カテゴリ:素描( 29 )   

夢の記録   

丘の上にある療養所のような七階建ての大きな建物にぼくはいて、そこには多くの治療を受ける人達もいるのだが、建物の造作は療養所ではなく劇場のようで、中央部分に広い空間があり、一階から四階まで吹き抜けの舞台になっている。


その空間に沿って狭くて渦巻き状の階段があり、二階三階からは舞台を見下ろすことができる。四階部分は天井に近く、照明機材などを吊るすバトンが造られている。そして、五階六階部分は天井裏で、階段から細長い通路がいくつも広がっている。渦巻き状の階段は木製で、歩くたびにギシギシと音がする。ぼくはその狭くて薄暗い階段を昇り降りして、まもなく始まろうとする舞台、おそらく古めかしい芝居の準備をしている。といっても照明や効果の段取りをしているわけではなく、二人の役者を連れて「このようにこの劇場は造られている」という説明をしているのだ。役者たちはついてくるだけで、この奇妙な空間に恐れをなしているのか、こんなものだろうと感じているのか、無言のままだ。ぼくは、もしかしたらこいつらは劇場に棲む幽霊ではないかと勘繰ったりするが、幽霊であろうが生身の人間であろうがどっちもさほど変わらないものだと納得している。


表に出ると、七階建ての建物はさすがに大きくて、しかも丘の上に建っているから威厳があるように思える。今から仕事が始まるはずなのだが、ぼくはどうしてもこの場所から離れなければならない事情があり、高名な映画監督と一緒に坂道を下りはじめる。途中、茶屋などがあって観光客が休憩している。床几に座った人々の横に水路があり、きれいな水が勢いよく流れている。


坂道を下りながらぼくは、ここは箱根あたりだと思っていたのだが、実は大阪の池田五月山のあたりであることに気づき、同行している映画監督に場所の説明をする。監督は「箕面の滝を見たい」と言い出し、五月山から箕面方面に向かう道を歩き出す。


その映画監督は世界的に有名な人物だと聞いているがぼくは彼の映画を見たことがないので話題がなく、あたり障りのない話をしているうちに箕面の滝道の下まで来た。最近の風景とは異なり、ずいぶん昔の箕面駅前の風景が広がっていて、埃っぽい。滝道を歩き出すと、舗装されていない土の道はずいぶんと歩きづらく、これではいつまでたっても滝にはたどり着かない、せっかく案内している(多忙なはずの)映画監督が気の毒だと感じている。しかし監督は悠々と歩いていて、「滝を見終わったら、4時までに八王子に行けばいいから」などと言う。ここは大阪の箕面だから、八王子に数時間後に行くなど無理な話だとぼくは思っているが、あえて何も言わず、滝へと歩を進める。だが、滝の流れ落ちる音はするのだが、なかなかその姿が見えない。滝とはそんなものだという思いもあるが、監督に見せてやらなければ悪いという気持ちもある。


2017年8月31日の午前2時ころに見た夢


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by kazeyashiki | 2017-08-31 17:40 | 素描 | Comments(0)

夏よ   

三好豊一郎の「トランペット」という詩の中にこんな一節がある。


“――夏よ、とびちる火の斑点の夏よ、

ひまわりのすがれた花のかげに埋葬される痩せおとろえた老人たちの夏よ!”


八王子で煙草屋を営んでいた三好豊一郎さんを吉増剛造氏が尋ねた話を、

現代詩文庫『三好豊一郎詩集』の作品論・詩人論に書いている。

それを読んでぼくも八王子に出掛けたことがあった。

2000年の夏のことだ。

すでに煙草屋はなかった。探せなかった。

だが、そこは駅前からすぐのところなのに狭い路地が縦横し、

迷路のようでぼくは迷った。

汗がしたたり落ちるほどに暑かった。

三好さんは夏の詩人なのか。


“――夏よ、みじめな陽物崇拝者のうごめく夏よ、

警官が叫び、群集がわめき、子供がうたう夏よ!”


