カテゴリ:農業( 16 )   

福島浜通り   

今日は、東日本大震災から2年目である。
地震、津波、原発事故とそれぞれ語られることは多いが、
これらの語彙からはさまざまな事象が枝葉を伸ばしている。

地震からは活断層や次に到来する巨大なものへの警鐘が、
津波からはその被害の大きさと対策が、
そして原発からは未だ見出せないこれからの原子力発電のこと、
さらに放射能による健康被害、無人の地と化した福島の町々。
おそらく原発に関わることの闇がいちばん深い。
国家のエネルギー対策に原発がどのくらい重要なのか、
その根拠となり、納得できる説明がなされていないように感じる。
やがて被害を受けた人々のことが出てくる気がしてならない。

おれは福島の浜通りに何度かでかけたことがあった。
その地域のことがずっと気になっている。
立ち入りが禁止されていた区域で、現在も町民はそこにいない。
双葉町、浪江町の農家を訪ねたのは2007年のこと。
農機具メーカーの撮影だった。農家の人達にいろいろな話を聞いた。
コマーシャル映像だから彼らはメーカーのことを一様に褒めたが、
もちろん農業は機械だけがするものではない。
むしろ機械は二の次で、大地と作物、そして人がいてこそのものだ。
そのために朝から晩まで彼らは田畠に出て世話をする。
百姓とは百の名を持つ人のことで、百人力の換喩だ。
それは、米という文字が「八十八」と書くように、
その回数、手を入れることで実りをもたらすという話に通じる。
つまりそれだけ懸命に育てることを表している。

「浜通りは気候がいいからね」よくそうした言い方を聞いた。
福島の中通りや会津に比べてという意味で、この地域の人々は笑顔で言ったのだ。
だがそこは東北地方、やはり冬場は寒く、風も強く、作業はきびしい。
彼らが自分の暮らす土地のことをいとおしく思っていることが伝わって来た。
だが今、彼らの大事な農地は手が入らないまま放置されている。

80歳を越えた方がこんなことを言っておられた。
「18の年から米作りをしたとしても、60回くらいしかできないんだからね。」
年に一度の米作り、ひとの一生のうちに作れるのは60回程度。
「私はもう米を作ることができないのです」
そう言って彼はうつむいた。
だが、彼の子どもから孫へ米作りは受け継がれている。
「守ってきたから、私の代で途切れさせるのはね……。」
小作農であったのか、戦後の農地解放で得た田んぼであるのかはしらない。
だが、その田んぼはその老人の父、祖父、祖先から受け継がれて来たのだろう。
それを守っていく役割を彼は担ってきた。

だがいま、あの一家はどうされているのだろう。
確実に分かることは、あの田んぼはだれの手も入らずに、
畝が崩れ、畦から水は流れ出し、雑草が生えているということだ。

いつかあの町へ行こうと思いつつ、行けない自分に腹が立つ。
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by kazeyashiki | 2013-03-11 12:21 | 農業 | Comments(0)

う〜む、TPP。   

TPPはおそらく日本の農業を壊滅させるように思う。
アメリカ産のコメが関税なしに入ってくると、10キロで500円前後の価格となる
(もっと安価になるという人もいる)。

農家を営農化して、アメリカ型の大規模農業に転換せよと政府はいう。
しかし国土と農政の違いをどう考えるのか?

日本の農家が作物を生み出さなくなり、
アメリカで旱魃や稲熱病が蔓延して収穫が激減したとき、
日本人は食えなくなるのではないか。

町工場の従業員が、
TPPは自分たちが製造している工業部品が、
自動車やその他の製品となるのだから賛成だと言っていたが、
工場から家に帰るとコメがなかったら、さみしくないか。
居酒屋の暖簾をくぐっても、パンやピザばかりじゃ満足できるか。

アメリカは農作物の関税を撤廃することで国益を上げようとしているのだ。

日本の農業、農村、農民が好きなおれにとって、
TPPは異議、反対を唱えないわけにはいかないのです。
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by kazeyashiki | 2011-10-27 14:00 | 農業 | Comments(0)

