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ぜんぶ、自分のこと。

知り合いのTさんのブログに、
「スマホ打ちながら歩くじゃねえ!」
という書き込みがあった。
駅の通路などで携帯メールを打ちながら歩いている人、たしかに多い。
Tさんは何度かスマホ・ウォーカーにぶつかったらしい。
「避けているつもりでも、急に立ち止まったりしてぶつかる」
おれも数回、そういう事態になった憶えがある。
一方向に流れている通路などでいきなり立ち止まるひと、います。
なにかを思い出す、思い返すということなんだろうけど、
後ろにいるひとは、当然驚くし、下手すればぶつかってしまう。
迷惑を越えて、危険だよね。

また、先日Mさんが言っていたこと、
「エスカレーターで携帯を持ってたらあきまへんで。
変な写真、撮るんやないかと勘違いされますねん」
それはMさんの挙動が不審だからでは……とは言えなかった。
名誉のために言っておくけど、Mさんの見た目はヘンじゃない。
紳士といってもいい。
だけどエスカレーターで携帯をいじっていると変な目で見られる。
なんだか生きづらい世の中であるなあ。

「世の中には自分にしか興味がない奴が仰山おります」
と言うのは、京都のHくんだ。
「とくに中高年。呆れるほど自分、自分、自分です」
彼がどういう人物のことを指して言っているのか分からないが、
そういうひとが世の中にいることは理解できる。
とりわけ中高年、おれと同世代かそれ以上の方々、
「おれ流・わたし流」で生きているひとが多い。
自分の興味対象外に対しては冷酷なほど無関心で、
「おれのこと・わたしのこと」には執拗なほど主張する。
そしてその執拗さがまたいいという価値観があるから始末に悪い。
「こだわり」は優れた面もあると同時に、鬱陶しさも含有している。

うーむ、これは自分自身のことでもあるな、と思う。

また池澤夏樹さんの本からの引用になるが、
ジョン・ダンという16世紀から17世紀にかけて詩を書いた
イングランド出身の詩人の言葉、
「人はみな孤島ではなく、大陸の一部だ。
 だから、葬儀の鐘の音を聞いて誰の葬儀の鐘かと聞いてはいけない。
 それは常にお前の葬儀のための鐘だから。」
という詩句が甦ってくる。
決して教訓として憶えているわけではなく、内省としてつぶやくのだ。
だがこれも「おれのこと」という「こだわり」なのかもしれない。
京都のHくんはおれのことを揶揄していたのかも。

物思う55歳である。

昨日の撮影で、某校のサッカーグランドに立った。
春霞の空の下、とても気持ちよかった。
ジャケット姿じゃなければ、寝転んでしまいたくなる。
ぜんぶ、自分のこと。_a0193496_13105877.jpg

by kazeyashiki | 2012-04-10 12:00 | 世界 | Comments(0)

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