カテゴリ:大坂と大阪( 9 )   

住民投票が終わって   

住民投票が終わり、大阪都構想は消えた。橋下市長は任期満了まで務めるが、来年早々には新たな市長のもとに新体制の大阪市政が始まる。

これまで他府県の友人知人に、橋下さんの構想について感想的に聞いてみたが、もちろん大阪のことに多くの人は興味がない。人物的な好き嫌いレベルの話が多かった。たしかに橋下さんは人騒がせな人だと思うし、作為的であるにせよ、そこが嫌われる要因になっていたと思う。独裁、なんて言葉を肯定的に使ったりしていたしね。

しかし、大阪市民としては、税金の無駄遣いという負の点を考え含めても、地方都市のあり方、行く末を考えるための撹拌が行なわれたのではないか、という気がする。

大阪市をはじめ、地方都市は本当に大変なことになってきていると、各地へ出かけるたびに思う。他県の公務員の方と話をすればその実態と窮状を具体的に教えて頂けるし、街の飲み屋で初めて会う人と酔いにまかせて話しても、その街が良くなるという話題は実に少ない。大阪も同じだ。都市としては規模は大きいし企業も多いけど、幸福度がどの程度なのか、自分の尺度、自分の目線から計ると決して高いとは感じない。

ともあれ、一つの結果が出た以上、橋下市政以後の市政に期待し、市民である自分に何ができるかを考え、問いかけ、動いていくことだと思っている。政治という仕事に必要とされる硬軟な力の配分はとても難しいことだし、為政の能力が重要だと思う。自分は大阪という街が持つ良さを控え目かもしれないが楽しませるように伝え、そこから連鎖して近隣、他府県との有機的で興味深い関係性を持てるように広めていきたいと思う。それしか自分にはできないと思っている。

投票が終わってこんなふうに思います。
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by kazeyashiki | 2015-05-18 10:58 | 大坂と大阪 | Comments(0)

  

よく降る雨に人々はあぁ雨まだ降っている…と呟き、地下鉄の出口から乳色の空の下へ踏みだしていく。

飽きずに降るこれだけの雨に桜は濡れ、散り、留まり、耐えて、舞う。

天王寺の歩道橋も、人々行き交う天神橋も、昼間は暗い阪急東通り商店街も、御堂筋もひとしく煙り、カラオケ屋の宣伝兄ちゃんは雨やからちょっとちょっとと客を引き込む。

誰の上にも雨は平らに斜めに降る。四月の長雨はにじり寄るように人間を疲れさせているのかもしれない。

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by kazeyashiki | 2015-04-15 08:22 | 大坂と大阪 | Comments(0)

通天閣界隈   

先日、用事で天王寺へ出かけた。
難波から地下鉄。

用事終了後、ぶらぶら歩く。
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動物園前から通天閣界隈まで来たとき、
昼飯を逃していたので、思い出して「喫茶ドレミ」に。
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以前通天閣で番組収録をしたりLiveを見たりしていた頃、
よくこの店で食事をしたり珈琲を飲んだりしたなあ。

ピラフもうまいがイタリアンスパもうまい。
店内は観光客は少なくて、地元のおっちゃんたちが多い。
いい雰囲気である。

そしてイタリアンはやはりうまいのである。
粉チーズ、タバスコ、それにウスターソースまで、
ウエイターのおじさんが持ってきてくれる。
いろいろかけたい人がいるってことなんだろうね。
おれは粉チーズ少々。
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食後、珈琲を飲みながら外の風景をぼんやり眺める。
客待ちのタクシー運転手同士が笑いながら喋っている。
通天閣へのぼる観光客が通りすぎていく。

大阪にはオススメのスポットがなかなかないらしいけど、
この新世界界隈は人気があるようだ。
雑多な雰囲気があって、大阪らしいといえばそうだなあ。

帰路、自動販売機の前でその値段の安さに笑う。
こういう価格設定ができるというのが大阪の底力なんだろうか。
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堺筋線の駅にこんな看板があった。
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by kazeyashiki | 2013-10-16 16:02 | 大坂と大阪 | Comments(0)