おそらく昭和の、戦争が終わってすぐの頃の夏に三好さんは生きている。

その夏は、いくつかの遺伝子を残しながら今の時代にまでつながっている。

だが、もちろん遺伝子のことなど誰も知る由もない。

分母は夏だけ。

平安の夏も、室町の夏も、江戸の夏も、大正の夏も、夏は夏である。


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by kazeyashiki | 2017-08-11 23:11 | 素描 | Comments(0)

炎暑三都物語   

朝から阪神特急(車輌は山陽電鉄)に乗って神戸三宮へ。
打合せが終わり、阪急の駅へ向かう。
街は燃え上がるような熱気と人いきれ。
チャイニーズ系の女の子が海水浴場のような恰好をして歩いている。
大きな歓声をあげて笑って元気がいいなぁ。

阪急特急に乗って(比較的すいていた)十三経由で河原町へ。
八坂さんの方に向かって歩き、祇園を南下。
前祭と後祭の間の祇園さん。多くの観光客でにぎわっている。
花見小路の一本西、建仁寺近くの路地で、
押し車のおばあちゃんが立ったまま暑さを鎮めておられる。
ぼんやりと前を向いたまま。ちょっと気になる。
声をかける間もなく、ゆっくりと歩きだされた。大丈夫そうだ。

京阪特急に乗って終点淀屋橋まで。
大阪も暑いだろうなあ。豹柄服を着たおばちゃんが汗をぬぐいながらも、
元気に御堂筋を歩いているのだろうか。
御堂筋にはおられないか。

炎暑三都物語。
阪神、阪急、京阪の特急車両はいずれも涼しい。

京阪電車は淀川から木津川を越えていく。
雨が降り出しそうだ。
と、携帯に天気予測情報が入る。
「大阪市中央区 非常に激しい雨(58mm/h)……。
う~む。

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by kazeyashiki | 2017-07-21 17:07 | 素描 | Comments(0)

物真似文化   

 以前は田中角栄の物真似をする芸人や芸達者な音楽家がいたけど、今、安倍さんの真似をする者は見かけない。真似しづらいんだろうか。と思っていたら、斎藤美奈子さんが新聞で、文字による安倍首相の語り口を書いていた。


 政治家に対する諷刺は本来わが国では少ないようで、国民性として好まれないのかもしれない。


 だが、物真似文化は歴史的に豊かな国であるのだ。古くは天武天皇時代の伎楽などは一種の物真似芸であるし、狂言や歌舞伎、浪曲などにも物真似が多く含まれている。


 現代でも多くの物真似芸人がいて面白い。人間どころか、鳥獣や草木、道具音まで真似る芸もある。あまり欧米諸国ではないように思う。

真似る=学ぶなんてことをいうが、技術は「見て真似る・見て学ぶ」ということなんだろう。政治家の真似は生々しいから…と敬遠する日本人気質。何となく納得できる。角栄さんの物真似も、氏のあの声と雰囲気にある種の共感があっての物真似だった気がする。


 こうした穏やかな気質の日本の精神文化はいいなぁと思う。最近、どこかトゲトゲしさが漂う社会に違和感がある。おそらく自分は平和ボケなんだろうなあ。


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by kazeyashiki | 2017-07-12 14:03 | 素描 | Comments(0)

工事現場の男の横を   

今日、近くのビル建設現場の前を通った時、
建設作業員が働いている中に年老いた男がいた。
ヘルメットに作業ジャンパーはみな同じだが、
白くなって伸びた髪がはみ出したのが見え、顔を見たら老いた男だと分かった。
その男は、若い、といっても四十を超えた恰幅のいい男から注意を受けていた。
老いた男は両手に、ビルの床に張り付けるためのものなのか、
30㎝角のタイルを何枚も載せて運んでいる最中だった。
四十の男は怒気は含んではいないが、励ますという感じではなく、
叱っているのでもなく、老いた男にぶっきらぼうに言葉を投げかけていた。
男は顔をしかめ、小股で四十男の後をついていく。
両手のタイルを家宝の大皿を運ぶような腰つきで。
働くことは苦しい。これまでの経験など何も通用しない現場ばかりだ。
まして年を取れば、仕方なしに雇われている現実を押し付けられる。
しかし働かなくてはならない現実もある。
それを不運というか、努力不足と呼ぶかは知らない。
若い頃のツケが回ってきたからだとも言うかもしれない。
だが、老いた男よ、体が動くならあなたは働こうとするだろう。
なぜかそう思う。
通り過ぎただけの者が余計なことを言うが、
あなたの横を通り過ぎていった10秒か15秒の間に長い年月が過ぎた。
死ぬまで働くと言った言葉をあなたは死ぬまで繰り返すだろう。
それがこの世の幸福ならと笑ってあきらめて。

