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きれいになった。   

このところ、取材→もの書き→撮影をくり返しバタバタしていたが、忙中有閑、ここんところ暖かな日が続いていたので、昨年末から気になっていた仕事部屋の大掃除をした。徹底した掃除、模様替えも含めた「☆3つ」の大作業である。

部屋で最も多いものは本である。これは仕事用だけではなく、自分を形成維持するためや、好奇心を満たしてくれたり、未知と無知を教示してくれるに必要なアイテムであり、それが中学生の頃から継続しているのだから、量が増えるのは仕方がない。だが、読み終えた本が後々まで必要かどうか、生憎そのモノサシを僕は持っていない。誰もそうかも知れない。

読まない(だろう)文庫本を近所の古書店へ持っていくことにして、雑誌類は廃棄、その他のさまざまな小物、中物などは、できるだけ分解してゴミ回収へまわす。

そんななかに、これまで使ってきたノート類が結構な量になっている。仕事で使っているB5版硬表紙付きノートブックである。これがここ15年くらい、30冊以上たまっている。なかには2002年前後に出かけたアジア6ヵ国旅日記などもある。書いた内容はすべてパソコンに打ち込んでデータ化しているが、手書き日記にはその時の感覚がそのまま残っているし、受け取ったレシートや、なんでもない紙切れなども貼りつけてあったりするので、自分では価値があるノートブックだと感じている。だけど、場所を取ることもたしかな話だ。

雑誌類も、棄てられないものがある。別にどういうこともない月刊誌・週刊誌なのだが、特集されている記事や写真、週刊誌なら創刊号と最終号(休刊号)などは、なぜか残しておきたいと思う。写真にあるのは、1981年1月号の『写楽』で、この号が書店に並んだと同時に、ジョン射殺の報が届いたのではなかったか。

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それにしてもモノが多い。仕事の書類・資料、もらった手紙・ハガキ類、写真、CD-RやDVD、何の使ったのか分からないコード類……。45リットルのビニール袋5袋分を出した。文庫本は約60冊で、それなりの値段で買い取ってくれた(持っていった古本屋は数年前に出店したところで初めて店主と話したが、ここの話はまたの機会に書きたい。なかなかの店なのだ)。

すっきりした。埃を払い、拭き&掃き掃除をしたからそうなるのは当たり前なのだが、混々沌々とした部屋も居心地は悪くないと感じる反面、きれいになった部屋も好ましい。散髪したて、という感触か。もっとも、これで仕事が捗るかどうかは別問題ではあるけれど。

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by kazeyashiki | 2011-02-27 10:58 | 暮らし | Comments(0)

ここ数日。   

一昨日は、『鬼平犯科帳』のDVDを2枚、つまり4話見る。
仕事の一環である。だが、ドラマを見るのは楽しい。学んでおくことも大事なのだが。
昨日は家人が正午過ぎに帰宅したので、一緒に昼食。
午後遅くから難波へ行き、その足で中西克己のいるオフィスへ。
谷町九丁目まで地下鉄で行き、上本町ハイハイタウンにある喫茶店「山猫」で珈琲。
中西氏の会社、なかなか難しい局面を迎えているという。
その話。
珈琲だけで別れ、谷町九丁目から自宅まで徒歩で帰る。

今日は、朝から録音技師取材テープに聴き起こし作業。
なかなか大変で、途中で挫折する。今日中には済ませよう。
午後から本棚の整理をする。不必要な文庫本を処分したい。

明日は終日撮影だ。朝早くに家を出て、京都の佛教大学へいかねば。
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by kazeyashiki | 2011-02-24 11:41 | 暮らし | Comments(0)

今日のメモ   

☆〜♪

挟間美帆さんというジャズのピアニストがいい。
アレンジャーとしても素晴らしい才能だという。
山下洋輔さん経由でこの人を知った。
ついこの間、音大を卒業したばかりで、現在はN.Y.に音楽留学中だとか。

☆〜♪

その山下さんの本にあった、面白い外国人の名前。
ロシア人の耳鼻咽喉科医師「ノゾキミール・ノドチェンコ」
韓国人の読書家「チョー・ヨンデル」
おでん好きなロシア人「シルスキー・タコチクワ」
下着があっていないクロアチア人「クイコムワ・ブラヒモビッチ」
ロシア人のヘタクソな仕立て屋「ウラジミエール・チャンチャンコ」
洗濯好きのスペイン人「ホセ・ベランダーニ」、
おおらかな中国人「マ・エーヤン」
ははははは。