怒濤の町   

♪~いつか風が吹いていた この町のかたすみにィ~
などと口ずさみながら、
大阪市内、天王寺の通天閣より南の界隈を歩いていた昨日、
西成と呼ばれる地域なんだが、物騒な町という印象が強い。

昼間から酒を飲んで道で寝転がっているおっちゃんは、
たぶん仕事にあぶれたのか、
気力がなくてずぶずぶと酔いどれ人生を送っているのか。

危ない町・釜ヶ崎。
かつては町全体が怒っていた。
しかし今は危険な匂いより凋落した町の印象が強い。

とある食堂の前で二人の男が口げんかしていた。
どっちもわしよりはかなり年配で、方言がある。
つかみ合いまではいかないが、激しく言い合っている。

怒濤ならぬ、罵倒やな…などと思いながら通りすぎようとすると、
食堂から女が出てきて、
店の前でケンカするのはやめてくれと腹に重心を置いた声で言う。
おっさんらは一瞬ひるむ。
だが罵る。
ふたたび女が声を上げる。
なかなかの迫力だった。

まるで芝居のようだった。

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阿倍野の墓場近くを歩いていたら、
遠くに、あべのハルカスが見えた。
眺めながら汗を拭いていると、おっさんに声かけられた。
「ハルカスは飛田から見るのがええんや」
ひとり言のように呟いた。
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by kazeyashiki | 2013-07-30 14:02 | 大坂と大阪 | Comments(0)

文楽にまつわる記憶いろいろ   

 初めて文楽を観たのは、高校生のときだった。このことを思い出すと、つくづく自分は不真面目で怠惰な生き方をしてきたと、うんざり、げんなりしてしまう。

 高校3年生になって、授業がすっかりつまらなくなった。学校に行っても仕方がない。授業は退屈だ。一旦そんなふうに思ってしまうと、それが真実になってしまう。登校する必要があるのか?と、朝起きて考える。もっとも一応、登校するのである。部活の朝練があったためだ。そして1時間目の授業を受ける。しかしその後がいけない。エスケープ、抜けだしてしまうのである。2時間目か3時間目くらいから学校を飛び出して遊びに行く。行き先はいろいろだ。喫茶店で朝からさぼっている仲間のもとに向かい、一緒にビリヤード場や映画館に行ってしまう。そこで2〜3時間遊んですごす。そして5〜6時間目の授業にはまた戻ってくるという案配。そのまま帰る、ということはできない。部活があったからだ。つまり授業の2時間目から5時間目まで、抜け出していたのである。時間でいえば、午前10時頃から午後2時頃までだ。

 これがなぜ文楽に関係あるのかといえば、このエスケープによっておれは卒業時に授業時間が足りなかったのである。テストは一応全部きちんと受けていたし、成績もまあまあだった。だが文部省か何かが決めている生徒の授業時間を満たしていなかった。その教科が2つあって、1つは国語、1つは世界史だった。卒業間近の冬、おれは担任から呼び出されて、補習を受けるようにいわれた。受験という大仕事があったのだが、すでにおれはその年のはじめに某大学に合格していて、あと何校か受験するつもりだったが、はっきり言ってどうでもよかった。だから3年生の3学期は、受験勉強に必死になっているクラスメイトを見ながら、「ま、がんばって」などと遊び暮らしていたのだった。

 国語の補習は、テーマは何でもいいから作文を書けというもので、これは楽々だ。授業に出ていないくせに国語の先生とは仲良くて、これはおれが図書部の部長をしていて、顧問が国語教師だったからだ。部活はラグビーだったが、図書部に加わっていたのだ。新刊図書を購入することだけが目的で、自分が読みたい新刊本を登録し、来ると図書館蔵書印を押す前に借りて読み出す。そのまま今も自宅の本棚に残っている本だってある。窃盗だ。だがもう時効だろう。図書館購入本のリストなどを作成して、図書部員としてしっかり働いているようにみえたからか、国語教師は結構おれを信頼してくれていて、「大学に行ったらこういう本も読むといい」と、手書きの書籍リストをくれたりした。そんな関係だったから、国語教師は補修用の作文について、「いいのを書いてくれよ」をハッパを掛けてきた。「はい」とおれは応えて、長い作文を書いて提出したと思う。何を書いたのかもうすっかり忘れてしまったし、評価がどうなのか聞く前に卒業してしまった。きっとつまらないことをだらだら書いたに違いない。