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by kazeyashiki | 2017-03-01 01:49 | 素描 | Comments(2)

おかしな夢   

 標高600mくらいのところにある小さな神社を調査するため山路を歩いている。長らく人の手が入っていない社と聞いていたが、石段下まで来て見上げると、鳥居も掃き清められた石段の上に建つ社も光を浴びてキラキラ輝き、その中を幾人もの神職者や作業服を着た地元の者達が行き来している。「これは……調査の必要はありませんかも」と同行者が言う。


 すると別の者が地図を広げ、「この近くに白い建物の、神社とも寺院とも呼べない原初的な遺構があるなぁ」と言う。地図に描かれているのは、井戸を示す印である。ともかく向おうと歩き出した。


 途中、顎の尖がったやくざな男が塩っぱい声で「あすこへ行くには儂に支払うもん支払え」と喧しかったが、白紐で囲われた区域から外へ出てくることはないので我々の行く手を阻むことはなく、通り抜けることができた。


 やがて遺構が見えてきた。たしかに井戸のように見えるが、遺構とは思えないほどの純白さで、底を覗き込んだ者によると「鏡のように磨かれた水面が見えました」などと言う。調査隊は役目の終了を感じ、退散することになった。


 私は、木造二階建ての軒並みが続く古びた商店街を物見遊山しながら歩いていたが、見慣れた建物が視界に入ってきた。露天風呂や薬湯、電気風呂などの派手な看板を掲げた風呂屋で、その裏手に私は間借りして住んでいる。一旦部屋に戻るか、そのまま湯に浸かるか一瞬迷い、立ち止まっている時に目がさめた。


 別段、何ということもない夢だが、寝覚めはそこそこ爽快だった。


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by kazeyashiki | 2017-02-25 16:59 | 素描 | Comments(0)

冬の旅人は   

弱々しい冬の太陽の下を歩いていると、
遠い日の冬の日を憶い出す。
それは誰もいない古い家の
火の気のない部屋で、
身の置き所もなく、
自分という不思議な存在に
戸惑っては吐息つき、
壁に手を触れては諦め落ち、
さみしい愁いに微笑む小さな人の方へ、
銀の鏡の光射す側へ、
椅子に埋まる記憶の中へ、
還って行きます。
そこは雪の楽園?
風の園?
冷たい薔薇の滴り落ちる結晶世界?
いつか失くしたマフラーが、
君のことを待っていたんだ
という顔して巻きついてくる。
浮かびあがるような冬の旅人は、
思い出せない想い出のために
新しい靴を買いに行く。
あの黄色いともしび灯る茶色い店へ。
曇り硝子のチョッキ親爺のあの店へ。

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by kazeyashiki | 2014-12-06 02:22 | 素描 | Comments(0)

墓参   

おびただしい記憶の集積地
である墓地を歩くのは
なぜか気持ちが安らぐ
風薫る春の午後
だからというわけでもなさそうだ
列んだ墓石はやはり家々であり
墓地は街
鳥と蝶たち
そして撒き石の下にマルムシ
むかし憶えた唄を口ずさんでみる
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by kazeyashiki | 2013-04-14 14:18 | 素描 | Comments(0)

関山   

ヤエザクラは八重咲きになる桜の総称なんだそうです。

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そして写真のは、関山と書いてカンザン。
母の通院途中、車いすを押しながら行くと、
豊中の桜塚界隈に〈はにわロード〉という道があり、
そこでこのヤエザクラが咲きほこっていました。

古墳が数多くある地域だから〈はにわロード〉。
ロードじゃなく、街道とかにしてほしいね。

座っていた母が声をあげたのは言うまでもありません。

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そして今日は父の命日。
2004年のこの日は、白い桜の花が満開だった。
亡くなった病室の窓から風に揺れる桜を眺めた記憶がある。
遠い日の夢のような風景として今も残っている。
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by kazeyashiki | 2013-04-10 16:42 | 素描 | Comments(0)

静水   

静かに
ひたひたと
いまも流れ出している

沁み込み
解けて
深く
おびただしく
決して浄化されることのない
反自然の

生物であるこの地球の細胞に
ウィルスが拡がっていく
物憂く足下を
見るしかないのだろうか

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by kazeyashiki | 2013-04-08 16:30 | 素描 | Comments(0)