☆〜♪

先日、某臨海都市の古い純喫茶で仕事先の人とビールを呑んだ。
彼の馴染みの店で、経営の女性(ママ)とは親しそうだった。
その彼が、ポケットから小銭をおとした。
すかさずそのママは嬉しそうに言う。
「あっ、気にせんと、そのままにしといて〜!」
久々にこのセリフを聴いて、〔まだ言うているんや〕と感心した。

☆〜♪

モンゴル語で「金」は「アイシン」。
愛新覚羅は「金の覚羅」という意味。
ゆえに、清朝の皇族が巨籍降下すると「金」という姓になる。
金さんが多いのはこのあたりが背景にあるのか。
---司馬遼太郎がどこかに書いていたことから---

☆〜♪

ブータン国王が語った言葉。
『私はブータンの国民の価値と国民性を知っているため自信を持っている。
あなた方はこの国の真の宝である。
精神的な国の国民であるあなた方は、よき人であること、
すなわち正直さ、親切、慈悲、高潔さ、調和、
我々の文化と伝統への尊敬、国と神仏への敬愛、の価値を大切にしている。

私が懸念していることは、世界が変わるにつれ、
ブータン国民としての意識が宿るこの土台となる価値を
我々も失ってしまうのではないかということだ。

これからは、今よりもっと大きな変化が世界、国内で起こるだろう。
しかしながら、我々がこの単純かつ永遠の目標、
よき人であること、を求め続ける限り、
また、我々がすべてのよきことを支持する国家を作ろうと励む限り、
数百年先の未来も幸福で平和であるだろう。

私が国王だからあなたがたに頼んでいるのではない。
運命が私を王位につけた。
若き年齢で大切な国民と国家につかえる神聖なる責任を受け継ぐことは、
大いなる感謝であり、謙虚な心である。
私の在位を通じて、私はあなた方を決して国王として支配しない。
私はあなた方を両親として守り、兄弟として大切にし、子供として仕えよう。
私はあなた方に全てを与え、あなた方からは何も求めない。
私はこの人生をよき人として、あなた方の子供達の手本となりうるように生きる。
私のただひとつの目標はあなた方の希望と志を実現することだ。
私は、昼も夜も、親切心と正義、公平さの精神であなた方に仕えよう。

未来は見えないものでも分らないものでもない。
それは我々が作るものだ。
我々の両手で今日働くことが未来の国家を作り出していく。
我々の子供達の将来は、今日作らなくてはいけない。

最後にブータンのために祈りを捧げる。
平和と幸福の太陽よ国民の上に永遠に輝かんことを。
私はまた小さなヒマラヤの国王である間に、
私が世界の全ての人々のより大きな健康と幸福に、
全ての一切衆生のために寄与できることを、願っている。』

☆〜♪

今夜も地球は回っている。
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by kazeyashiki | 2011-02-19 23:59 | 暮らし | Comments(0)

ダイヤ改正   

 3月にJRグループのダイヤ改正がおこなわれる。興味のない人にはまったく無関心、あるいは敬遠すべき話題かも知れない。だが、鉄道に魅せられている者にとってこれは極めて大事な案件だ。

 今回のダイヤ改正の目玉は、なんといっても九州新幹線鹿児島ルート全線開業である。新大阪から鹿児島中央を結ぶ「みずほ」「さくら」は、時々ニュースでも取り上げられている。一番列車の指定乗車券は、ものの15秒で完売したという。

 また今回のダイヤ改正では、特急「雷鳥」が消える。大阪から金沢、富山の北陸方面へ運んでくれた懐かしい列車である。路線がなくなるわけではない。すべて「サンダーバード」の名前に統一されるそうだ。だけど「サンダーバード」という名称はちょっと臆面もない気がする。ぼくはどうしてもテレビのSF人形劇を思い出してしまうからだ。

 ところで、このダイヤ改正によって時刻表がよく売れるということをご存知だろうか。通常でも時刻表は年間80万部、売れている。発行しているのはJTB(元・日本交通公社)の「JTB時刻表」と、交通新聞社の「JR時刻表」の2種類があり、その合計がだいたいこの部数のようだ。2つの時刻表は月刊で発行されているので、平均すれば月間販売部数6〜7万部だろうか。だが今回のように大きなダイヤ改正が実施されると、部数を伸ばす。年間80万部が、200万部を越えるそうだ。時刻表という書に親しみと必要性を感じている人が多いということだろう。