ドキュメンタリーについて   

ぼくは映像やそれに関する手法、技術の勉強をしていないばかりか、
映像そのものについてもまったく学んだという経験はない。
やって来たのはテレビ番組の構成台本を書き、
企業のPR映像の台本をそれなりの数、書いてきたというだけだ。
それ以前は芝居の脚本、戯曲を書いていて、書くことが好きだった。
それを見ていた旧友の塩田君が、書く仕事に誘ってくれたおかげで、
映像の世界の片隅の小さな切り株に、居場所を見つけた。

見るほうでは、かなり昔の話だが、小学生の頃だろうか、
「砂漠は生きている」という教育的なドキュメント映画を見て感動した。
つまりアニメを含め物語として創作されたもの以外の映像、
ドキュメント映画というものがあることを知ったのはこの時だった。
もちろんディズニーアニメや「西遊記」などのアニメーション、
子供向きに作られた映画なども、となり町の池田にある映画館でよく見た。

いま、ドキュメンタリーと呼べるのかどうか分からないまま、
宮城と福島の農家・農地を題材にした映像と写真を記録している。
これを秋の収穫まで続けて、一本の映像作品としてまとめようとしている。
映像、写真、文章という三要素を含んだ形にしたいと考えている。
それは販売用ではなく、あくまで自分の表現のひとつとして捉えている。
一本の芝居を上演するという感覚に近い。
そのことを日々、少しずつだけど考えつづけている。

2002年に友人のプロデューサーから某NPO団体の映像制作の依頼を受けた。
当初はシナリオだけを書く予定だったが、予算的に演出もといわれた。
「できない」と断ったものの、協力体制を敷いてくれるというので承諾した。
カメラ技術への理解、編集といったことに無知な自分がいたが、
なんとかなるだろうと軽く考えて引き受けたのだった。
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〈青空教室@ネパール〉

それはNPO法人が展開する教育的な啓蒙活動を支援する映像で、
アジア諸国〜カンボジア・バングラデシュ・ネパール・ヴィエトナムにおいて、
教育の機会を失っている子供たちの現状をリポートするという内容だった。
翌年にはこの4ヵ国にアフガニスタンとインドが加わった。
その6ヵ国をまわり、1ヵ国10分程度の映像作品を制作した。
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〈家の庭で勉強する子供たち@アフガニスタン〉

これらは基本的にドキュメントの手法で制作したのだが、
ではドキュメントとは何か?ということに対してぼくが持ち合わせていたのは、
決してしっかりとした考えではなかったと思う。
ドキュメントというのは、森達也さんなどの本を読むと、
報道が公平中立的であったとすれば、制作者の世界観がそこに投影されている映像、
ということになるのだが、その当時はそこまで明確な考えなどなかった。
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〈仕事をする子供たち@ネパール〉

依頼主のNPO法人の考えを反映させてシナリオを書けばいい、
と気楽に考えたのだが、
現場のことも知らずにシナリオを書くということは不可能であるとすぐ気づく。
そこで現場を見ながら考えるということになる。
だが、考えている場合ではなく、現場に行けば撮影が優先される。
つまり撮影しながら考えることが求められる。
これまで音楽番組や企業の広報映像を作ってきたぼくにとってそれは未知の世界だった。
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〈仕事をする兄と妹@カンボジア・トンレサップ湖〉

結局アジア諸国での撮影の間、ぼくは懸命にノートを取りながら取材し、
同時にカメラが回っていた……という、実に危なっかしい制作スタイルで仕事を終えた。
依頼主の意見、現場のプロデューサーの意見なども聞いたが、
何よりも取材する状況から得ることが優先したいと思いつつ進めた。
このときよく話をしたのがカメラマンで、彼の見る目線に同調させることが多かった。
それは、事実を事実のまま撮影するということで、
カメラマンいわく「それしかできないでしょう」ということだった。
今は亡き森川法夫さんである。
数々の現場経験を踏んで来た彼から教えられることは実に多かった。
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〈森川カメラマン@インド・ゴカックのホテルの庭で〉

そしていま、宮城と福島にでかけ、
宮城では仲間を津波で失い、
農業ができなくなった仲間に心を痛める佐々木さんの作付の一年を追いかけ、
福島では、作付できなくなった田畑の様子を撮影している。
まだ福島の農家の方々の声を聞くことはできずにいるのがくやしい。
無理はしない、いや、できない性分だが、
出来ることを着実に進めようとしているだけだ。