 一方、世界史である。Tという、なかなか面白い授業をする先生で、フランス革命について数時間の授業コマ数を使って熱心に解説したらしい。だがおれはその授業に出ていないのだから聴いていない。惜しいことをした。そのT先生が、世界史の補習に「文楽を見にいく」という。はっきりいって文楽などに興味はなかった。一応、大坂人の最低限の教養を身につけていた父が、飲んだ折に義太夫をうたったりしていたので文楽が何かは知ってたし、人形浄瑠璃ということも知っていたけど、「たかが人形芝居や」という認識だった。

 余談だが、義太夫はむかしの浪花の人々にとってはおなじみのものであったらしく、日常会話のなかにもちょくちょく義太夫の一節がはさみこまれていたらしい。たとえば「三つ違いの兄さんと」(『壺坂霊験記』)などは、町の飲み屋のカウンターで知り合ったりしたおっさん同士が、「ほんならあんさん、三つ違いの兄さんやおまへんか」という案配だったようだ。こういう会話を耳にしなくなってすでに久しい。酒席で義太夫をやる人もかつては多かった。詩吟なんかもそうだ。

 さて、T先生に連れられて出かけたのは朝日座である。今はもうない小屋で、道頓堀の戎橋の南、劇場がならんでいたなかにあった。西から浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座の道頓堀五座のひとつである。「世界史」の補習授業には、おれ以外にも結構な人数の生徒がいたはずなのだが、豪気な彼らはみんなパスしたのか、ひとりの女生徒だけが参加者で、彼女は内気で暗い感じの生徒だった。そしておれはその生徒と3年になるこれまで、一度も話したことがなかった。顔だけ知っているひとなのであった。

 T先生とは阪急梅田駅で待ち合わせた。そこから歩いて中之島へ向かう。劇場はミナミなのになぜ中之島かといえば、T先生は我々にご馳走しようと考えたからで、中之島中央公会堂地下にある食堂に連れて行かれた。先生は食券を売っているおばちゃんに「オムライス3つ」と言った。もう決めていたのである、メニューを。席に着くと「ここは初めてか?」「ここのオムライスを食べておくべきだ」とか言った。おれたちは笑って従うだけで、やがて運ばれてきたオムライスをしずかに食べた。

 そして地下鉄で難波へ出て、朝日座に向かった。入場したら、すでに開演中だった。そこでおれは生まれて初めて文楽、人形浄瑠璃を観た。演目など憶えていない。内容もすっかり忘れてしまっている。しかし劇場の雰囲気だけはかすかに記憶している。それはまだおれが小学校にあがる前、親戚たちに連れられていった芝居小屋の匂い、人いきれと笑い声やため息が交じる濃縮された気配と同じものだった。おれはとなりに座る生徒のほうを向くと、彼女も初めてであったため、神妙な表情をしていた。それからどのくらいそこにいたのだろうか。劇場を出たら夕暮れだった。季節は冬、たしか1月だったので日が短かった。

 T先生は「世界史で文楽はヘンだと思うだろうが、これも歴史のひとつだ」みたいなことを言って、「家までちゃんと帰れるな?」と念を押した。おれと女生徒は、地下鉄で梅田まで出て、おれは宝塚線、彼女は千里線にわかれた。T先生はきっとあの後、独りで飲みに行ったのだろう。

 これが初文楽体験というものだが、そのときは興味もなかった。むしろ、「辛気くさい」という感想を当時の日記帳に書いている。18歳にもなっていて、小説や詩なども読んでいたのだからもう少しマシな反応をしてもいいはずなのだが……。問題はそこだなと思う、省略していえば。

