カテゴリ:世界( 59 )   

義父の死   

「あんた、何しているんや?」

棺の中で眠る男に、同年配の女が語りかける。

葬儀場の祭壇の前、顔の部分だけ開かれた棺を覗き込み、

口をハンカチで押さえて見つめている。

おそらく中学校か高校時代の同級生の女性だろう。

眠っているのは私の義父だ。

まさに、「あんた、何しているんや?」

というセリフがふさわしい、いきなりの終焉だった。

不慮の事故と勘違いした人もいるくらいに、

義父はあっけなくあちらの世界へ旅立ってしまった。

75歳。しかし、貌はその年齢に見えない。

ゴルフ焼けした皮膚は艶がある。

つい先月までグリーンの上を歩き回っていたのだから。

だが、もう義父はスイングができない。


義父がかけようとしたスマホを落とすという、

ふつう考えられない症状になったのは、つい20日ほど前のことだった。

「スマホも、クルマの手すりも、持とうと思っているのに持たれへんねん」

腰痛を訴え、自分の手が意のままにならない症状を感じすぐに病院に出掛けた。

ただちに入院。

腎機能がいちじるしく低下していた。

意識の低下、反応が鈍い。

そんなことを聞いて、見舞いに出掛けた。

嫁婿が見舞いに来たからか、元気な素振りをして看護師や栄養士を笑わせていた。

私は少し安心して、退院後の小旅行を提案した。


しかし、その後の経過は芳しくなかった。

ちょうど私の年齢の頃に心筋梗塞を起こし、心臓の機能が通常より良くなかった。

結果としてそれが原因で容態は急変した。

心臓は身体の配電盤である。

身体全体の血流を支配し、制御している。

そこが傷むということは、司令塔のないチームみたいなものだ。


6月15日早朝、義父はあわただしく旅支度をして、

向こうの世界行きの列車に乗ってしまった。


通夜には多くの人達が参集し、貌を覗きこんで語りかけていた。

私はそのすぐ横の、親族と書かれたいちばん前の席に座っていたから、

語りかける言葉が聴こえたのだった。

「〇〇ちゃん、早すぎるで」

年配の、「じゃりン子チエ」の花井先生のような男が顔を近づけて言う。

「どういうことなんや?10年早いやろ」

着替える間もなくやって来た作業服の男がため息をつく。

「なんでなんでなんで」

二人連れの、おそらくゴルフ仲間だろう、健康そうに日焼けした女たちが言う。


死にはさまざまな形がある。

唐突な死、長患いの死、長寿のまっとうする死……もっとあるだろう。

だが、死という分母は等しく同じだ。

どこかで読んだことだが、

「花が散るのは往生、実がなるのが成仏」だとすれば、

義父は実になったということか。


告別の朝、空は美しく澄み渡り、日差しは明るく、風が気持ちよい。

「こんな日は葬式よりゴルフやろ」

「ま、こんなに晴れたんは、おれの徳のせいやな」

そんなことを義父は言うだろうと集まった人たちは言い合った。


“無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法”


さようなら、お義父さん。


[PR]

by kazeyashiki | 2017-06-17 19:10 | 世界 | Comments(2)

林檎の種子   

 寺山修司の「書を捨てよ 町へ出よう』という映画を見たのはいつだったか。一乗寺の京一会館であったと思う。この映画に「もしも世界の終わりが明日だとしても、ぼくは林檎の種子をまくだろう」という言葉が引用され字幕で表記されていた。なんだかキザな言い方だなとその時は思ったものだが、今またこの言葉を頭の中でくりかえすと、こういうことを言う人も、映画の中で表す人も少なくなってきているのではないかと思う。

 いや、上映されている数多くの映画の中で、ふとした瞬間に、何か本質を突いているセリフが語られることはあるだろう。演劇や絵画、音楽をはじめ表現の世界においてもそれは同じだろう。だが、それらの言葉が取り上げられ、独り歩きしていくことが少ない気がする。本質を突くというのはぼくの主観的な解釈でしかないけれど、これだけネットが蔓延し、語られる言葉が膨大にふくれあがっているというのに、心を打つ言葉が見当たらない。どこか即物的で実利的で、現物支給の言葉のような気がする。現物支給は実用的でいいのかもしれないが、あまりに便利だとこれでいいのか?と疑問を覚えてしまう。

