ベッドのある暮らし   

小学校を出るまで、ずっと畳の上に布団を敷いて寝ていた。
夏は蚊帳を吊り、冬には豆炭のアンカを足許に入れた。
押入から布団を取り出すのは、幼い者にはひと苦労だった。
その頃の布団は、敷き布団も掛け布団もとても、重かった。
蚊帳はみんなで吊したし、アンカの豆炭は母か祖母が火を熾した。
掘り炬燵は家になく、いくつかの火鉢が暖房器具だった。
今からは考えられないような季節の過ごし方をしていたものだ。
ほとんどの日本人の家庭はそうだったと思う。

中学生になって引っ越して、自分の部屋を与えられた。
これまで家族や親戚一族と同居して来た者にとって、瞠目すべきことだった。
「個」という概念になかなか馴染めなかった。
与えられた部屋は和室だったが、ベッドをあげると隣家の人に言われた。
それが初めてベッドに寝起きする体験だった。
もらったベッドは隣家の主人が独身時代に使っていたアメリカ製で、ごつかった。
太い鉄のフレームにギシギシと鳴るスプリングで、その上で飛び跳ねた。

須賀敦子さんの随筆に「ベッドの中のベストセラー」というのがある。
麻布の家に住んでいたとき、
八畳の間に二台の大きなベッドを置いて妹と寝ていたという。
「その当時にすればベッドを使うことだけでもめずらしかったに相違いないのだけれど、それについたやはりアメリカ製のマットレスが、スプリングのはいったぶあついもので、小学生の私や妹が裏返そうとしてもびくともしないで、かえってこっちが跳ねとばされて、ひっくりかえったりした。」(『遠い朝の本たち』ちくま文庫)

おれも似たような代物だった。
お隣へベッドを引き取りに行き、運び込むのに大汗を掻いた。
だが、使い出せばこんなに便利なものはないと怠惰な中学生は実感した。
布団の上げ下ろしの必要がないからだ。
昼間はソファ代わりにもなったし、いつでもゴロンとできるのも嬉しかった。

大学に入学して下宿するようになるとベッドを作ることを教えられた。
「麒麟ベッド」と多くの学生は呼んでいたのではないか。
ようするにキリン麦酒の瓶ケースを6つ並べ、そこにコンパネを載せ布団を敷く。
プラスチックの瓶ケースは酒屋から失敬してくるのだ。
夜中、下宿の仲間2人に手伝ってもらい、1人2個ずつ持って返って来る。
コンパネは工事現場から、やはり失敬してきた。
泥棒である。
ビールケースとコンパネを針金で固定してずれないようにして完成だ。
ベタ座りの下宿の部屋が、それだけで一気に洋風と化した(ような気がした)。
日本酒の一升瓶のケースを使う者もいた。
こちらは背が高いため、横向きに置いて作っていた。
ビールケースより若干低くて、それはそれでなかなかいい感じでもあった。
大学時代(おれは6年もかかった)は、ずっとこの「麒麟ベッド」だった。
「アサヒ」や「サッポロ」「サントリー」だったかもしれない。

先日、母のケアマネさんと面談したとき、ベッドの話になった。
母は布団で寝起きしているのだが、最近、ちょくちょく転倒することがある。
とくに布団から起きあがるときに身体がよろめいて、そのまま布団の上に倒れるという。
医師からもベッドにした方が安全だと以前に言われていた。
母は介護度一級なので、ベッドを借りるためには医師の診断書と市役所の許可が要る。
レンタル料金も必要だ。
だが、転倒してひどいことになるくらいなら、やはりベッドの方がいい。
「ベッドにしますか?」
と、耳が遠い母に筆談で尋ねてみると、「いやだ」という。
ベッドで寝起きするのは入院生活を何度もおこなっている母には馴れているはずだ。
だけど拒否する。布団の方がよく眠れるという。
そりゃそうだろう。人生の大半を布団で睡眠してきた者だからその気持ちは分かる。
須賀さんも随筆に書いていた。
「はじめて寝た晩など、私も妹も、大川に流れ出したササブネみたいにたよりなかった。」
母もベッドで寝るのは落ち着かないのだろう。
便利で安全なんですけどね。
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by kazeyashiki | 2012-01-11 11:33 | 暮らし | Comments(0)

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