、あっちゃんと共に動き回っている。彼らは出演はしないし、数時間前に現地に到着したばかりで、手伝ってくれている。ガムランのような音楽が遠くからずっと流れていて、本当にここは日本から遠くはなれた場所なのだと感じている。客の入りは7~8割だろうか。知った顔がちらほらいる。みんな観光でこの場所に来て、そのついでに公演を見に来てくれたのだ。

いよいよ開演となり、暗転 する。ひとりの青年がスポットライトに浮かび上がり、ゆっくりとした踊りを舞う。やはり鳴っている音楽は東南アジア風のもので、ぼく自身初めて聞く音楽だが、違和感を抱いていない。もしかしたらぼくは知己の劇団公演の手伝いをしているだけなのかもしれない。だが、山崎ヒデキ作曲の唄が流れ出すと、そこは西部講堂に豹変する。長い花道を傘を差した女が歩いて出て来る。下駄の音がし、浴衣姿だ。光が強くなるとそれが信美ちゃんだと判明する。セリフは聞き取れない。ぼくは段取りをするために暗幕で仕切られた細い通路を通り抜けつつある。観客がざわめく。何が起こっているのか分からないが、暗闇のなかでおそらくダニーだと思うのだが、「ウケましたね」と剽軽な声を出す。裏で、銀色の大 きな皿を何枚も用意し、その上に料理のようなものを載せる準備をしていると、劇団や芝居とは全然関係のない、最近知り合いになった男が「大変ですね」と手伝ってくれる。

やがて終演。

終わった劇場で食事会が開かれる。大きなテーブルが並び、大勢の観客がそのまま残っている。アジア産の缶ビールが並べられ、大皿料理が盛りつけられていて、いったいいつの間にこんな準備ができたのだろうとふしぎな気持ちになっている。ふと横を見ると長江君が座っていて、「ビール?」と聞くと、長江君は「ぼくは最初から焼酎を飲みます」と答えた。

いざ乾杯となる前に、ぼくは誰かに呼び出されて雑誌の取材を受ける。日本人もいるが、異国人もいて、通訳があれこれと聞いてくるのだが、芝居と関係のない話が 多くて、笑うしかないので笑っている。気がついて劇場に戻ると、打ち上げはすでに終わっていて、バラシの最中。観客も役者もすでにいなくて、ぼくも次の場所へ移動する時間が迫ってきている。なんだなんだ、時間の経過が早すぎではないか!と夢の中で自分の夢に文句を言っている。つまりこれが夢であると自覚しているのだ。だが、そのまま便乗というか、続きを見てやろうと意識を戻す。

仲間はどこにいるのか?と見渡すと、田島君はバラシを続けていて、顔を合わすと「次の場所への移動はクルマか飛行機ですぜ」などと教えてくれる。長江君と信美ちゃんはもう帰ったという。すると電話が鳴り、和田君からだ。今、近くにいるのだが、このまま夫婦でヨーロッパ方面へ遊びに行くという。「それはい いね」と答えた。劇場の周囲を所在なく歩いていると日本人観光客が多く、地下鉄で移動しようと地下入口を進むと、そこは地下鉄ではなく地下劇場で、ぼくはまたここで芝居をするのだと妙に納得してしまう。

そこで目が覚めた。

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# by kazeyashiki | 2017-10-05 14:03 | 記憶 | Comments(0)

昔の「詩に関する」事件簿   

図書館で、昭和31年11月の毎日新聞を読んでいたら、面白い記事を見つけた。

そのまま写す。


(大見出し)「寿屋の広告」問題に 

(サブタイトル)朔太郎の詩を無断で使う 

(本文)「昭和十七年に故人となった詩人萩原朔太郎の詩「旅上」を洋酒の寿屋=本社大阪北区堂島浜通二丁目=が遺族に無断でトリスウイスキーの広告文に使ったということで、十五日故萩原氏の長女、国学院大学文学部四年生萩原葉子さん=世田谷区世田谷二の○○○○=が日本著作権協議会=千代田区日比谷公園内=に提訴した。

