もの想う初秋   

 中国の政府高官が国連で、「日本が島を盗んだ」などと発言するのは国際政治的にもあまりに稚拙だし、抽象的だし、非論理的だし、暴論だと、おれですら思う。「中国13億の民は怒っている」というけれど、チベット自治区の民衆はそうだろうか?あえておれも暴論をいうが、尖閣諸島と等価交換でチベット独立でどうだ?と言ってみたい。内政干渉というのなら、尖閣に対して中国は日本に内政干渉している。

 妄想だが、この先、時代が進めば「月は中国の領土だ」「火星もそうである」と言いかねない。それくらいのことをこの独裁国家の政府はチベットに対して行なってきたのではないか。

 文革以降、この国は孔子をはじめ、歴史の偉人たちを黙殺、いや、抹殺してきたのではないか。大学時代、中国仏教と道教の関係を勉強した者にとって、中国の思想哲学は輝けるものだった。その歴史をいまの中国はどう見ているのか?歴史の上を土足で踏みにじっていないか。そしてそれは、やがて民衆の抹殺につながって行く。

 中華の興隆がこの時代で頂点を迎えたように思う。それは独裁という旧弊な、封建政権が派閥争いによってようやく成立しているという脆さにあるからだろう。反日デモで暴れ回った民衆は、尖閣諸島がどこにあるかを知らない。同じように奪い取ろうとしているフィリピンやベトナムの島々についても分かっていない。

 日本はフィリピン、ベトナムと手を組んで、包囲網だけは作っておいてもいいのではないか。無力であるかもしれないが、形作っておくだけでいい。

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 酒井法子が芸能界に復帰するという。覚醒剤を使用したことは許されるべきことではない。過去、芸能人もヒロポンなどを使っていたではないか、という意見には同調できない。しかしおれは酒井法子が復帰して来ることに賛同する。芸能の民に甘いといわれても仕方がないが、彼女は青春時代からずっと芸能界で育った。常に「見られる立場」に身を置いて仕事をしてきた。そういう者から「見られる立場」を奪ってしまうことができるだろうか?

 芸とは、「映し」「移し」である。その芸人が経験してきたことが核となって他人を演じるものだ。つまり他人を「写し」取って成り立っている。そこには芸人個人のさまざまな経験や生きてきた法則が反映されている。その「反映する技術」が優れているかどうかが、うまい芸人、達者な芸人の骨頂である。

 酒井法子が覚醒剤によって罰を受け、芸能活動ができなくなったことは、社会的法律的にみて当然のことだ。だが、そうした経験をした彼女に「演じたい」という思いがあるのなら、おれは見てみたい。「ハクが付いた」という言い方でもいいが、こちらに見えてこない彼女の苦悩や不安や怖れが、演じることで反映されてくるのだとすれば、おれはぜひ見たいと思う。役者とはそうあるべきだと思っている。

 それに彼女には「花」があるしね。逮捕された後、人前に出てきたときのあの一種の潔さ、といえば反発があるかもしれないけど、おれは潔さの形を見た。卑屈でも高慢でもなく、見渡すように視線が動くあの姿勢、これが「花」だと感じた。その人物が「花」であるかないか、一瞬にして分かるものだと信じている。たとえ芸能人じゃなくてもね。

 花は、いじめてはいけません。
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by kazeyashiki | 2012-09-29 12:00 | 素描 | Comments(0)

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