もとより当初の動機は、
地震と津波によって傷んだ農地、農民はどうなっているのか、ということであり、
誤解を恐れずにいえば「好奇心」であった。
現地へ出掛け、どのような形でこの一年、農業をおこなっていくのかを見たかった。
その上に、東京電力の原発事故による被害が福島県を襲い、
耕耘することもできなくなった福島の農家への思いがふくらんでいった。
常に「東北の農家はどうなるのか?」という点が初心である。
ぶれるとそこに立ち返りながら、この秋までの稲作農家の現状を見ていきたい。
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〈田植えをする佐々木さん@日本・宮城県遠田郡〉
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by kazeyashiki | 2011-06-14 11:00 | 農業 | Comments(0)

福島の大地   

テレビで福島県のさまざまな状況が映し出されている。
飯舘村からは住民が移動している。「計画避難」ということだが……。

ぷよねこさんのブログに「どこかに美しい村はないか」という書き込みがある。
http://d.hatena.ne.jp/shioshiohida/20110607/1307379174
ここで「日本で最も美しい村」というサイトが紹介されている。
http://www.utsukushii-mura.jp/
【NPO法人「日本で最も美しい村」連合】という組織が運営しているサイトで、
このなかに飯舘村が入っている。
http://www.utsukushii-mura.jp/iitate-index

4月に福島県をめぐったとき、飯舘村には行けなかった。
行っておけばよかったと思う。下調べ不足を痛感する。
めぐったのは、相馬と南相馬の一部の地域だけで、
田んぼの写真は撮ったけど、農家の人たちの話を聞くことはできなかった。
いや、聞くことは聞けたのだった。
しかしビデオカメラはうまく回せず仕舞いだった。
冷静にカメラを向けることができなかった。
だが、話の内容は記憶している。その日のメモに内容を書いている。

「南相馬の沿岸部、クルマの腹を摺りそうな農道を走っていくと、海を近くに感じた。
 〈右田浜海水浴場〉という標識が見えた。
 一面、田んぼが広がっていて、さまざまなモノが柔らかな土の田に入ってきている。
 (ガレキ、とは言いたくない気分だ)
 クルマ、ブロック、材木、肥料などの袋、そして農業機械だ。
 オレンジ色の馴染みのあるトラクタがタイヤを空に向けた形で泥に埋もれている。
 その会社の者ではないけど、そこで仕事をしていた者としては見るに忍びない。
 活躍できないトラクタは哀しい存在だ。田んぼのなかの作業小屋が流されたのだろう。
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 田んぼの向こうから自転車に乗った男(60過ぎだろうか)がやって来た。
 あきらかにぼくの方に向かってやって来る。
 勝手に農地へ入り込んできたぼくは、抗議や非難されるだろうか。
 だが、そうではなかった。来るなり男は喋り始めた。興奮状態だ。

 〈全部やられた。全部だ。津波だ。見えたんだ。波が、白い波が見えた。
  仲間がいて、軽四で、窓あけて、波が来るって叫んでいた。四台いた。
  見たら、白い白い波、いつも見たことない波が見えて、こりゃダメだ。
  軽四がターンして戻ってくる。わしは自転車で農道行った。この農道。
  川からも水がこっちに来た。海からと川から両方。あの真野川からだ。
  背中で水の音がしていた。轟音じゃない。あそこの広い道まで走った。
  道まできて振り向いたら軽四が浮かんでいるんだ。乗っている軽四が。
  水がどんどんこっちへ来るから、また自転車で上の国道の方へ走った。
  ずるずると水がきて、軽四が見えんようになって、分からなくなって。
  一瞬のことで、何がなんだか分からなかった。地震の後に津波が来た。
  原発言ってたんだ。ダメだダメだって。そりゃ雇用あるよ、あるある。
  こうなってしまったらおしまいだ。今さらしかたがない。おしまいだ。〉