 大学生になり、京都に住みはじめて2年目に劇団を結成し、芸能に興味を持ちだす。大学では中世芸能史や、関山和夫先生の醒睡笑などの講義を受けはじめた。やがて宇崎竜童がロックの「曽根崎心中」をやっているというのを雑誌で読んだ。〈変わったことやっているなぁ〉というのが素直な感想だったのだが、毎年大晦日に京大西部講堂で開催されるオールナイトコンサートに宇崎氏のバンドが登場していて、それなりに親しみを感じていたのだが、文楽とロックは結びつかなかった。

 だが、学生時代には何度か文楽を観に行った。それは劇団宛に招待券が送られて来ていたからで、京都や大阪に出かけて観劇した。一緒に行った劇団員は、「人形が怖い」と感想を述べた。生きているように思えたからだ。おれはなまめかしく見えた。老女形の白い顔を見つめていると、なぜか高校時代に好きだった女の子のことを思い出したりした。もちろん人形遣いの顔や姿は見える。だが人形を見ていると周囲が消える。橋下市長はこの人形遣いの姿が見えることが云々……と言ったそうだが、おれは気にならなかった。

 先日、おれが加入している健康保険組合の集まりがあって、組合の理事長である竹本住大夫(七代目)さんの計らいで、文楽入門の会があった。住大夫さんの話も予定されていたが、体調不調のため参加されなかった。しかし大夫の竹本津駒大夫、三味線の鶴沢清介、人形の桐竹勘十郎各氏が登場し、それぞれの所作にかんする話をされた。これが面白かった。いわば文楽裏話的なものなのだが、知らないことばかりだった。なかでも三味線の鶴沢氏の話で、使っている三味線(太棹)は、糸(弦)だけが国産で、ほかの部分はすべて海外産だという点。糸は絹糸を縒って作られるのだが、滋賀県の木ノ本でしか生産されていないそうだ。津軽など三味線の盛んなところでも作られているように思っていたのだが、そうではなく、津軽三味線の糸はナイロン製だとか。この長浜市木ノ本の三味線の糸を製造している工場のことは知っていた。撮影したわけではないのだが、偶然前を通りかかって知ったのである。三味線以外にも琴糸も作っていて、「伊香具の糸」として有名だ。また、三味線の胴の部分は、前面が猫、後面は犬の皮を使っている点など、なかなか興味深かった。

 会では話の後、「艶姿女舞衣」酒屋の段 お園のさわりが実演され、有名(らしい)「今ごろは半七さん、どこにどうしてござろうぞ」のお園のクドキが披露されたのだが、面白かった。もっと観たいと感じたのだから、興味が湧いているということだろう。

 大阪市の文楽への助成金云々でかまびすしいが、昨日のニュースでは観客動員数が4割増になったという。竹本津駒大夫や桐竹勘十郎も仰っていたが、彼ら舞台に出る者はそれぞれ自営業者のような存在で、文楽協会から給与をもらっているわけではないそうだ。舞台出演費や必要経費は出るものの、あくまで公益財団法人文楽協会というプロダクションに所属する表現者であり、運営や経営から離れたところに立っているようだ。だから橋下市長が「技芸員が公の席に出てきて話さなければダメ」という言い方に対し、文楽協会の頭越しにあれこれ喋ったりしてしまうことは難しいとなる。では公益財団法人文楽協会は何をしているのか。ここが問題の根本であろう。

 かつて文楽は、松竹が支えていた。創業者の大谷竹次郎の文楽への貢献は相当なものだった。しかし赤字経営を長く支えることができなくなり、1963年に撤退。その後、大阪府市、文部省、NHKによって創立されたのが文楽協会である。つまりお役所的な雰囲気あふれる組織なのである。本来なら協会が前面に立って芸能者を守らなければならないのに、おそらくそういう思いはないのかもしれない。まあ、古来より芸人は世の浮き沈みにあわせて波間を漂う浮遊の衆であるから、これも宿命だといえば宿命だろうか。いずれにしても観客がふえることはいいことである。
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by kazeyashiki | 2012-08-09 00:00 | 大坂と大阪 | Comments(0)