 「もしも世界の終わりが明日だとしても、ぼくは林檎の種子をまく」だろうか?と自問してみる。林檎の種子はどこで手に入れるのですか?ということを言う者もいるだろう。同時に、明日世界が終わる根拠が知りたいと質問する者もいる。どこに植えるのか?その時、空の色はどんな色?すでに地球のどこかは壊れ始めているのですか?助かる方法はないのだろうか?Q&Aのように質問が飛び交う。質問することにためらいがないのは構わないけど、考える前に尋ねることに僕自身も馴れている。当然、答えは用意されているだろうという甘えがあると思わざるを得ない。これって、やはり問題なんではないか。

 「読み、書き、考える」という言い方が学問の基本を成すものなら、そこに「問う」を加える必要があると言ったのは、S先生だった。問いかけることでグラウンドが広がると。しかし、僕は「読み、書き、問う」になっている自分を発見する。つまり、「考えていない」。情報過多は言い訳にならないと自戒した上で、なぜ「考えない」のかを考える。早く答えを知りたいからか。そんな性急さが必要なんだろうか。

 ふと思い出したが、寺山修司は飼っている亀に「質問」と「答え」という名前をつけていたそうだ。この亀たちは、仲が悪かったという。
[PR]

by kazeyashiki | 2015-10-28 10:20 | 世界 | Comments(0)

翼よ、あれが…   

いろいろなところへ出かけていろんな人と話をする。

原発は反対というとサヨクですか?と言われ、三島由紀夫さんの文学を賛辞するとウヨクか?と訊かれる。

ヨクはないからムヨクと答えるのはええカッコしいに思うし、両翼がないと飛行機は飛ばないなどというのも理屈っぽい。挙げ句、ぼくは複葉機が好きなんですなどと訳の分からないことを言っている。

翼とは議会の席の位置が由来なんだってね。
a0193496_10131860.jpg

[PR]

by kazeyashiki | 2015-06-17 19:57 | 世界 | Comments(0)

44年前     

今から44年前の今日、三島由紀夫さんが自決した。
このニュースをぼくは、中学校から帰って来た昼間のテレビで知った。
調べてみると、水曜日だった。
昼間に帰宅したのはなぜか、と考えてみたら、
おそらく試験時期で、学校が昼までで終わったからだろう。
居間で亡き母が昼食を作りながら、
「大変なことが起こっているよ」と告げた。
画面のなかでアナウンサーがいろいろと解説し、
自衛隊の建物の様子が映し出されていた。

ぼくはショックを受けた。
なぜならちょうどその頃、三島さんの本を読み始めていたからだ。
『仮面の告白』であることが日記帳に記されている。
当時14歳…ませたガキである。
その前に『潮騒』と『花ざかりの森』を読んでいた。
どの程度読み込めていたかは分からない。
だけど三島文体に魅せられていたことはたしかで、
興奮気味に日記帳に読書感想文を書いている。

ぼくは三島由紀夫の思想的な側面に関してはよく分からない。
思想であるのか美学であるのか、エロスとの関わりであるのか、
その後、さまざまな人の書いたものを読んだが納得できていない。
しかしその後読み進めた三島文学の作品群に、
小説家としての、戯曲家としての、俳優としての、
そして一人の昭和の男としての姿を、自分なりに解釈して来た。
その結果、思ったことは単純なことである。
もっと生き延びてほしかった…ということである。
1970年以降の日本、やがて来る狂乱のバブル期から、
阪神淡路大震災、アメリカ911、そして東日本大震災…
三島さんはどのように語るのかを聞きかった。
実に身勝手で、幼い思いであることは承知の上で。

