朝に思うあれこれ。   



いろいろあった京都五山の送り火が昨晩、雨に降られることもなく終わった。
震災の年の送り火だから、亡くなった方々のことを京都五山で見送りたい、
という感覚は分かるのだが、阪神淡路のときはどうだったんだろうとふと思う。
「やっぱり京都は一見さんお断りなんだなぁ」という声もあったけれど、
関係者の気持ちはたいへんだっただろうと想像する。

学生時代、この送り火のアルバイトをしたことがあった。
点火に必要な用具を運搬する仕事だったが、よく憶えていない。
かなり山道がしんどかったこと、火がとても熱かったこと、
そして如意ヶ嶽、大文字山から見る京都の町がきれいだったことくらい。
ここからの眺めはとてもいいんでオススメです。山科から登る方が感動するかな。



高校野球が盛り上がっている。いや、正確には自分の周辺でのことだ。
ぷよねこ氏がほぼ毎朝、甲子園に出掛けてfacebookで中継してくれる。
彼の家は甲子園球場から2マイルの距離、3.3キロメートルだから近い。
写真入りのぷよねこ中継をみると、テレビでは伝えてくれない情報があって楽しい。
ぼくも先日、宮城の古川工業高校の試合を観戦したので、
今年は高校野球のエレメントが身体のどこかに入り込んできているのだ。

もとより野球に関しては小学生のときに少しやっただけで興味からは遠い。
親父の影響で南海ホークスの試合を何度か見にいったけれど、
親父とて、いつも南海電車に乗っていたから親しみを感じた程度のファンであり、
わが家ではプロ野球中継が常に流れていた記憶は少ない。
むしろ、大相撲かプロレスなどの格闘技系が茶の間を占めていた記憶がある。

ともかく今夏の高校野球。
いま、光星学院(青森)と東洋大姫路(兵庫)のゲーム中だ。
(書き終えたいま、光星学院が勝ちました……。)



森山大道の写真が好きで、写真集を買い集めてはいないのだが、数冊ある。
この大阪池田に産まれた写真家の目線に親しみを感じるのはなぜだろうか。
いま、中之島の国立国際美術館で写真展が開催されていて気になっていた。
近いうちにでかける予定。



また、『街道をゆく』の挿絵画家だった須田剋太さんの原画展も開催中だ。
この長い紀行文学は小説を書かなくなった司馬遼太郎の晩年の物語であるが、
どこかに郷愁を隠し持ったような題名と、
日本各地、世界の辺境を歩いた記録がその時の世界を描き出していると思う。
その同伴者が須田剋太という関東生まれの画家であった。

話は逸れるが、松本健一氏の『三島由紀夫と司馬遼太郎』を読むと、
1970年11月25日の市ヶ谷での三島自決の直後から『街道をゆく』の取材が始まり、
それは司馬の三島に対する批判(という言葉が悪ければ)アンサーだったのではないか、
という論の立て方をされている。
三島由紀夫はロマン主義的精神の持ち主で、司馬は合理主義的精神を持っていて、
松本氏はロマン主義的な精神の構えを、
「美しいものを見ようと思ったら目をつぶれ」であるとし、
合理主義的精神の構えは「現実をあるがままに見よ」というふうに定義している。
つまり三島と司馬の立場は「真逆」であった。
そして『街道をゆく』には、〈天皇の物語〉が一切登場しないことを指摘する。

三島と司馬は、実年齢で1年5ヶ月しか離れていない。司馬が年上である。
その年齢の近さにもかかわらず、二人の精神の構えはこれほどまでに違う。
そこには戦争体験など、二人の経験や環境の違いもあるにせよ、
同世代としてあまりにかけ離れた精神を培い、育ててきたことに驚いてしまう。

『街道をゆく』の第一話「湖西のみち」が掲載されたのは、
1971年1月1日号の週刊朝日誌上だ。
逆算すれば、1970年の11月末か12月初旬にこの原稿が書かれている。
「湖西のみち」では、渡来人の新羅神社や安曇人、朽木街道の織田信長の話はあっても、
「大化改新をおこない近江大津宮をつくった天智天皇のことがまったく出てこない」
と松本氏は指摘している。そしてその後のシリーズも同様に〈天皇の物語〉は不在だ。
これはきわめて興味深いことである。

だが、話はそれで終わらない。
三島と司馬という文学者の「真逆」の立場が解説されただけではない。
松本氏は、司馬が亡くなる直前に書いた「風塵抄−−日本の明日をつくるために」で、
90年代のバブル経済、とりわけ地上げに関して激しい論調で批判していることを挙げ、
「一九九六年の司馬遼太郎の死は、憤死に近いものだったといえよう。」と書いている。
「高度経済成長のうえに乗って欲呆けし、バブル経済に狂奔していた日本」を、
司馬はきわめて激しい論調で批判していると。

1970年の三島の死、それから26年後の1996年の司馬の死。
三島事件を「精神異常者が異常を発し」「さんたんたる死」と司馬は毎日新聞に書いた。
しかし26年後、司馬は戦後日本の経済的荒廃を嘆き、「憤死」する。
ここで三島と司馬の精神が交差すると見るのは性急なことだろうか。

話を戻す。
『街道をゆく』の挿絵を描いた須田さんは、関東生まれでありながら近畿圏に暮らし、
今回の原画展も、一時住んだという守口市で開催される。
生涯、生まれ故郷の言葉が抜けなかった須田さんが、守口や西宮に居を構え、
司馬に同行して日本各地、世界の辺境地を経巡って描いた絵には、
司馬の合理的精神に近いようで、どこかロマン主義的な精神があるように思える。
あえて司馬は須田という画家を『街道をゆく』に誘ったように思えて仕方がない。

須田さんは1990年7月14日に、84歳で亡くなられた。
司馬は『街道をゆく35巻−−オランダ紀行』のなかでそのことに触れている。
司馬がゴッホについて須田さんにたずねると、
〈「線。−−−」
と言い、ゴッホの線、すばらしいですね、
とふたたび虚空をさわるようなしぐさをした。〉
と、病室での画伯の様子を描写している。

須田さんの「線」を見に行きたい。
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by kazeyashiki | 2011-08-17 10:12 | 暮らし | Comments(0)

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