問題の“旅上”は、

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん

という書出しからの四節である。寿屋では三節目の「せめては新しき背広をきて」を「せめてはトリスなど持ちて」とあらため新聞広告に使ったものである。(後略)」


もしかして、この時代なら開高健さんや山口瞳さんが寿屋(現サントリー)の広告部にいて、コピーライトを量産していた時代ではないのだろうか。開高さんの方が先輩で、山口さんはちょっと後の時期だったように思う。


いずれにしても、大学生だった長女の葉子さんが抗議し、寿屋はすぐさま非を認めたというのが顛末だが、どうも和解したとは思えない。著作権協議会の仲介によって事態は収まったのだろうか?葉子さんのコメントはこのようなものだ。


(見出し)詩の精神が損なわれた 

萩原葉子さんの話「著作権の侵害という問題よりも父の詩の精神があんなふうにそこなわれたということが不愉快です。寿屋で五万円持ってあやまりにきましたが、お返ししました。」


寿屋常務平井鮮一氏の話「まったくこちらの手落ちで遺族の方に申しわけありません。誠意をもって解決をはかりたい。」


この記事のなかでの驚きの第一は、萩原葉子さんが国学院大学の四年生という点である。当時の年齢は、1920年生まれだから36歳くらいであろうか。すでに長男の朔美さんは10歳のはず。


萩原葉子さんの小説 『蕁麻の家』『閉ざされた庭』『輪廻の暦』の三部作が好きで、2005年に84歳で亡くなられたときは、前年に亡くした私の父親と同じくらいショックを受けた。


記事には驚くべきこと第二点目は、萩原さんの住所が明記されている点だ(本文では○にしました)。当時はこれが普通だったのだろうか。犯罪者でもなく、むしろ被害者である人物の住所が堂々と書かれているというのは、個人情報保護がコテコテに塗り固められている現代から見れば驚きである。


さらに、細かい点として寿屋常務のコメントで「手落ち」という言葉が使われているが、現代において、会話では時折出てくるが、文章にこの言葉が出てくることはない。別段、差別を助長する言葉だと思えないが、新聞記事に使われなかったり、役所などの文書、口頭でも、人間身体の部位を比喩にしたり、形容したりすることはない。


葉子さんが「寿屋で五万円持ってあやまりにきましたが、お返ししました。」というコメントの「寿屋で」と「で」を使っているあたりが、リアリティのある文章(写実的)だし、「五万円持って」と金額が語られているのもなぜか新鮮だ。今の新聞では決してこうは書かない。



別の用件で図書館に出掛けたのだが、古い新聞を見るのは習慣になってしまっている。調べものより、新聞を眺めている方が時間が長かったりする。


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# by kazeyashiki | 2017-09-25 22:46 | 世界 | Comments(0)

夢の記録   

丘の上にある療養所のような七階建ての大きな建物にぼくはいて、そこには多くの治療を受ける人達もいるのだが、建物の造作は療養所ではなく劇場のようで、中央部分に広い空間があり、一階から四階まで吹き抜けの舞台になっている。


その空間に沿って狭くて渦巻き状の階段があり、二階三階からは舞台を見下ろすことができる。四階部分は天井に近く、照明機材などを吊るすバトンが造られている。そして、五階六階部分は天井裏で、階段から細長い通路がいくつも広がっている。渦巻き状の階段は木製で、歩くたびにギシギシと音がする。ぼくはその狭くて薄暗い階段を昇り降りして、まもなく始まろうとする舞台、おそらく古めかしい芝居の準備をしている。といっても照明や効果の段取りをしているわけではなく、二人の役者を連れて「このようにこの劇場は造られている」という説明をしているのだ。役者たちはついてくるだけで、この奇妙な空間に恐れをなしているのか、こんなものだろうと感じているのか、無言のままだ。ぼくは、もしかしたらこいつらは劇場に棲む幽霊ではないかと勘繰ったりするが、幽霊であろうが生身の人間であろうがどっちもさほど変わらないものだと納得している。


表に出ると、七階建ての建物はさすがに大きくて、しかも丘の上に建っているから威厳があるように思える。今から仕事が始まるはずなのだが、ぼくはどうしてもこの場所から離れなければならない事情があり、高名な映画監督と一緒に坂道を下りはじめる。途中、茶屋などがあって観光客が休憩している。床几に座った人々の横に水路があり、きれいな水が勢いよく流れている。


