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好奇心

このところ積年の放漫さのツケがまわって来ていて収入がすくない。
某社と契約しているので、ひとまずは安定的なので有り難いのだが、
それでもこれまでに積もり積もったものが、万遍なく押し寄せて来る。
まったく不徳の致すところである(この言い方、初めて使った)。
こうした事態を観察していると、相当いまの立ち位置、軸足が危うい。
その結果、どういうことになるのか、自省を込めて書き出してみよう。

◇飲み屋に行くことが少なくなる。
◇旅、小旅行に出かけなくなる。
◇本を買わなくなり、書店に長居しなくなる。
◇食い意地が張るのか太ってしまう。
◇発想が貧困になるのを感じる。
◇性格が歪んでしまっているという感覚になる。

ざっと挙げるとこういうことで、いずれも「よくない」ことだ。
だがそれも身から出た錆、自業自得であることは言うまでもない。
ひとつずつ分析してみよう。

◇飲み屋
仕事や打合せが終わって一杯……というのは愉楽のひとつであり、
ストレス解消であるが、その余裕がなくなって来る。
すると酒の量は圧倒的に減る。それはそれでいいのかもしれない。
しかし飲み屋から遠ざかるのはさみしいことである。
今月9月は2回、居酒屋に行った。
酒自体は母宅や自宅で飲んだが、
18日の今日まで5回飲酒に留まっている。
これもいい面なのかもしれないが、やはりせつないものだ。
なじみの店のマスターと話が出来ないしね。

◇旅行
ちょっと海を見に行く、といった気まぐれ旅ができなくなる。
休みの日などにどこか出かけたくなることが多いのだが、
やはり旅費や雑費などいろいろ掛かるので、ためらってしまう。
旅はおれの場合、息抜きであり楽しみなので、これは結構ツライ。
温泉や寺社旧跡めぐりができない状況は、どうも不健康であるなあ。

◇本と書店
書店を覗くことは自分の長年の習慣であった。
買わなくても本の顔を見に行くということを繰り返してきた。
しかし本を買うことが少なくなると、書店内をめぐることが減ってきた。
いい本、読みたい本があるのは分かっているので、
買えない現実の前に逃げ出してしまう、という行動になってしまう。
立ち読みはするんだけど、やはり買えないことはプレッシャーになる。
よって、書店に長居しなくなってしまった。
その代わり、図書館は大いに利用することになる。
したがって、これはいい面があるといえる。負け惜しみじゃなくてね。

◇食い意地が張る
居酒屋に行かなくなると、家に帰る時間が早くなる。
きちんと家でメシを喰う。それはいい。
だが、昼食もできれば弁当にしたい。
ところが弁当を作るには手間がかかる。
握り飯2つくらいが関の山なので、安いカップラーメンを食べてしまう。
安売りで88円で売っていたりなんかする。
それが昼食になると、カロリーオーバーになる。
だったら握り飯2つだけで済ませばいいと思うのだが、ちょっと少ない。
食べておかねば!という焦燥感みたいなものが出てくるのだ。
貧乏性なのである。
カップラーメンや焼きそばは本当に太る。
3日くらい続けたことがあって、見事に体重が増えた。
貧困層がぶくぶく太っている、という現実をおれたちは知っている。
まさにそれが自分の身に降りかかって来ているということなんだな。
いまは節制して、ようやく80キロ前後の通常体重に戻ったが、
これからも気をつけなければいけない。

◇発想の貧困
使える金が少ないと弱気になるという欠点がおれにはある。
自信喪失し、発想に柔軟性がなくなり、貧弱なことばかり考える。
それではいい仕事、いい企画、いい台本が書けないじゃないか!
という心配はとっくの前に自覚している。
それでも何とか仕事を進めていられるのは、周囲の人達の助けのおかげ、
With a Little Help from My Friendsである。
書いたものを添削し、修正し、方向性を与えてくれる者たちがいる。
これではおれは無能者、お荷物ではないか!と思う。
そうならないためには、居酒屋に行かないので時間がある点を活用し、
図書館で本を借り、映画を見て、音楽を聴き、
招待券で美術館や博物館に通う、ということを繰り返す。
そうすれば何かを得られる、というのは幻想だけど、
感受性を磨くことにすこしは役立っているのではないか。
友人から「お前はもう死んでいる」と言われたときがオシマイである。

◇歪んだ性格
妬んだり、スネたり、暴言を吐いたりすることはないと思っているが、
それは表面的なことだけで、内面ではかなり性格の歪みを自覚している。
かなり深刻な問題だ。
おもてヅラがいいのは仕方がないが、内面がドロドロなのはイヤだなあ。
これが格差社会なのかな、と考えたりするが、
そうした分析も、もうだんだんどうでもよくなってくる。
判断停止ではないか!
と思い返すのだが、社会のことを考えるのが邪魔くさくなってしまう。
これはやはり深刻な事態ではあるな。

〈結論〉
ずばり、「好奇心がなくなりつつある」というのが実感である。
これは由々しき事態であるぞ。
好奇心で生きてきた人間がこれを失いつつあるということは、
老化現象なんて悠長なことではなく、生命力が薄れていくことではないか?
社会の出来事、事象、現象に好奇心で接し、近づくこと、
そして自分の軸足はぶれたりしながらも、何とかそこに入っていた、
という感触でやってきたのだが、好奇心が薄まるとそれが瓦解しちゃう。

ということで、結論から導き出されたものは、
「ここに書いたことをしっかり自覚すること」であると同時に、
「ちゃんと稼ぐ」ということであるな。
自分がやりたいことをやるためには、何よりも好奇心を育てること。
まるで中学生のような決意、と言ってしまうと元も子もないが、
そういう状態にキミはいるんだよ、と言い聞かせよう。
by kazeyashiki | 2012-09-18 23:00 | 暮らし | Comments(0)

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