男は一気にまくし立てて喋っていた。こちらが話しかけられないくらいに。
記憶していることを並べただけで、この通りではない。翻訳し創作している部分もある。
だが、大意はこうだった。
やがて空模様があやしくなってきた。
男はふらふらと自転車を操作して帰っていった。
やがて、クルマで走りはじめると、落雷をともなった豪雨がやって来た。」
(日記メモから引用)
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南相馬も美しい風景がひろがるところだ。
その南相馬にある「道の駅」が6月1日から再開している。
http://www.nomaoinosato.co.jp/index.htm
4月に出掛けたときは閉鎖していて行けず、「道の駅そうま」で野菜などを買った。
この再開で、南相馬へ行く目的ができた。

飯舘村は南相馬から近い。計画避難で多くの村民が移動しているために、
空き巣などの防犯パトロール隊が巡回しているという。
単独で行動していると空き巣犯に思われる可能性は高い。この点だけは気をつけたい。
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by kazeyashiki | 2011-06-13 12:00 | 農業 | Comments(0)

田植えが終わり…   

宮城県涌谷町の佐々木さんから、
田植えがようやく終わったというメールが届いた。
5月12日に最初の田圃、一町歩を二枚と少しの田植えをスタートさせてからだから、
2週間強の期間がかかったということになる。
もっともずっと田植えばかりをくりかえしたのではなく、
トラクタによる代かき作業もおこなっておられた。
代かきというのは、田植えの前に水田の水を入れ、土塊を砕きながら漏水を防ぎ、
また肥料をしっかりと土に混ぜ込んで、田圃を均平にすることで、
田植機がスムーズに進むようにする前準備の大切な作業だ。
この代かき作業をおこない、それから田植機を稼働させて苗植えをされた。

メールによると、途中で田植機の調子が悪くなったという。
田植機の後部に除草剤撒布機というのがあって、
苗を植えながら、限定された量の除草剤を撒くのだが、
それの調子が悪くなった。この撒布機は「こまきちゃん」という可愛い名前で、
適量の除草剤を規則正しく撒いてくれるのだが、スネちゃったらしい。
結局佐々木さんは、背負い型の撒布機で除草剤を撒いたという。
広い田圃に入り、歩いて撒布するのは大変な労力だ。
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田植機〜後部の白い箱状のものが撒布機「こまきちゃん」


そうするうちに、今度は田植機の爪が1ヶ所、動かなくなったという。
「8年目の機械ですから!」と佐々木さんはいうが、
田植えが始まってから機械が故障してしまうのは本当にストレスがたまる。
メカにはいたって強い佐々木さんは、点検整備も怠っていなかったはず。
それでも機械は故障してしまう。

さらに不運なことに、トラクタもミッションのなかのクラッチが傷み、
動かなくなったそうだ。すぐに修理に出し、代車を借りて代かき作業をしたという。
佐々木さんのトラクタは40馬力のGL40という機種で、平成4年型。
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GL40キャビン型〜19年選手だ。


メーカーからは「佐々木さん、使いすぎだよ」と言われたらしい。
部品代込みの修理費が40万円かかるという。
「新しいのを買うかどうか、奥さんと検討中です」
というのだが、同規模のトラクタは新車価格で最低500万円はする。
それだけではなく、後部に付けるロータリ(代かきに使ったりする)を併せれば、
さらに価格は上がってしまう。
大規模な農業をするには大きな投資が必要なのだ。

6月7月は、草取りと水管理の仕事がある。
十二町歩という広大な田圃を回るだけで、時間はあっという間に過ぎてしまう。
「(震災で)田植えのできない人もいるから」
佐々木さんは一所懸命だ。
今回の台風で畦が崩れたりしないことを願うばかりだ。
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by kazeyashiki | 2011-05-30 11:33 | 農業 | Comments(0)

お米の話。   

あるサイトでこんな質問を受けた。

 「日本の水田の総広さは何haでしょうか? 」
 「日本国民の必要な米の総量はいくらでしょう?」
 「通常、作られる米の量はどのくらいでしょう?」

ネットなどで調べた。

農業白書によれば、
2008年度の日本国内の水稲の作付面積は162万4000ヘクタールで、
これは四国の面積と同規模だ。
そこからの米(玄米)の収量は881万5000トン、
日本人が消費したのは、831万8000トンとなっている。
玄米を精米すると量が減少するのですね。