縄文   

縄文時代の地形地図をみていると、飽きることがない。
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これは5500年前の地図である。

上町台地の突端に大坂城がマーキングされているが、
もちろん縄文時代に城など存在しない。
宰相山とあるのは、現在の真田山公園のあたりだ。
上町台地の西海岸は松屋町筋あたりだといわれているが、
西成区にある岸里が古くからその名のとおり岸であったことから、
松屋町よりすこし西側が海岸線だったのではないかと想像する。

鬼虎川とあるのは、遺跡のある東大阪市の石切あたり。
そこまで河内湾が広がっていた。

北部には千里丘陵、富田台地がある。
高槻市の氷室というところに住んでいたことがあったが、
アパートの目の前に広がっていたのが今城塚古墳だ。
継体天皇陵といわれながらも、宮内庁が認めていなかった古墳。
休みのたびにこの今城塚古墳内を歩き回ったが、
やがて継体天皇のことを調べ始めて、この異端者に興味を持った。

千里丘陵の西端は、おそらく池田市の石橋あたりだと思うのだが、
高校時代、この石橋のあたりまでかつて海であった、と先生に教わった。
だが、「かつて海であった」だけではよく分からないよね。
年代を聞いた憶えがないのだが、この縄文地図を見て合点がいった。

伊丹が台地であることは薄々気づいていたが、正式な名称だったのか。
JR大阪駅がこの位置だとすれば、尼崎はまだ海の中ということになる。

時空移動が可能だったら、一度は旅してみたいなあ、縄文時代に。
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by kazeyashiki | 2012-07-26 12:00 | 大坂と大阪 | Comments(0)

浪花の味   


仕事帰りに中西氏に案内されて法善寺近くのお好み焼き屋へ行った。
難波戎橋のアーケードを歩いていて、
表通りに面していない、若干寂れ気味の店で軽く一杯という気分だった。
立ち飲み屋はミナミには少ない。
しっかり飲み食いするのがミナミ流だろうか。

歩いているうちに無性にお好み焼きが食べたくなった。
味覚の記憶が騒ぐからだろうか。DNAにお好み焼きが入っているのか?
すると中西氏が「ええ店ある」と連れて行ってくれたのが、
法善寺に近い「おかる」という店だ。
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古くて狭くていい雰囲気だ。オープンしてから65年だという。
そう応えたのはまだ20代の若い女性店員で、彼女が焼いてくれる。
注文は「豚たま」と「いか焼きそば」、それに生ビールという定番だ。
これ以外にもメニューはあるがそれは何度か目に食べるメニューであって、
初めての店であれば、やはり「豚たま&いか焼きそば」で決まりだろう。

ここの店では、安物のフタをして軽く蒸し焼き状態にする。
生ビールを飲みながら待つ。
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仕事や家族の話など、内容は重たいのだが、
このトボけたような雰囲気の店が軽くしてくれる感じがした。

そして愛想のいい女性店員がやって来て、
お好み焼きをひっくり返し、そしてコテで思いっきり押さえつける。
ギューっと音がするくらい、彼女の手が震えるくらい、押さえつける。
「これがうちの店流なんです」
ちょっとした力仕事を終えた彼女がすっきりした笑顔でいう。
またしばらくして、ようやくお好み焼きが焼き上がった。
テーブルには置いていない黒い塊のようなソースを中央部に置く。
まさに「置く」感じなのだ。とろみありすぎの溶液になっているソースだ。
そして次に、テーブル上にある少しとろみがあるソースを流し込む。
「青のりと、かつお節と、マヨネーズをかけてもいいですか?」
無論OK。
すると、ビニールの携帯用マヨネーズを使って通天閣を描いてくれた。
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20年前から続けているサービスだという。
安物くさくて、けなげで、なかなか楽しめるサービスである。
こういうキッチュなサービス、結構好きだ。

