カテゴリ:読書( 14 )   

「妖」からの寄り道旅   

平凡社新書『白川静入門』(小山鉄郎著)に、非常に興味深い一節がある。それは「夭」という文字だ。

この字は「夭折」や「夭逝」といった若くして死んでしまった者を惜しむように遣われるが、「夭」には、若い巫女さんが神との交信・交感によってエクスタシー状態になって身をくねらせて舞い祈るという意味があるという。で、身をくねらせるゆえに「若い」ということになり、早世となる。また、災いのことを「殀」というので、「夭」にも同じ意味がある。

この「夭」は、「笑」という字にも入っている。

「笑」とは、やはり若い巫女さんが両手を挙げて踊る様のことで、竹かんむりは「両手」を表しているというのだ。舞い踊る若い巫女さんは、神様の意思を和らげるために両手をひらひらさせ、「笑って」神様を楽しませると。さらにこの「笑」という文字は「咲」と関連していて、古代は「咲」と「笑」は同じ文字だったという。「花が咲く」と今は言うが、昔は「花が開く」と言ったようで、「花が咲く」という表現は新しいそうだ。

また、「妖怪」の「妖」の字にも「夭」が入っているが、「妖」の正字は「女へんに、草かんむり、その下に〈夭〉」というもので(辞書にないのです)「笑」の元の字形だとも。「夭」の字は、あでやかな女性の姿を表すことから、「妖艶」や「妖美」などの言葉が生まれた。

原稿を書いていて「妖」の文字がふと出てきて、そのまま横道に逸れてしまうといういつもの寄り道でした。

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by kazeyashiki | 2017-04-21 19:31 | 読書 | Comments(0)

スーザンの声   

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ここしばらく『スーザン・ソンタグの「ローリング・ストーン」インタビュー』を読んでいる。
ジョナサン・コットがインタビューというより、二人の対話だ。
いろいろな世界のことを語っているのは、それがスーザンの世界だからだろう。

──あなたは世界のなかにいて、あなたのなかに世界がある。

そう、自分は世界に注意を払っている。そう感じている。自分ならざること、その存在とありようを強く意識しているし、並々ならぬ興味がある。それらを理解したいし、そちらに惹きつけられていく。

対話は映像を見てるようで楽しい。
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by kazeyashiki | 2016-06-16 23:30 | 読書 | Comments(0)

この本、面白かった!     

戦後の混乱期、水産庁が日本各地の漁業史関連の古文書を集め、
資料館を設立しようというプロジェクトが始まった。
そこに関わったのが歴史学者の網野善彦さんだ。
スタッフが全国各地に散らばり、古文書を収集し、
それを整理して、筆写するというものだ。
そして借りた古文書は持ち主に返却するというはずだった。

しかしこのプロジェクトは中断してしまう。
そのとき、主体となっていた日本常民文化研究所に集められた古文書は、
およそ百万点。
資料館の設立自体がご破算になってしまったから、
その貴重な資料はリンゴ箱に入れられたまま放置されてしまう。

網野さんはそれに対して心痛め、少しずつ返却することを決意する。
いくらかの寄贈はあったものの、百万点の資料である。
網野さんはこの作業に40年の歳月をかけて取り組んでいく。
その模様がこの本に記述されている。

返却は苦難の旅になると覚悟した網野さんだが、
古文書を持って恐々と低姿勢で現地に向かい、相手に説明すると、
「これは美挙です。快挙です。
今まで文書を持っていって返しにこられたのはあなたがはじめてです」
という言葉を返される。読んでいて感動してしまう。

霞ヶ浦、瀬戸内海の二神島、能登半島、若狭、対馬と旅が続く。
そこで網野さんは、その古文書を借りた当時のことを思い出す。
何十年かの時が流れて、
借りた当時の風景、漁業、現地の暮らしが大きく変貌していることに気づく。
豊かな自然が失われ、利便性という名の一種の破壊行為が遂行され、
文化が消滅していることに網野さんは悄然とする。

だが、返却するために訪ねた先で、また新たな古文書が見つかる。
網野さんはそこからまた始まるものがあると実感する。
終わったと思ったところから始まった新たな旅である。

網野さんという方は、こつこつと誠実に動き回った人物なのだろう。
文章からその人柄がうかがい知れる。
苦渋や悔恨もあるはずなのに、それらは一切浮かび上がってこない。

良い本である。
ここから、昭和の日本の青空が見えてくる気がした。
中公新書から出ていて、Amazonで古本を入手できる。

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by kazeyashiki | 2013-12-24 10:11 | 読書 | Comments(1)