ちなみに現在、
日本人1人が1年間に食べる米の量はおよそ60キロで、
スーパーで販売されている5キロの米で12袋。
そんなに食べているのかなぁ。
1960年頃はこの倍の120キロの米を食べていた。
年間60キロの米を食べるということは、1日にすると150グラム程度。
150グラムは白米一合に相当する。
150グラムの白米を炊飯すると、約2.3倍程度になり、
重量は350グラム程度になる。
日本人は一日にお茶碗2杯プラスαのご飯を食べていることになるのだ。

今回の震災でどのくらい米の収量が減少するか分からないが、
政府の備蓄米もあるため、減反政策は続行される。
うーん、どうなんだろうなあ、減反政策。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)による関税撤廃で、
安価な米(これがまた美味かったりする)が入ってくると、
日本の農家はどうなるのか。
震災によってこの議論が不足しているのは事実だ。
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by kazeyashiki | 2011-05-23 18:25 | 農業 | Comments(0)

田植え・動画   

今回の宮城行きに同行してくれた塩田氏が撮影&編集してくれた、
佐々木さんの田植えの様子を貼りつけます。

何となく田植えというのは分かっているつもりでしたが、
実際に関わってみると、いくつもの発見がありました。

まず、種まきをして育苗した青苗が、病気にもならずに育ったこと、
それらを軽トラに載せて田んぼまで運んで来ること、
トラックで運搬された田植機を圃場に降ろし、
苗箱から大きなコテで取り出し、田植機の台に運ぶこと、
そして田植機の運転者と助手が田植機のレーンにそれらを設置すること、
以上の行程をおこなってはじめて田植機を稼働させることができます。

スムーズに田んぼの中を進む田植機ですが、
そのためには田んぼ自体が「均平」でなければなりません。
つまり田植えをする前に、
「代掻き」という、トラクタのロータリによる作業があるのです。
田んぼ表面を平坦にし、同時に土壌に空気を入れておく作業です。
もし田んぼが平坦でないと、田植機はきちんと苗を植えることができません。

震災・津波に遭った田んぼには、塩水や多くの瓦礫が入り込んでいます。
塩水では苗が枯れるし、瓦礫があると田植機が稼働できません。
稲作の田んぼは、非常にデリケートに耕され、手をかけられた土の場なのです。

そして「水」。
用水路が震災によって損壊したところが多いので、
沿岸部の田んぼでは、
田んぼそのものより、周辺環境の整備からスタートしなければいけません。
用水路がなければ、何もできないのです。
そして田植え後は、毎日「水」の管理を丁寧にくりかえします。
よく台風の際に、
農家の方々が田んぼを見に行って流された……というニュースを聞きますが、
彼らは田んぼの「水」環境がどうなっているのか、気になって仕方がないから、
台風であっても、台風であるからこそ、田んぼに出掛けてしまうのです。
米は大切な子供、だと思います。

田植機を操作している佐々木さんは、事故で左手首を失われています。
しかし運転は非常に高度な技術で、農業機械会社勤務の頃は、常に模範運転者でした。
「真っ直ぐ進む」ということは、難しいのです。
最近は、畦にセンサーを設置して、赤外線による自動運転の田植機も登場していますが、
農家の方々の声としては、「何もそこまで……」というのが多いですね。

前置きが長くなってすみません。では、動画をご覧下さい。


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by kazeyashiki | 2011-05-17 10:00 | 農業 | Comments(1)

田植え・その1   

宮城県遠田郡涌谷町の佐々木さん宅の田植えに出掛けた。
「来てもいいけど、邪魔だけするな」
これが懐中に持ち続けた自戒であった。
しかし大の男がそこにいるだけで、邪魔は邪魔なのだ。
手伝いをするたって、技術もなければ知恵もない。
あるのは少しばかりの”力”だけ。
田んぼで使う力を”男”というが、果たして”男”になれるのか……
そんな大仰なことは考えていなかったが、ともかく出掛けました。