三島さんが亡くなったのは45歳。
大正14年(1925)生まれであるから、
まさに昭和と一緒に生きて来た人物だ。
同年生まれには、梅原猛、田中小実昌、大滝秀治、桂米朝、
ポール・ニューマン、ロバート・アルトマンなどがいる。

最近、三島さんの本を読み返すことは少ないが、
久しぶりに読みたくなった。
何度も読んだ『近代能楽集』か『午後の曳航』、
豊中の岡町が舞台の『愛の渇き』も懐かしい。
『絹と明察』もいい。

三島由紀夫が思ったことと感じたこと、
氏が見た昭和の時代の日本から何か得ることがあるような気がする。

a0193496_11142835.jpg

[PR]

by kazeyashiki | 2014-11-25 11:15 | 世界 | Comments(0)

ラリトプル   


なぜか急にネパールのラリトプルに行きたくなる。
2002年に出かけたのかあ。もうずいぶん昔の話になってしまったなあ。
あの時はサッカーのW杯が開催中で、現地で日本の試合結果を聞いた。

a0193496_187286.jpg


ラリトプルというのが正式名だそうだけど、パタンと呼ばれているかつての古都。
撮影のために歩き回った記憶があるけど、何だか不思議な場所だった。
[PR]

by kazeyashiki | 2014-08-08 18:08 | 世界 | Comments(1)

古寺巡礼   

大正七年の五月、
20代の若き哲学者・和辻哲郎は、
唐招提寺から薬師寺、法隆寺、中宮寺などを巡った。

岩波文庫版は何度か改訂が重ねられたものだが、
ちくま文庫版は初版であり、
若い情熱に充ち満ちた表現がちりばめられている。

a0193496_14263469.jpg


先の戦争に召集が掛かった学生達が、
この本を手に奈良を巡ったという話を聞いた。
もう二度と見ることができないかもしれない日本、
そのもっとも明らかな姿がこの古い都にあり、
古寺の面影のなかに見いだそうとした。

a0193496_1425285.jpg


この本を持って奈良を経巡りたいな。
五月には行こう!
[PR]

by kazeyashiki | 2013-04-07 14:29 | 世界 | Comments(0)

一言居士   

 ぷよねこS氏が「なんとか居士」というタイトルをつけて日記を書いている。いわく、三食居士、慎重居士、秋待居士、銀輪居士……クセになるらしい。自分をいい表すのに居士はなかなか便利である。三食や慎重だけでは何のこっちゃ分からない。

 居士といえば「一言居士」を思いだすのが一般的だが、もうひとつおれが思い出すのが「果心居士」。司馬遼太郎に「果心居士の幻術」という短編があり、幻術使い、奇術師みたいな存在なそうな。信長や秀吉、明智光秀の前で幻術を披露したというが、実在したのかどうか怪しいようだ。小松左京の名作、『果てしなき流れの果てに』にもこの居士が登場した。

 居士は戒名にも付けられているが(女性の場合は大姉)、これまでおれは、墓所で「居士」と刻印された墓を見たことがない。なぜなのかと考えてみたら、居士は江戸期の武士に付けられるものだそうで、武士が少なかった大坂の墓所にはあまり存在しないようだ。大坂には江戸期2〜300名程度しか武士がおらず、それは現在も名が残る同心町や与力町にいたということだが、近辺の者ならともかく、大坂の町人商人のなかには一生、武士を見たことがない人もいたらしい。天満橋や天神橋は公儀橋で、基本的に武士しか使えないことになっていたが、大坂の場合はこれに倣わず、天神橋は多くの町人商人たちが利用したことは、江戸時代の大坂を舞台にした小説などに書かれている。高田郁さんの『銀二貫』が有名だし、司馬遼の『俄』の明石屋万吉もこの橋を渡った。

 居士には仏教に帰依した在野人の意味もあるが、仏教に関係なく、官職につかずに学識がある者のことを指した。千利休などがその代表だという。居士は別に処士とも呼ばれ、学があるので幕府からは重宝がられることもあったが、うるさがられることもあった。松平定信がおこなった寛政の改革に「処士横断の禁」という項があり、幕府を批判する者を罰したのだが、この対象が処士、つまり居士である。享保の改革、天保の改革と列ぶ寛政の改革は、田沼意次の重商主義による経済の混乱を改める目的であったが、庶民への強烈な倹約をはじめ、思想的弾圧も並行したので国力は低下し、国益が損なわれたと現在では評価されている。