井上理津子著『名物「本屋さん」をゆく』   

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井上理津子さんの新著
『名物「本屋さん」をゆく』(宝島文庫)が刊行されました。
東京都内にあるユニークな本屋さん、
ブックバー&カフェが60軒、網羅されています。
すこし読んだけど、面白いよー。
店主さんの写真もついていて、楽しい〜♫
電車で読んで出かけよう!
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by kazeyashiki | 2013-02-12 11:21 | 読書 | Comments(0)

安岡章太郎さん   

安岡章太郎さんが亡くなった。

この小説家の本を結構読んで来た。
初めて読んだのは、中学生のときだっただろうか、高校だったか。
『ガラスの靴』という小説だった。
清岡卓行が「ふしぎな清純さ」と評した言葉が実に的確だと思う。
この小説に漂うものは、どこか童話風の透明感であり、
戦後から5年ほどの間の時代の匂いが静かに流れている気がする。

『悪い仲間』や『海辺の光景』『幕が下りてから』『花祭』、
岩波新書の『アメリカ感情旅行』も、とても面白かった記憶がある。
また読み直さなければ、と思います。

村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』でも
安岡さんを取り上げていて、これを読むと安岡さんをはじめ、
「第三の新人」といわれた一群の作家たちの本が読みたくなります。

まだ未読の安岡作品があるので、図書館に借りに行こうと思う。

「ガラスの靴」が収録されている文庫本『質屋の女房』
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by kazeyashiki | 2013-02-01 13:42 | 読書 | Comments(0)

晩夏読書計画   

本が貯まっている。
このところ慌ただしく、読む時間があきらかに減ってきている。
だが、本は増える。

書棚に読まれるのを待っている本が列んでいる。

『通天閣 新・日本資本主義発達史』酒井隆史著
『笑う親鸞』伊東乾著
『笑いを売った少年』ジェイムス・クリュス著
『寂兮寥兮』『むかし女がいた』大庭みな子
『地底のヤマ』西村健著

とくに『地底のヤマ』は、狛江の大介師オススメの本で、
著者とは「深夜プラス1」で馴染みでもあり、呑み仲間だという。
1960年代から現在までの大牟田の炭坑を舞台に描いたもので、
2100枚の長編だ。ずしりと重い。
著者は、本が完成して、
入院中だった「深夜プラス1」の内藤陳さんに届けたところ、
「重いなぁ。俺の手じゃ持てねェじゃねェか」
そう言い、9日後に陳さんは天界へ旅立ったそうだ。

今夏は芝居も映画も足が遠ざかっている。
京都の「大出雲展」に出かけたくらいで、芸術芸能分野に疎い。
晩夏から初秋にかけて本を読み、舞台を観よう。

「武太郎の夏、あみと喝采の日々」のシナリオも上げて、
冬には何とか上演しなくちゃ!
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by kazeyashiki | 2012-08-23 09:00 | 読書 | Comments(0)

通俗小説   

純文学というのがある。
ひところ新潮社が「純文学書き下ろし特別作品シリーズ」と題して、
箱入りの重い本を出していて、おれも何冊か購入した。
果たして純文学とは何なのか。よく分からない。
文学賞の芥川賞候補・受賞作品が純文学で、
直木賞に系列する作品が大衆小説なのかと想像している。

通俗小説という言い方があって、この定義がよく分からない。
しかし通俗なのだから、俗世に通じているということだと思う。
では、私小説が世に通じていないのかといえば、
人や町と接触したり、
長年引き籠もっている者でもネットを通じて世間と交通交信しているのだから、
俗世に通じていることは確かだろう。

「通俗小説ですね」という言い方にはある種の感情があるようだ。
通俗という言葉自体、褒め言葉ではないだろうし、
何か飛び抜けた才能によって書かれた小説、という感覚はない。

だがおれはこの通俗小説という言葉が好きだ。
通俗ってええやないか、と思う。
世に通じたことで得た知恵や技術、自分の立ち位置がつかめ、
それでも自分の軸足がさほどしっかりしたものではないと自覚しつつ、
世に流れるさまざまな物語を語って聞かせてくれる。
こういう小説こそが読みたい小説やなーと思っている。

では、通俗小説を探しに、書店へ行くとしよう。
できれば文庫本で買い求めたい。そんなに裕福ではないんでね。
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by kazeyashiki | 2012-06-23 12:00 | 読書 | Comments(0)