山形空港でレンタカーを借り、途中、温泉なんぞに道草を喰う。
大阪の垢を銀山温泉日帰り湯で洗い流した、
といえば聞こえがいいが、湯に身を沈めたいという快楽、我欲です。
だけど、気持ちよかった。
人気の湯・銀山温泉は正午過ぎであったのか、
あるいはこのたびの震災のせいなのか、閑散としていた。
以前、10年ほど前に訪れた折は大変な賑わいだった。

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銀山温泉

なつかしい尾花沢から中山平、鳴子を経由して遠田郡涌谷町に到着。
この辺りは大崎平野と呼ばれ、古来より稲作地だ。
遠田の名は、『続日本紀』天平六年四月の条に記述がある。
「田夷遠田郡領遠田君雄人を海道へ派遣する」というもので、
田夷とは農耕開拓の蝦夷のことらしい。
そして遠田は和名抄では「止保太」と書いて「とおだ」と読ませている。
涌谷町は、この町にある箟岳(のの-だけ)という山があり、
「箟」とは矢竹を意味する。
矢のような竹、あるいは矢に使われる竹が多く作られたことから、
「涌矢」という地名となり、それが「涌谷」に変化したと言われている。

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涌谷町の風景

いずれにしても広大な農地が広がる地域で、
ここで農家を営む佐々木家に「邪魔だけするな男」が出向いたわけである。

佐々木さんは、12町歩の水稲を作っている。
飼料用の米として「まなむすめ」を4町歩(4ヘクタール)作る予定だったが、
今回の震災で、4町歩を2町歩にして、普通米を作るよう指導されたそうだ。
「まなむすめ」を飼料用と書いたが、
「まなむすめ」は飼料用だけではなく、食用米である。
この品種は、「ひとめぼれ」の長所を継承した改良品種で、
平成9年には宮城県や福島県の奨励品種として採用されている。
佐々木さんの「まなむすめ」は飼料用というだけのもので、
飼料用の稲作は、普通米(食用米)より手間が掛からないし、需要もある。
そうした背景があるので、「まなむすめ」すべてが飼料用ではない。

12日の木曜日、早朝から田植えがスタートした。

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田植え風景

一番最初の田は1町歩の広い田が2枚で、
1町歩とは約1ヘクタール、縦横109.09メートルの広さがある。
昨年、圃場整備をした田で、8条植えの田植機で一気に田植えをする。
田植機で8条植えというのは大型機種で、これ以上は10条植えがある。
かつては12条植えのものもあったらしい。
もっともこの田植機というのは日本の技術が製造した農業機械で、
最初は歩行型だった。

「ロボットみたいだね」同行した塩田氏がいう。
積載された青苗を植え付け爪で挟み持って、田に挿し込む様子はロボット的だ。
しかも正確に等間隔で進んでいく。
真っ直ぐ走行させるのは運転者である人間の仕事で、
これがグネグネと曲がってしまうと、秋の稲刈りの際、
コンバインがうまく稲を刈り取れなくなってしまう。
佐々木さんが真剣な表情でハンドルを握っている。
そしてぼくはといえば、苗箱の積み替えという、これも大事な仕事を、
”邪魔しないように”手伝っている。

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田植えの風景

植えているのは「ひとめぼれ」という品種で、佐々木家ではこれが主流。
その他に、今では激減した「ササニシキ」も作っておられる。
「ササニシキ」は「コシヒカリ」と共に、一世を風靡した品種だが、
今は生産する農家が減り、一部の高級寿司店か、もしくは自家米になっている。
「ササニシキ」はとても美味い米なのだが、作るのが難しい。
いもち病に弱いし、気候変動にも耐久性がなく、しかも倒伏しやすいのだ。
昨年、塩田氏経由で佐々木家の「ササニシキ」を頂いたが、
やはり美味い。寿司ではなく、普通に茶碗で食べたのだが、食感がいい。
しかも弁当などに使うと、餅状にならないという利点もある。
農家にとっても「ササニシキ」を生産することは価格的にもいいのだが、
うまく育たなかった場合を考えると、やはり躊躇してしまうのだろう。

佐々木さんは左手首を損失されているので、カギ状の用具を付けて作業される。
とにかく真っ直ぐに田植機を走らせることが最重要課題。
運転席後部に苗を継ぎ足す作業をするために、奥さんが乗り込んでおられる。
「夫婦で、性格が合わないとか、好みがどうとか、
 そういうことは言ってられないよね」
塩田氏がつぶやく。二人三脚で懸命に働かなければできない作業だ。

