墓のうらに廻る   

元旦三日目は、朝から墓参へ。
しばらく来ていなかったので、もやもやしていた。
地下鉄で数駅のところにあるのだから……が、なかなか行けない。

谷町線、初詣なのか、四天王寺前夕陽丘駅で降車する人が多い。
聖徳太子が推古元年(593)に建立した寺院だと伝えられている。
1400年以上前である。
しかも建立したのが金剛組という大工集団で、
この集団は今も会社として営業している(高松建設の子会社だが)。
創業は578年で、世界最古の企業なんだとか。えらいもんです。

おれが向かうのはここではなく、阿倍野駅まで行く。
ここに墓地、阿倍野斎場=大阪市営南霊園がある。
明治7年(1874)に造られた墓所で、
もともと千日前にあった刑場や墓地が移築されたという。
墓地内を歩くと、明治時代に建てられた墓がいくつもある。
日清日露の戦没者の大きな墓石が聳え建っていたりする。

お墓を見て歩く楽しみ、なんていうとおかしな趣味だと思われるが、
そういう楽しみもあるだろう。
有名人の墓所を訪ね歩く本なんてのもあります。
そういえば、雑司ヶ谷に暮らす井上理津子さんに、
かの地にある墓地を案内されたことがある。
ここの墓地には多くの文人が眠っていることで有名で、
夏目漱石、泉鏡花、永井荷風の墓石を見せていただいた。
いずれも個性的な墓でした。
(文人や著名人の墓石については、また改めて書きたい)

花を買い求めてわが家伝来の、といっても昭和14年建立の墓に行くと、
すでにどなたかが参られた後で、花が飾られていた。
おそらく今日ではなく、昨日か一昨日、つまり元日か2日に来られたようだ。
持ってきた花を飾ると、墓石の前は花であふれ返った。
雑草を抜き、水をかけ、蝋燭を灯し、線香を立て、ご挨拶をする。

蝋燭が燃え尽きるまで居よう、というのはいつもの習慣だ。
蝋燭と線香は、ほぼ同じ時間で尽きる。15分くらいだろうか。
周辺の墓も、新年になって参られている。花が生きている。
すぐ近在のキリスト者の墓所に、縁者の方々が来られていて、
お墓の前でお話をされている。笑い声も聞こえてくる。

ふと、「墓のうらに廻る」という尾崎放哉の句を思い出す。
この句からはさまざまな解釈があるだろうな、と思う。
墓のうら、というのは、葬られた人の裏側でもある。
つまりそこから死の世界への道がつづいている、と解釈できる。
放哉は、墓の前に立っていて、死を意識したのかもしれない。
到来するみずからの死。その予感。
「うらに廻る」には、意志、意思を感じる。
これが作句された季節を知らないが、
空は青く、晴れていて、鳥の声が聞こえてくる。
何羽かの蝶が飛びまわっているようにも思える。
そうしたなかに放哉は立っていて、ふと、墓のうらに廻ろうとする。
雨の中というシチュエーションも考えられないわけではない。
雨中、墓石の前に立ち尽くしている。
しかしそのとき、「墓のうらに廻る」と感じるかどうか……。
「雨中、墓の前に立つてゐる」だけで、いいようにも思う。

空は薄い青色で、冷たい風が吹いていた。
おれは墓参りに来たとき、かならず「墓のうら」を廻ります。
それは単に、雑草を引き抜くためである。
こんな季節なのに、墓の裏の小さな影地に草が生えている。
そのままにしてもよかったのだが、やはり抜いた。

帰路、阿倍野筋まで来ると、阪堺線の路面電車が走っていた。
車内は満員だった。
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by kazeyashiki | 2012-01-03 23:59 | 素描 | Comments(0)

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