 この寛政の改革について調べたのは、池波正太郎の『鬼平犯科帳』に関する仕事をしていたためで、この改革の際に「人足寄場」が江戸石川島(現在の佃)に造られた。これを提案したのが長谷川宣以、つまり火付盗賊改方長官である長谷川平蔵、鬼の平蔵であった。鬼平は実在の人物をモデルにしているのである。この「人足寄場」の建設は、当時の封建社会においては画期的ともいえる人道的な発想であると思う。ここは無宿人の職業訓練所であり、自立支援の場でもあった。こうした発想の背景には、火付盗賊改の仕事をするなか、罪を犯す者が故郷を棄てた無宿人であり、罪を犯さなければ生きていけなかったという現実をイヤと言うほど見てきた長谷川平蔵の視点があったからだろう。「人間はよいことをしながら悪いことをし、悪いことをしながらよいことをする。」と池波正太郎は書いている。無宿人がかならずしも生まれついての悪人ではないという性善説に立っている。そのために「人足寄場」が造られたのである。そしてそれは着実に機能し、治安維持に役立ったという。

 無宿人については、司馬遼太郎の『街道をゆく・佐渡のみち』の「無宿人の道」に詳しく書かれている。江戸で無宿人狩りがおこなわれ、佐渡へ連れて来られて金山の坑道に人夫として放り込まれた。彼らはすべてが罪人というわけではなく、無宿人というだけの理由で連行されて来た者たちだ。無宿人とは戸籍のない者で、人別帳に名のない者のことである。なぜ名がないのかといえば、江戸時代の刑罰は連帯責任制であり、出来の悪い息子などが犯罪をおかした場合、その一家が罰せられることになる。したがって不良少年たちは親族兄弟から縁を切られる。人別帳から名を抜いてしまうのである。これが無宿人であり、彼らは浮浪して、大都会・江戸の本所深川あたりに集まって来た。これを幕府が「狩る」のである。佐渡に連れて来られた無宿人は、ずっと鳥かごのような唐丸籠に押し込まれていて、佐渡島の中山峠まで来ると歓迎(?)の甘酒が振る舞われたというが、これはこの世の見納め、お慈悲であったそうな。金山に到着して親方が籠を大鉈で断ち切ると、無宿人が転がり出てくる。気を失う者もいたようで、地獄へやって来たと慟哭する者が多かったという。

 上州無宿といえば、木枯し紋次郎も無宿人だった。

 ともかく寛政の改革では、「人足寄場」の建設というよい面もあった。だが一方で思想弾圧、「処士横断の禁」といった無茶な令も発せられている。これも「よいこと悪いこと同時発動人間」の所以といえば所以か。

 ぷよねこS氏の日記からこんなことを思った次第。これはどうみても「一言居士」であるな、おれは。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-09-23 15:00 | 世界 | Comments(0)

少年兵   

 昨晩、BS2の「世界のドキュメンタリー」で、「少年テロリストたちの“夜明け”〜更生施設の18か月〜」が放送された。パキスタンにおける、タリバンに洗脳された少年たちの更正を描いたもので、彼らの洗脳を解く18ヶ月を追いかけたものだ。洗脳を解くために多くの精神医や宗教者が授業や面談を繰り返すのだが、懸命に更正プログラムを遂行するイスラムの宗教学者は暗殺される。また、洗脳が解けて帰宅を許された少年も、その後のことは分からない。いつまたタリバン組織に戻されてしまうかもしれない危険を孕んでいる。