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田植えの風景

手伝いに来ている方々(定年退職した人達だ)が、
「昔は手植えだったからね。それに比べると雲泥の差だよ」
しみじみという。
手植えの田植えを経験したことがあるので、その労苦はよく知っているが、
自分の場合はあくまで体験農業的だから、
何枚もの田んぼに出掛け、水田に入って苗を植え付けるという作業は、
本当に大変だったと思う。全国各地、水稲農家はみなそうだった。
米粒を粗末に扱うと祖父母に叱られた記憶が甦る。
「お百姓さんが一所懸命作ったお米を大事にせなバチがあたるよ」

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見守る人

朝から始めた田植え、1町歩と3反を終えたところで小休憩。
農道に坐ってお茶を飲み、おにぎりを食べる。
そんなに働いていない「邪魔だけするな男」にも分け前が回ってくる。
うまいのはいうまでもない。
朝飯もしっかり食べたというのに、腹が減る自分が恥ずかしいのだった。

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楽しい小休憩

                                             この項、つづく
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by kazeyashiki | 2011-05-16 10:00 | 農業 | Comments(0)

田植えの季節   

東北地方、宮城県が田植えの時期になった。
今日から数日、涌谷町という石巻からすこし内側に入ったところへ、
ぷよねこさんと出掛けてきます。

「来てもええけど、邪魔だけすんなよ」
このセリフは、映像の構成作家をやり出した時期、
先輩からよく言われたもので、たいがいベテランカメラマンから言われた。
つまりもの書きなど、現場に用などあまりないってこと。
たしかにその通りです。

今回の田植えも、このセリフが当てはまる、と思う。

大規模農家の田植え、8条植えの田植機が活躍する。
田植機には2人、畦では苗箱の積み替え作業をする人達、
苗箱を輸送する係、その他諸々の人達が働く。

一町歩の田んぼは広い。行く農家は十四町歩、あるという。
果たしてどのくらいで一枚の田に苗を植えるのか……
ま、この目で確かめてきます。

「来てもええけど、邪魔だけすんなよ」
今回もその類の者となって、初夏の東北をすごします。

……雨、なんかなぁ?
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by kazeyashiki | 2011-05-11 06:45 | 農業 | Comments(0)

4月16日(土)郡山から相馬、南相馬へ   

午前7時にホテルを出て、郡山駅前で7時半にクルマを借り、相馬を目指す。
福島に宿を取った方が便利だし、仙台からも相馬は近いが、
いいホテルが取れなかった。
それに明日、須賀川に立ち寄りたいので、郡山に宿を取ったのだ。
市内は地震による被害はほとんどないように見えるが、
古いビルなどの前には立ち入り禁止の紙が貼りつけてある。

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〈郡山駅前〉

相馬まで90キロ。中通りから浜通りまで山越えを行く。
のどかな風景が広がっていて、地震があったことが分かるのは、
家々の屋根瓦が落ちていて、ブルーシートが被されているくらい。
里山風景がやさしい。

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〈中通りから浜通りへ山越え〉

カーナビに従って、細い山道をぐんぐん登っていく。

2時間あまりで相馬に到着。
市街地はほとんど被害はなかったようにみえるが、
海岸沿いに走ると、家々、民宿、田んぼは津波で破壊的な被害を受けている。
東電福島第一原発から相馬はおよそ50キロ。
「道の駅そうま」に立ち寄る。

前日、ラジオにこの道の駅の駅長さんが出演していて、
「お客さんは激減しています。買い物に来る人は、
 原発近くから避難してきた人達が多いです。
 野菜などを買い求めるのも避難した人々で、
 観光でやって来る人は殆どいませんね」
と喋っておられた。
「では」と思った。「では、行ってみよう」と。
道の駅で話を聞く。
風評被害はどうしようもないと焼いた岩魚を売っていた若者がいう。
「この岩魚は山で捕れたものです。おいしいです」
実に控え目に勧めるので、昼食として買う。
これにおにぎり2個とお茶で満腹した。

