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昔の「詩に関する」事件簿

図書館で、昭和31年11月の毎日新聞を読んでいたら、面白い記事を見つけた。

そのまま写す。


(大見出し)「寿屋の広告」問題に 

(サブタイトル)朔太郎の詩を無断で使う 

(本文)「昭和十七年に故人となった詩人萩原朔太郎の詩「旅上」を洋酒の寿屋=本社大阪北区堂島浜通二丁目=が遺族に無断でトリスウイスキーの広告文に使ったということで、十五日故萩原氏の長女、国学院大学文学部四年生萩原葉子さん=世田谷区世田谷二の○○○○=が日本著作権協議会=千代田区日比谷公園内=に提訴した。

問題の“旅上”は、

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん

という書出しからの四節である。寿屋では三節目の「せめては新しき背広をきて」を「せめてはトリスなど持ちて」とあらため新聞広告に使ったものである。(後略)」


もしかして、この時代なら開高健さんや山口瞳さんが寿屋(現サントリー)の広告部にいて、コピーライトを量産していた時代ではないのだろうか。開高さんの方が先輩で、山口さんはちょっと後の時期だったように思う。


いずれにしても、大学生だった長女の葉子さんが抗議し、寿屋はすぐさま非を認めたというのが顛末だが、どうも和解したとは思えない。著作権協議会の仲介によって事態は収まったのだろうか?葉子さんのコメントはこのようなものだ。


(見出し)詩の精神が損なわれた 

萩原葉子さんの話「著作権の侵害という問題よりも父の詩の精神があんなふうにそこなわれたということが不愉快です。寿屋で五万円持ってあやまりにきましたが、お返ししました。」


寿屋常務平井鮮一氏の話「まったくこちらの手落ちで遺族の方に申しわけありません。誠意をもって解決をはかりたい。」


この記事のなかでの驚きの第一は、萩原葉子さんが国学院大学の四年生という点である。当時の年齢は、1920年生まれだから36歳くらいであろうか。すでに長男の朔美さんは10歳のはず。


萩原葉子さんの小説 『蕁麻の家』『閉ざされた庭』『輪廻の暦』の三部作が好きで、2005年に84歳で亡くなられたときは、前年に亡くした私の父親と同じくらいショックを受けた。


記事には驚くべきこと第二点目は、萩原さんの住所が明記されている点だ(本文では○にしました)。当時はこれが普通だったのだろうか。犯罪者でもなく、むしろ被害者である人物の住所が堂々と書かれているというのは、個人情報保護がコテコテに塗り固められている現代から見れば驚きである。


さらに、細かい点として寿屋常務のコメントで「手落ち」という言葉が使われているが、現代において、会話では時折出てくるが、文章にこの言葉が出てくることはない。別段、差別を助長する言葉だと思えないが、新聞記事に使われなかったり、役所などの文書、口頭でも、人間身体の部位を比喩にしたり、形容したりすることはない。


葉子さんが「寿屋で五万円持ってあやまりにきましたが、お返ししました。」というコメントの「寿屋で」と「で」を使っているあたりが、リアリティのある文章(写実的)だし、「五万円持って」と金額が語られているのもなぜか新鮮だ。今の新聞では決してこうは書かない。



別の用件で図書館に出掛けたのだが、古い新聞を見るのは習慣になってしまっている。調べものより、新聞を眺めている方が時間が長かったりする。


by kazeyashiki | 2017-09-25 22:46 | 世界 | Comments(0)

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by 上野卓彦