義父の死   

「あんた、何しているんや?」

棺の中で眠る男に、同年配の女が語りかける。

葬儀場の祭壇の前、顔の部分だけ開かれた棺を覗き込み、

口をハンカチで押さえて見つめている。

おそらく中学校か高校時代の同級生の女性だろう。

眠っているのは私の義父だ。

まさに、「あんた、何しているんや?」

というセリフがふさわしい、いきなりの終焉だった。

不慮の事故と勘違いした人もいるくらいに、

義父はあっけなくあちらの世界へ旅立ってしまった。

75歳。しかし、貌はその年齢に見えない。

ゴルフ焼けした皮膚は艶がある。

つい先月までグリーンの上を歩き回っていたのだから。

だが、もう義父はスイングができない。


義父がかけようとしたスマホを落とすという、

ふつう考えられない症状になったのは、つい20日ほど前のことだった。

「スマホも、クルマの手すりも、持とうと思っているのに持たれへんねん」

腰痛を訴え、自分の手が意のままにならない症状を感じすぐに病院に出掛けた。

ただちに入院。

腎機能がいちじるしく低下していた。

意識の低下、反応が鈍い。

そんなことを聞いて、見舞いに出掛けた。

嫁婿が見舞いに来たからか、元気な素振りをして看護師や栄養士を笑わせていた。

私は少し安心して、退院後の小旅行を提案した。


しかし、その後の経過は芳しくなかった。

ちょうど私の年齢の頃に心筋梗塞を起こし、心臓の機能が通常より良くなかった。

結果としてそれが原因で容態は急変した。

心臓は身体の配電盤である。

身体全体の血流を支配し、制御している。

そこが傷むということは、司令塔のないチームみたいなものだ。


6月15日早朝、義父はあわただしく旅支度をして、

向こうの世界行きの列車に乗ってしまった。


通夜には多くの人達が参集し、貌を覗きこんで語りかけていた。

私はそのすぐ横の、親族と書かれたいちばん前の席に座っていたから、

語りかける言葉が聴こえたのだった。

「〇〇ちゃん、早すぎるで」

年配の、「じゃりン子チエ」の花井先生のような男が顔を近づけて言う。

「どういうことなんや?10年早いやろ」

着替える間もなくやって来た作業服の男がため息をつく。

「なんでなんでなんで」

二人連れの、おそらくゴルフ仲間だろう、健康そうに日焼けした女たちが言う。


死にはさまざまな形がある。

唐突な死、長患いの死、長寿のまっとうする死……もっとあるだろう。

だが、死という分母は等しく同じだ。

どこかで読んだことだが、

「花が散るのは往生、実がなるのが成仏」だとすれば、

義父は実になったということか。


告別の朝、空は美しく澄み渡り、日差しは明るく、風が気持ちよい。

「こんな日は葬式よりゴルフやろ」

「ま、こんなに晴れたんは、おれの徳のせいやな」

そんなことを義父は言うだろうと集まった人たちは言い合った。


“無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法”


さようなら、お義父さん。


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# by kazeyashiki | 2017-06-17 19:10 | 世界 | Comments(2)

思い出すこと   

彼とは同じような業界にいながら、あまり接点のない場所での仕事だったので、一緒に部屋にいて作業をするということはなかった。だが、彼の人の良さに惹かれてたまに酒席を共にすることがあった。


まだ彼の会社が立ち上がる前、以前の職場を離れ、当時私が所属していた会社のオフィス内に彼はデスクを設け、会社立ち上げ準備をしていた。愛嬌のある人柄に私はすぐに打ち解けた。コーヒーを淹れるときに彼のカップ(実に可愛らしいアニメか何かのキャラクターのカップだった。彼はそういうカワイイものが案外好きだったなぁ)にも注いでデスクに持って行くと、「あんた、気が利くなあ。やさしいなあ」と言った。言われた方が照れてしまうようなセリフまわしで、笑うしかなかった。彼はそうした一言をすぐに言える、気配りのきく男だった。


夕方、会社が引けて仲間と飲みに行く算段をしていると、彼はいつも「どこ行くん?」と着ぐるみキャラクターのような言い方で言ってきた。飲むこと、食べること、話をすることが好きで、さびしん坊だった。そして安い居酒屋で飲み、その後、カラオケが歌える彼の馴染みの店に行くと、マイクを持った彼は朗々と歌い上げた。これは実にうまい。私たちは瞠目してその姿を眺めていた。そして、〆の歌はいつも彼の「そっと、おやすみ」だった。これも絶品だった。


古いふるい過去のこと、まだ阪神淡路の震災前の話である。


その後、彼の会社の状況について人を介して聞いていた。時代は変わり、映像制作の形態もどんどん変化を遂げ、簡素でクォリティの高い映像がPCで作れるようになり、彼の会社で編集作業をする人達が減り、その結果、会社の経営は厳しくなっていった。それでも彼はがんばった。さまざまな苦しい状況を乗り越えていると聞いた。仲間たちは去って行ったが、それは仕方のないことで、仲間たちは彼のことをずっと大切にしていたのではないか。


二月の末に倒れたと聞いた。処置が遅れ、酸素が途切れてしまったために意識が戻らないとも。彼は天満橋の近くの病院に運び込まれた。それから維持装置によってその生命が保たれていて、ベッドにいることはいるが反応することがないとも。私はしばしば大坂城天守前広場に出掛け、彼がいる病院の建物を眺めた。何とか奇跡よ起こってくれと切願した。桜の花が咲く頃に光明が訪れてくれと願った。やがて城の桜は咲き、花びらが大地に模様を描いた。そして……。