春読書   

このところ、本をよく読む。

一時は、ほとんど読まない時期もあったのだが、
最近、どういうわけか、小説本を読んでいる。
読むスタイルというのか、態度というのか、
それがくずれているような感覚があった。
読むことに体力が必要であるとするなら、それが欠けていた。

だが、持ち直した。
ちゃんと読めるし、読む速度も以前の状態に戻った気がする。
5年ほど前からこの”速度”が落ちてきたように思っていたのだが、
最近は5年前に戻った感じがする。
読解力?そんな大層なものではないと思う。
読んでいる本の傾向?それは若干あるかもしれない。
面白い小説を読んでいるんだから。

というわけで、”常読”の池波正太郎と司馬遼太郎に、
のめり込みはじめた佐藤雅美という時代小説分野と、
山口瞳、源氏鶏太の大衆系、
仕事がらみではあるけれど再読の樋口一葉、
それに、若い頃に読めなかった長編に挑戦シリーズで、
ドフトエフスキーとセリーヌ。

5月は久しぶりによく読んだと思っていたが、
数えてみるとさほどではない。
時間がないという言い訳をしても、やはり少ない。

評論や新書の類はまったく読んではいないけれど、
読みたい本は、ある。

読む愉しみにひたる晩春、初夏の宵である。
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by kazeyashiki | 2012-06-01 21:00 | 読書 | Comments(0)

ある詩人のこと   

山之口貘さんの詩との出会いは高田渡さんの唄だった。
とてつもない貧乏詩人がいた、と渡さんがラジオで語っていた。

だけど貘さんは「精神の貴族」だったと言ったのは茨木のり子さんだった。

「獏さんは詩を書き、雑文を書き、講演し、テレビにもでていっしょうけんめい働きましたが、生活は楽になりません。一編の詩をつくるのに四年もかけるような潔癖さでは、採算がとれるはずもなかったのです。
 生涯、借金につぐ借金で、首がまわらず、たいていの人なら、いじけてしまうところですが、獏さんはだれよりも貧乏したのに、心は王侯のごとしという、ふしぎな豊かさをますます自分のものにしていった人でした。そのみごとな心意気が、多くの人をひきつけずにはいなかったのでしょう。町で、飲み屋で、喫茶店で、新しい友だちがいっぱいできてゆきました。(『獏さんがゆく』茨木のり子/童話社)

そして貘さんが亡くなった葬儀の様子を茨木さんはこう書いた。

「五百人の参会者のなかには、飲み屋のねえちゃん、靴みがきのおっさん、ツケのたまっていた喫茶店のマダムなどもはいっていて、この愛すべき詩人—だれよりも貧乏なのに現代日本のどんな金持ちよりも豊かに、ぜいたくに生きた、まったくふしぎな獏さんを、なごり惜しく、涙ながらにおくったのでした。」(前出同)

貘さんに「座蒲団」という詩がある。

 土の上には床がある
 床の上には畳がある
 畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽といふ
 楽の上にはなんにもないのであらうか
 どうぞおしきなさいとすゝめられて
 楽に坐ったさびしさよ
 土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに
 住み馴れぬ世界がさびしいよ

貘さんの詩集を持って、どこかふらふら歩きたいと思った。
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by kazeyashiki | 2012-05-17 16:00 | 読書 | Comments(0)

読んでいる本、呼んでいる本   

図書館から借りていた本を返す。
『映画はやくざなり』笠原和夫……いろいろと勉強になる書物だった。

新しい作家では、円城塔がいい。
思弁小説というのか、思索小説というのか。
ともかく、天衣無縫。
この人の、”時間”に対する考え方が好きだ。
また、円城塔から知った伊藤計劃の作品もこれから読んでみたい。
伊藤氏は34歳で早世した。

友人の父上の書『カフェハウスの文化史』(小川悟著)を読んでいる。
コーヒーとカフェハウスの歴史が、格調高い文章で書かれている。
三島由紀夫、澁澤龍彦、種村季弘、生田耕作に連なる文脈。
まだ途中なので、感想はまた後日に譲る。

佐野眞一と和合亮一の対談集、まだ途中。

司馬作品のうち、未読のものはかなりあるが、
先日『花神』と『峠』を読み終え、
いまは『草原の記』という短い紀行文を読んでいる。
池波さんは、『剣客商売』を楽しみながら、ゆっくりと。

つい先日、古書店で見つけた本、神吉拓郎著『洋食セーヌ軒』。
なかなか面白い。
片岡義男と村上春樹をシャッフルしたような味の短編がならぶ。
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by kazeyashiki | 2012-05-16 23:00 | 読書 | Comments(0)