一言居士   

 ぷよねこS氏が「なんとか居士」というタイトルをつけて日記を書いている。いわく、三食居士、慎重居士、秋待居士、銀輪居士……クセになるらしい。自分をいい表すのに居士はなかなか便利である。三食や慎重だけでは何のこっちゃ分からない。

 居士といえば「一言居士」を思いだすのが一般的だが、もうひとつおれが思い出すのが「果心居士」。司馬遼太郎に「果心居士の幻術」という短編があり、幻術使い、奇術師みたいな存在なそうな。信長や秀吉、明智光秀の前で幻術を披露したというが、実在したのかどうか怪しいようだ。小松左京の名作、『果てしなき流れの果てに』にもこの居士が登場した。

 居士は戒名にも付けられているが(女性の場合は大姉)、これまでおれは、墓所で「居士」と刻印された墓を見たことがない。なぜなのかと考えてみたら、居士は江戸期の武士に付けられるものだそうで、武士が少なかった大坂の墓所にはあまり存在しないようだ。大坂には江戸期2〜300名程度しか武士がおらず、それは現在も名が残る同心町や与力町にいたということだが、近辺の者ならともかく、大坂の町人商人のなかには一生、武士を見たことがない人もいたらしい。天満橋や天神橋は公儀橋で、基本的に武士しか使えないことになっていたが、大坂の場合はこれに倣わず、天神橋は多くの町人商人たちが利用したことは、江戸時代の大坂を舞台にした小説などに書かれている。高田郁さんの『銀二貫』が有名だし、司馬遼の『俄』の明石屋万吉もこの橋を渡った。

 居士には仏教に帰依した在野人の意味もあるが、仏教に関係なく、官職につかずに学識がある者のことを指した。千利休などがその代表だという。居士は別に処士とも呼ばれ、学があるので幕府からは重宝がられることもあったが、うるさがられることもあった。松平定信がおこなった寛政の改革に「処士横断の禁」という項があり、幕府を批判する者を罰したのだが、この対象が処士、つまり居士である。享保の改革、天保の改革と列ぶ寛政の改革は、田沼意次の重商主義による経済の混乱を改める目的であったが、庶民への強烈な倹約をはじめ、思想的弾圧も並行したので国力は低下し、国益が損なわれたと現在では評価されている。

 この寛政の改革について調べたのは、池波正太郎の『鬼平犯科帳』に関する仕事をしていたためで、この改革の際に「人足寄場」が江戸石川島(現在の佃)に造られた。これを提案したのが長谷川宣以、つまり火付盗賊改方長官である長谷川平蔵、鬼の平蔵であった。鬼平は実在の人物をモデルにしているのである。この「人足寄場」の建設は、当時の封建社会においては画期的ともいえる人道的な発想であると思う。ここは無宿人の職業訓練所であり、自立支援の場でもあった。こうした発想の背景には、火付盗賊改の仕事をするなか、罪を犯す者が故郷を棄てた無宿人であり、罪を犯さなければ生きていけなかったという現実をイヤと言うほど見てきた長谷川平蔵の視点があったからだろう。「人間はよいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをする。」と池波正太郎は書いている。無宿人がかならずしも生まれついての悪人ではないという性善説に立っている。そのために「人足寄場」が造られたのである。そしてそれは着実に機能し、治安維持に役立ったという。

 無宿人については、司馬遼太郎の『街道をゆく・佐渡のみち』の「無宿人の道」に詳しく書かれている。江戸で無宿人狩りがおこなわれ、佐渡へ連れて来られて金山の坑道に人夫として放り込まれた。彼らはすべてが罪人というわけではなく、無宿人というだけの理由で連行されて来た者たちだ。無宿人とは戸籍のない者で、人別帳に名のない者のことである。なぜ名がないのかといえば、江戸時代の刑罰は連帯責任制であり、出来の悪い息子などが犯罪をおかした場合、その一家が罰せられることになる。したがって不良少年たちは親族兄弟から縁を切られる。人別帳から名を抜いてしまうのである。これが無宿人であり、彼らは浮浪して、大都会・江戸の本所深川あたりに集まって来た。これを幕府が「狩る」のである。佐渡に連れて来られた無宿人は、ずっと鳥かごのような唐丸籠に押し込まれていて、佐渡島の中山峠まで来ると歓迎(?)の甘酒が振る舞われたというが、これはこの世の見納め、お慈悲であったそうな。金山に到着して親方が籠を大鉈で断ち切ると、無宿人が転がり出てくる。気を失う者もいたようで、地獄へやって来たと慟哭する者が多かったという。

 上州無宿といえば、木枯し紋次郎も無宿人だった。

 ともかく寛政の改革では、「人足寄場」の建設というよい面もあった。だが一方で思想弾圧、「処士横断の禁」といった無茶な令も発せられている。これも「よいこと悪いこと同時発動人間」の所以といえば所以か。

 ぷよねこS氏の日記からこんなことを思った次第。これはどうみても「一言居士」であるな、おれは。
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by kazeyashiki | 2012-09-23 15:00 | 世界 | Comments(0)

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