坂道を下りながらぼくは、ここは箱根あたりだと思っていたのだが、実は大阪の池田五月山のあたりであることに気づき、同行している映画監督に場所の説明をする。監督は「箕面の滝を見たい」と言い出し、五月山から箕面方面に向かう道を歩き出す。


その映画監督は世界的に有名な人物だと聞いているがぼくは彼の映画を見たことがないので話題がなく、あたり障りのない話をしているうちに箕面の滝道の下まで来た。最近の風景とは異なり、ずいぶん昔の箕面駅前の風景が広がっていて、埃っぽい。滝道を歩き出すと、舗装されていない土の道はずいぶんと歩きづらく、これではいつまでたっても滝にはたどり着かない、せっかく案内している(多忙なはずの)映画監督が気の毒だと感じている。しかし監督は悠々と歩いていて、「滝を見終わったら、4時までに八王子に行けばいいから」などと言う。ここは大阪の箕面だから、八王子に数時間後に行くなど無理な話だとぼくは思っているが、あえて何も言わず、滝へと歩を進める。だが、滝の流れ落ちる音はするのだが、なかなかその姿が見えない。滝とはそんなものだという思いもあるが、監督に見せてやらなければ悪いという気持ちもある。


2017年8月31日の午前2時ころに見た夢


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# by kazeyashiki | 2017-08-31 17:40 | 素描 | Comments(0)

夏よ   

三好豊一郎の「トランペット」という詩の中にこんな一節がある。


“――夏よ、とびちる火の斑点の夏よ、

ひまわりのすがれた花のかげに埋葬される痩せおとろえた老人たちの夏よ!”


八王子で煙草屋を営んでいた三好豊一郎さんを吉増剛造氏が尋ねた話を、

現代詩文庫『三好豊一郎詩集』の作品論・詩人論に書いている。

それを読んでぼくも八王子に出掛けたことがあった。

2000年の夏のことだ。

すでに煙草屋はなかった。探せなかった。

だが、そこは駅前からすぐのところなのに狭い路地が縦横し、

迷路のようでぼくは迷った。

汗がしたたり落ちるほどに暑かった。

三好さんは夏の詩人なのか。


“――夏よ、みじめな陽物崇拝者のうごめく夏よ、

警官が叫び、群集がわめき、子供がうたう夏よ!”


おそらく昭和の、戦争が終わってすぐの頃の夏に三好さんは生きている。

その夏は、いくつかの遺伝子を残しながら今の時代にまでつながっている。

だが、もちろん遺伝子のことなど誰も知る由もない。

分母は夏だけ。

平安の夏も、室町の夏も、江戸の夏も、大正の夏も、夏は夏である。


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# by kazeyashiki | 2017-08-11 23:11 | 素描 | Comments(0)

炎暑三都物語   

朝から阪神特急(車輌は山陽電鉄)に乗って神戸三宮へ。
打合せが終わり、阪急の駅へ向かう。
街は燃え上がるような熱気と人いきれ。
チャイニーズ系の女の子が海水浴場のような恰好をして歩いている。
大きな歓声をあげて笑って元気がいいなぁ。

阪急特急に乗って(比較的すいていた)十三経由で河原町へ。
八坂さんの方に向かって歩き、祇園を南下。
前祭と後祭の間の祇園さん。多くの観光客でにぎわっている。
花見小路の一本西、建仁寺近くの路地で、
押し車のおばあちゃんが立ったまま暑さを鎮めておられる。
ぼんやりと前を向いたまま。ちょっと気になる。
声をかける間もなく、ゆっくりと歩きだされた。大丈夫そうだ。

京阪特急に乗って終点淀屋橋まで。
大阪も暑いだろうなあ。豹柄服を着たおばちゃんが汗をぬぐいながらも、
元気に御堂筋を歩いているのだろうか。
御堂筋にはおられないか。

炎暑三都物語。
阪神、阪急、京阪の特急車両はいずれも涼しい。

京阪電車は淀川から木津川を越えていく。
雨が降り出しそうだ。
と、携帯に天気予測情報が入る。
「大阪市中央区 非常に激しい雨(58mm/h)……。
う~む。

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# by kazeyashiki | 2017-07-21 17:07 | 素描 | Comments(0)