 少年たちの多くは鬱状態であると解説されている。これまで「自爆テロをすれば、幸せな天国にすぐに行ける」「天国では何でも手に入れることができる」「そこは楽園だ」と教え込まれてきた少年たちに、「イスラムの教えでは人を殺すことは許されていない」「自殺と同じように、他人を死に至らしめることはイスラムではない」ということをこの施設で学んでいくことで、大きなジレンマに陥る。だからカウンセリングの場で少年たちは自分の経験したこと、真実を決して語らない。先生に対して目さえ合わそうとしない。こうしたことを何度も繰り返しながら、真実を語るまで根強く続けられていく。精神科医は女性である。ときには厳しく、ときには母のようにやさしく接する姿がそこにあった。ひとりの少年が帰宅した様子をカメラが捉えていた。少年の母、祖母、姉、妹たちが少年を抱きしめ、出迎える。しかし少年の村には仕事がない。街に出て行き、働くしかない。街に出れば、またタリバンと接触する可能性を否定できない。

 番組は、今ならオンデマンドで視聴できる。

http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/120903.html



 かつてアフガニスタンに出かけた折、少年兵を見かけた。彼らは大人の兵士に交じって、AK-47自動小銃を肩に背負い、自分も歴とした大人だという顔でおれたちを見つめてきた。だがその表情や仕草は少年のそれだった。同行していたNPOスタッフは、彼らが銃を手放して、学校で読み書き計算を習うことを目指しているのだが……と語ったが、彼らにはもうその気持ちがないのは明確だった。食堂で大人の兵士たちとメシを喰い、煙草を喫って冗談を言い合う。クルマの運転を任されて、緊張した面持ちを隠すためにへらへらと笑う。少年たちはタリバンではない。地域の司令官の下についている兵士だ。しかしそれが非タリバンかというと断言はできない状況がある。彼らはタリバンを敵であると考えていない。あくまで地域の治安維持が目的で、司令官は政府組織と関係はあるが、その地域にタリバン兵士がやって来たら、彼らの元で治安維持をする、という可能性もある。つまりタリバン非タリバンの境界線は実に危うい。

 ちなみに司令官の男は30半ばのよく喋る陽気な男で、おれたちと食事をしたとき、ビートルズが好きだと言い、旋律を歌った。

 おれたちがある村にクルマで乗り付けたとき、同じように少年兵が外部からの侵入者であるおれたちを取り囲み、お前たちは何者であり、何をしに来たのかを詰問した。NPOスタッフの現地人が説明したが、彼らは緊張した姿勢で立ち、おれたちに銃口を向けた。「それを下ろせ」と現地スタッフが何度も告げたが、彼らは司令官と村長と長老が来るまではダメだとくりかえした。やがて司令官がジープでやって来て、ようやく事態は安定した。

 丘の上に建てられたCLC(コミュニティ・ラーニング・センター)で撮影し、麓の広場まで戻ってきたら、少年兵たちがバレーボールをやっていた。ゲーム人数が足りないというので、おれたちも加わった。銃口を向けていた彼らは、そこでは笑顔の少年たちに戻っていた。コートの周囲の樹木にAK-47がいくつも立て掛けてあった。

a0193496_18525676.jpg

〈カブールの街角で物売りをする少年。学校へは行っていないと言った。〉


 宗教がからむ戦い、ということをおれたちは実感として持ち得ていない。信仰心はおれにもあるが、そこには仏教とイスラム教の違いはあるだろう。むろん地勢的な問題、多民族問題、大国の思惑などが複雑に絡んでいる。だが、竹島や尖閣諸島の問題に表出してくるナショナリズム、また、震災によるガレキ受け入れや、福島第一原発周辺地区への対応など、そこには解決が困難な同時代問題が点在している。裾野は違うが、自分という小さな目から見ると、うまくは言えないが、「見て見ぬふり感」が拭いがたくある。おれ個人という尺度でしかないことは重々承知した上での話であるが、不参加、非行動、黙り込みという痛点回避の志向が透けて見える。

 一本のテレビ番組を見たことで気づくこと。あまりに暢気といえば暢気であり、平和ボケといわれればその通りだ。「読み、書き、考える」の次に来るのは「問う」である。この「問う」ために「考える」があるのだが、実はそのすき間に「動き」「見聞きする」が抜け落ちている。

