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戯曲

初夏に小さな催し物をする。
そのために昔に書いた芝居の台本に手を入れていた。
以前にも書いたことだが、
26歳、今から30年も前に書いた一幕劇である。
若くて未熟で赤面を禁じ得ない内容だ。
手直しは、相当苦心した。
30年の歳月は、雲母のようにおれに経験と知恵と、
もったいぶりと、したり顔の層を付着させた。
だがその幾重もの層が本物かどうかは分からない。
狡猾さや欺瞞などを上塗りしただけかもしれない。
そして古い物語を手直しするという作業は、
そうした虚実の皮膜をスコップで剥がしていく作業でもあった。

もとよりおれは役者と同行しながら芝居を書いてきた。
共有する時間のなかで役者の言葉を聞き、
日々の機嫌、生理、嗜好性などに感応しながら執筆した。
したがって、籠もって戯曲を書いたことなど一度もなかった。
だが今回は役者との交通路はほぼ遮断された状態だった。
これが苦痛の要因だった。

一度書いたものに手を入れるというだけのことだけど、
やはりあきらかにおかしな部分や辻褄が合わないところ、
どうしても訂正したい部分などが出現する。
最初は小さなほころびを縫い直す程度からはじめたのだが、
僅かな紡ぎが全体に響いてきて、フォルムが変わってくる。
するといくつも手を入れたくなる。
物語の通奏低音だけは変化させないでいようとしていたが、
表面の様相が変われば、おのずと低音部にも波及する。
登場人物は同じだが、仕上がったものはかなり変貌した。

いま、仕上がったものと書いたが、実はまだまだ未完成である。
まず、読み稽古の段階で手を入れる。それは一度ではない。
上演ぎりまで改稿作業はつづく。
そして実際に演じられるときにはじめて台本は完成を見るのだ。
だから現時点では、まだ戯曲はできあがってはいない。

役者の顔が見えないことの苦悶を漏らすと、
3人の者たちから写真が送られてきた。
「顔ですよー」
おれたちはそういう時代に生きているということである。
役者たちのその身軽さに気持ちが弾んだ。

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by kazeyashiki | 2013-04-09 01:19 | 芸能文化 | Comments(0)

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by 上野卓彦