お好み焼き、食べると、ふんわりとしてウマイ。山芋は使っていないとのこと。
おいしいので、すぐに食べてしまう。追加でまた「豚たま」を注文する。
すると今度のには、くいだおれ太郎を描いてくれた。
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浪花の食文化を代表するお好み焼き。
こんなものが代表やなんて、笑わば笑え。
だが、こういう子どもが喜ぶ味をおっさんも充分よろこんでいるのである。
夏のハモや、押し寿司や、冬場のフグなど、高いもんも浪花にはある。
だが、お好み焼きに惹かれる感覚が抜きがたくある。
粉もん文化は下世話で派手でやさしい女、という気がする。
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by kazeyashiki | 2012-07-01 12:00 | 大坂と大阪 | Comments(0)

282年ぶり   

先に金環日食が大阪で観測できたのは282年前。
1730年(享保15年)だそうだ。
日付は7月15日、陰暦ならば6月1日になる。
今回のコースと違って、中国大陸から北朝鮮、島根県松江市と鳥取市の間、
そして大阪上空から和歌山熊野灘方向に観られたとか。
時代でいえば、第8代徳川吉宗が将軍だった時代。
享保の改革を実行した人物、直訴の目安箱を設置したことも有名だ。
吉宗の改革は、いわば経済の安定化をめざしたもので、
大坂の堂島米会所が開設されたのが、享保15年9月24日のことだ。
ここでは現物取引もおこなわれたが、先進的な先物取引が実施された。
この先物取引は、世界で最初の試みであったことから、
現在シカゴにある商品取引所マーカンタイル取引所では、
「先物取引は、堂島がルーツ」と案内しているという。
いずれにしても前回の金環日食が観測できた282年前、
江戸時代の大坂の人々も、この天体の神秘現象を観たかもしれない。
次に大阪でこの現象が観られるのは300年後らしい。
2312年である。
さて、この時代の大阪はどうなっているのだろうね。
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by kazeyashiki | 2012-05-21 11:00 | 大坂と大阪 | Comments(0)

米屋の自販機   

なじみの米屋があって、オヤジは米に詳しい。
とりわけ東北の米産地との付き合いが深く、薦められるのはいつも山形や宮城のお米。
このところはずっと「つや姫がええんちがう?」と、
全国的に人気のあるこの品種を、百貨店価格よりかなり安く販売してくれる。
おかげでうまいメシを私は食っている。

今日でかけると、「ちょっとこれ見てーや」と、店先の自動販売機を指し示す。
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宮城県登米産のコメを応援しているのだという。
「福島産は、かなしいことに、全くアカンのですわ」
福島ということだけでだれも買ってくれないらしい。
オヤジも消費者にやりこめられるらしい。
「なんで福島のコメを売るんや!言いよるんや。腹立ちまっせ〜」
そこで宮城のコメを応援している。
この自販機の写真、つまりプリントは自家製である。
写真素材を自販機会社に頼んで、加工してもらったという。

この自販機、さまざまなメーカーの人気飲料が並んでいる。
ふつうは、アサヒやサントリーやダイドーは共存しないのだ。
だが、それもオヤジのごり押しで突破し、ごらんのとおり。
しかもペットボトル商品も含め全品100円だ。
これだけではない。
100円で飲料を買えば、右側の「おまけ」が付いてくる。
携帯カイロ、温泉の素、うまい棒のなかから選べる。

ここで買えば、一部が東北震災の寄付金になるという。
オヤジは嬉しそうに自慢するのだ。
「こういうことやっていかなアキマヘンねん」
こういう自慢は実に清々しいなあ。
自販機前で思わず半時ほど、話し込んでしまった。

近所にお立ち寄りの際は、ぜひとも買ってあげてください。
なんでもない、町のお米屋さんです。

〈島町米穀店/大阪市中央区船越町1丁目1−12〉
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by kazeyashiki | 2012-02-07 12:00 | 大坂と大阪 | Comments(2)