サッカー部の黄色いバッグぶら下げし君やたらとうまい歌に目を見張り

ある夕のお初天神安鮨屋偶然出会いしたがいに疲れ顔して

長々と眠りし君の病室を太閤城より眺めつつ浪花のことは夢のまた夢


内田隆文安らかに新緑萌えてそっとおやすみ


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# by kazeyashiki | 2017-04-27 10:29 | 記憶 | Comments(0)

「妖」からの寄り道旅   

平凡社新書『白川静入門』(小山鉄郎著)に、非常に興味深い一節がある。それは「夭」という文字だ。

この字は「夭折」や「夭逝」といった若くして死んでしまった者を惜しむように遣われるが、「夭」には、若い巫女さんが神との交信・交感によってエクスタシー状態になって身をくねらせて舞い祈るという意味があるという。で、身をくねらせるゆえに「若い」ということになり、早世となる。また、災いのことを「殀」というので、「夭」にも同じ意味がある。

この「夭」は、「笑」という字にも入っている。

「笑」とは、やはり若い巫女さんが両手を挙げて踊る様のことで、竹かんむりは「両手」を表しているというのだ。舞い踊る若い巫女さんは、神様の意思を和らげるために両手をひらひらさせ、「笑って」神様を楽しませると。さらにこの「笑」という文字は「咲」と関連していて、古代は「咲」と「笑」は同じ文字だったという。「花が咲く」と今は言うが、昔は「花が開く」と言ったようで、「花が咲く」という表現は新しいそうだ。

また、「妖怪」の「妖」の字にも「夭」が入っているが、「妖」の正字は「女へんに、草かんむり、その下に〈夭〉」というもので(辞書にないのです)「笑」の元の字形だとも。「夭」の字は、あでやかな女性の姿を表すことから、「妖艶」や「妖美」などの言葉が生まれた。

原稿を書いていて「妖」の文字がふと出てきて、そのまま横道に逸れてしまうといういつもの寄り道でした。

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# by kazeyashiki | 2017-04-21 19:31 | 読書 | Comments(0)

ZUMA   

1977年の夏の終わり、
一乗寺の狭くて暑い下宿屋で繰り返し聴いていたのがこのニール・ヤングのZUMAだ。

ぼくはその夏のはじめからずっと、
金沢の辰巳という犀川の上流にある元ミシン工場で舞踏公演の手伝いをしていた。

舞台のことなど何も知らないのに,
一ヶ月間そこに居候できたのは公演主宰者のY氏の度量だった。

3日間の公演が終わり、
京都行の普通列車に乗りながらぼくは何をして遊ぼうかと考えていた。

だが、面白そうな遊びは浮かばなかった。

狭い部屋に閉じこもって二ール・ヤングばかり聴いていた。

すこし秋めいてきたとき部屋を飛び出した。

ZUMAとはその夏に別れたっきりだった。

で、昨日ひょっこり目の前に現れた。

曲も曲順も自分でも驚くほどよく憶えている。

弾き間違えもなんのそののアルバムだ。

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# by kazeyashiki | 2017-03-25 22:13 | 京都 | Comments(0)

さまざまな死のかたち   

 先ごろ亡くなったムッシュかまやつ氏は、その数日前に亡くなった奥さんのことを知らずに天国への階段を登って行った。かつてムッシュ氏は、「死ぬときに走馬灯のようにいろいろなことが通り過ぎるっていうじゃない」と朋友井上堯之に語っていたが、ムッシュは走馬灯を見たのだろうか?だが、この地上からふわりと浮き上がって飛翔しはじめた時、走馬灯に現れた奥さんが目の前に迎えに来てくれたのだとしたら、ムッシュはさぞ驚き、「君も死んじゃったの?」と悲しみ、やがてゆっくり微笑んだのではないか、と身勝手に想像してしまう。

 今日見たニュースで、まもなく妻を亡くしてしまう夫の結婚相手を求める、というコラムが新聞に載った。書いたのは妻自身である。つまり、もう死にゆく自分が、残された夫の結婚相手を募集するという一文だ。「彼は恋に落ちやすい男性です。私の時も1日でそうなりました」と書き、夫ジェイソンは弁護士で料理やペンキ塗りもうまく、何よりも思いやりのあるパートナーだとアピールする。そして、やがて、まもなく、彼女は天国への階段を登って行った。ジェイソンは、妻の尽力に応えて新たな人と結ばれるのだろうか?いや、そこの話ではない。妻にその文章を書かれた夫の心境が気になるのだ。妻が残した個人宛ではなく、パブリックなメッセージだから周囲の人たちもジェイソンの内面の一部にも侵入して来る。がさつに「で、お前、どうするんだ?」友人なら訊ねてくるだろう。彼がどう答えるか知らない。自分ならどう言うか。

 「死ぬのはいつも他人ばかり」といったのはマルセル・デュシャンだが、それを知ったのは寺山修司の本だった。寺山の横にはいつも死の水脈が横たわっていたような感じがある。若い時に大病を患い、自分のこの惑星での生の時空は他者より長くないことを自覚していたのだろうか。「死ぬのはいつも他人ばかり」の解釈を寺山は、自分の死を量ってくれ、知覚するのは他人だ、と書いていたように思う。

 さまざまな死がそこにある。やがて死がもっと身近になっていくことは生物学的をはじめ、あまたの「~~的」により立証されている。それまでは、「他人ばかり」と感じ続けているだけということか。

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# by kazeyashiki | 2017-03-15 23:38 | 記憶 | Comments(0)