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〈岩魚の塩焼き〉

販売所では地元の野菜が販売されていた。
すべて地元で穫れたものばかりで、大阪の友人にメールする。
「福島相馬の野菜を宅配便で送ろうか?」「送って」という返事。
早速、ほうれん草、人参、じゃがいも、たまねぎ、大根、茄子、ネギなどを買う。
レジの女性が段ボールを用意してくれて、
ぼくが大阪から来たことを知ると、あれこれと話しかけてくれる。
2人ともすごくきれいな女性で、緊張しちゃった。
福島の農作物への風評被害について聞かれるが、
出荷停止というのは間違いだと思う。
しかし現実問題として他府県へこれらの野菜を出荷できないとなると、
ここまで買いに来る以外に入手方法がない。
買いに来て良かったと思う。
彼女たちもここで買っていくおっさんに好意的だ。
自分用にキュウリとトマトを買う。どこかで食べよう。

とにかく行けるところまで行こうと南相馬を目指す。
15キロくらい走って、これ以上行けないところまで。
自衛隊と警察が迂回するようにいう。
素直に従う。
南相馬に自宅のある人は進むことが出来るが、ぼくはできない。

その後、海岸沿いの田んぼを走る。
道は瓦礫がいっぱいで、農道は崩れている。
ゆっくりクルマを走らせる。
パンクするおそれがあるし、クルマの底を摺りそうだ。

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〈標識にある右田浜海岸は、キャンプ場や海水浴場のある浜〉
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〈沿岸部の田んぼ〉
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〈崩れた民宿〉

途中、このあたりに田んぼを持っていた農民に出会う。
話を聞くが、何を言っているのかわからないくらいの方言。
カメラを回していたが、撮影できているかどうか・・・(結局、全然ダメだった)。
彼がはじめに言ったおおよその意味は、
「自分は地震があった日、田んぼに自転車で来ていた。
 仲間もいて、彼らは軽トラだった。
 地震の後、津波だ!という声を聞いて、
 海の方を見ると白く濁った空に白い波のようなものが見えた。
 何だかよく分からなかったが、逃げろという声で自転車に跨り、
 内陸の幹線道の方へ走り出した。
 農道は軽トラが走るだろうから、畦の、比較的広いところを走った。
 背中で水の音がしていることは分かった。
 だが、ともかく前に進み、舗装された農道に出た。
 そこで振り返ると軽トラが流されているのが見えた。
 慌てて幹線道を目指して自転車を漕いだ。
 幹線道ではクルマが普通に走っていた。
 自分は助かったと思ったが、仲間の軽トラは見当たらなかった。
 後で、仲間の2人が流されて行方不明になったままだと分かった」

自衛隊がとにかくどこでもがんばって瓦礫の撤去をおこなっている。
匂いもひどい。
ジープに乗り込もうとする自衛隊員に声を掛ける。
「今から休憩なんです」という。
車輌の中でひとときの仮眠を取るようだ。
「大変ですね。御苦労様です」というと、
「姫路から来ています」といい、
ぼくが大阪からだというと、微笑んで、出身は伊丹だという。
「なーんや、伊丹ですか」と、それから伊丹や川西、関西の話をする。

ふたたびクルマで田園地帯だった場所を巡る。
途中、雹が降る悪天に遭遇する。
何度も落雷を見た。
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〈雷雨に遭遇〉

夕方になって郡山を目指す。また山越えの90キロで帰ってきた。
長い一日だった。
レンタカーを返して、郡山駅からホテルまで口惜しいので歩いて帰る。

30分。セブンイレブンでビールと夕食を買う。
商品が昨日に比べて激減している。
土曜日なので被災地の人々や避難所の人達が買いに来たのだろうか。
ビールも残り少なく、缶チューハイは全くない。
カップラーメンも安価なPB商品はすっかり消えていた。
午後8時、部屋で夕食を取ると、すぐに眠くなって寝てしまった。

今回出掛けて、人生観死生観に影響受けました。
親は子を思い、農民は土地を思う。
しかしそれが一瞬で壊されてしまう。
しかも放射能漏れに因る汚染は未来へと続く。
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by kazeyashiki | 2011-05-01 12:28 | 農業 | Comments(0)