 動かない自分がいやになる。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-09-04 12:00 | 世界 | Comments(0)

国旗を燃やす   


他国を非難するときに、
相手国の国旗を引き裂いたり、燃やしたり、
という映像をテレビで見ることがある。
気分が悪くなる。
おれが暮らす日本の国旗はもちろん、他国の旗でもイヤな気になる。

一体、「国旗を裂き、燃やす」という行為は何なのか?
当然、そこには抗議の思いがあるのだろう。
しかしおれはこれまで日本人が、
他国の国旗をそのようにしている光景を見たことがない。
あるのかもしれないし、報道されていないだけかもしれないが、
目の当たりにしたことがない。
60年や70年安保条約反対のデモや集会において、
学生や労働者たちがアメリカの国旗を燃やした、という憶えがない。
憶えというか、そのような光景が撮されたものを知らない。

日本人は国旗を裂いたり燃やしたりしない国民性があるのか?
それは、国旗に対する敬意?あるいは、逆の意味かもしれない。
つまり国旗に対する思い入れがあまりない、ということなのだろうか。
もしそうだとすれば、これは教育のせいであろう。
おれは、国旗に敬意を抱く、ということを教えられた記憶がない。

今回の竹島、尖閣諸島の問題で、
韓国も中国もその抗議活動のなかで日の丸を裂き、燃やしていた。
これに対して怒っている日本人もいるだろうが、
怒り心頭、怒髪天を衝くという声や叫びが聞こえて来ない。
おれ自身も、怒りという感情よりも不快さの方が先立つ。

国旗掲揚、国歌斉唱にかんする議論は根強くつづいている。
だが、「日の丸」や「君が代」がある場面に立ち会うことが殆どないおれは、
「日の丸」や「君が代」への反発心も親和性も余りない。
それが戦後教育のひとつの結果だとすれば、
受けてきた者として考えていかなければならないとは思うものの、
感覚的で表面的なことを捉えてしまう自分の感性では、緊急性がない。
右翼の街宣車にはためく「日の丸」には思想的な匂いが満ちているが、
祝日に町の家々に掲げられている「日の丸」には穏やかな風土性を感じる。

かつてサッカーのW杯開催中に、ネパールを訪れた。
家々では、自分が応援する出場国の旗が掲げられていて、
ブラジルやスペイン国旗のなかに「日の丸」もあった。
これは嬉しかった。
スポーツ競技大会における国旗の役割は、国歌同様に大きいものだ。
こうした感覚の人は、結構多いのではないか。

国旗は裂いたり燃やしたくない、というのがおれの思いである。
曖昧で感覚的なものの言い方であることは承知の上なのだが。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-08-25 06:00 | 世界 | Comments(0)

厚顔無恥と巧言令色   

最近、まったく自分はこの〈厚顔無恥〉だ、と思うことがしばしばある。
辞書によると〈厚顔〉とは、『詩経』由来の言葉で、
外面をよく見せて、内面の恥を巧みに隠すことを意味する。

おれは一応何事かを書いて表現し、それで仕事をしているわけだから、
〈巧言令色〉なんて言葉もあてはまるのかもしれない。

というのも、あまり物事をしらないのに知っているふりをしたり、
考え抜いて表現しなければならないことを怠り、
きわめて感覚的に事物や事象についてもの言っている気がするからだ。
具体的なことで喩えるのはいまできない(考えが浅い)が、
世間のさまざまなことに対して、あまりに表層的で考えが足りぬことを、
さも知っているように、分かっているように書いてしまう。

これはイカンことだと思うのだ。
そういう反省というか、立ち止まって忸怩たる思いに囚われる、
そういう気持ちになっている。

ひとついうなら、
それは、考古学の本を数冊読んだことが契機かもしれなかった。
この学問のとば口、門前の遼か手前にやってきて、
自分の無知さにたじろいでしまった、という感覚がある。
もとより考古学だからというわけではなく、
世の多くの学術分野のことにしても同じことであることはいうまでもない。

なにを今さら、ではある。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-07-24 08:00 | 世界 | Comments(0)