 ぼくは年に一冊、時刻表を買う。B5判のもので、3月か4月に購入することが多い。だがこれは持ち歩けないので、旅が多い時はポケット版B6サイズの「コンパス時刻表」を買う。列車を乗り継いで、幹線からローカル線などを利用する時、カバンの中にあるだけで心強い気がする。もっとも頻繁に時刻表を引いて調べるわけではない。駅の時刻表示板を見て判断する方が多いのだが、座席に腰掛け、お茶など飲みながら読む時刻表は、旅の醍醐味のひとつだと思う。

 古書店には、昔の時刻表が売られている。これが結構な値段をつけている。戦前のものなどを読んでいると、いろいろと発見がある。たとえば三重の「鳥羽」始発で、参宮線、草津線経由で、岡山の「宇野」を結ぶ夜行列車があったりする。鳥羽と東京を結ぶ寝台列車もある。伊勢神宮詣でがそれほど盛んにおこなわれていたのだろう。

 鉄道好きにはいろいろな派があるが、ぼくは沿線歴史探訪及び、廃線跡散策派である。つまり「むかし」が好きなのだ。昨日のように雪模様の日は、列車に乗ってどこか知らない町へ旅に出たいと無性に思うのである。
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by kazeyashiki | 2011-02-15 22:08 | 鉄路 | Comments(0)

絶対音感。   

おれにはこの絶対音感はない。
だけど、気になる”音”というのがたくさんあって、
たとえば横断歩道で鳴る音楽、
地域によって違うようだけど、
この音階が狂っているのを耳にすると、唸ってしまう。
何とかならんのか!と。
同様に、TV-CMなどでも音階が違っている曲がある。
典型は、和田アキ子の歌うチャイコフスキーの曲で、
明らかに”音”がおかしい。
聴くに耐えられない。
もともとこの歌手は歌が下手で、
本人はともかく、声量がとかソウルがとか人は言うけど、
それ以前の問題でしょう。
CMでは、ヴァイオリンの音がおかしいものや、
♭してどうしようもない歌が平気で流れているんだ。
どうにかならないのかねえ。
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by kazeyashiki | 2011-02-08 12:28 | 芸能文化 | Comments(0)

机仕事   

今日明日とでどうしても仕上げなければいけないシナリオがある。
4日の金曜日は撮影で松竹京都撮影所へ行く。
その前に脱稿しておきたい。
日曜日までに仕上げればいいとはいうけど、そうはいかぬ。
45分の長尺教材映像の台本には、さまざまな要素が含まれていて難しい。
だがやり甲斐はある。
何度も構成プロットを練り直しているので、頭の中に図面はできている。
だがディテールを書き込むとなると、遠近法のバランス取りが必要だ。
この作業に費やされる時間が結構かかる。

まあ、そういう仕事だといえばその通りではある。
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by kazeyashiki | 2011-02-02 17:07 | 暮らし | Comments(0)

冬の京都、木屋町三条上ル。   

昨日は京都北区の佛教大学で映像制作の打合せ。
午後4時頃に終わり、北山通りあたりから堀川を下がり、
紫明通りから出雲路橋、そのまま賀茂川に沿って出町柳まで歩いた。
途中、出雲路橋西詰あたりで風景を携帯のカメラで撮影し、
幾人かの友人(石田貴子、金岡哉夫、塩田博、中西克己)に送った。
こんな文章を添えた。

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「京都も北山通りを越すと雪の郷だった。
 灰褐色のカンバスに輪郭のない雪花が舞う。
 鞍馬貴船は人家があるが、
 寺ひとつの雲ケ畑は雪に埋もれていることだろう。
 吹き下りる山風、さすがに寒い。
 出雲路まで下って来た。」

すぐに、塩田氏から返信メール。
那覇にいるという。仕事でプロ野球キャンプ地へ出かけているのだ。
街角の小さな商店の写真が添付されている。
「マジでサムイヨー」の一文。
寒い那覇の街で、京都が舞台の「マザーウォーター」を観たそうだ。
京都からのメール、シンクロニシティだ。

その後、中西克己氏から電話が入る。
僕は出町柳の手前を歩いていた。
氏は、河原町と烏丸の間の御池通りにいるという。
彼が京都にいるのはめずらしいことなので、
「では、寒いので一杯いきますか?」
新京極三条下ルの紀伊國屋書店前で待ち合わせた。

どこへ行こうか……
思案の末に「ふぉあぐら屋」へ向かうが、月曜定休。
店の向いにある本店の「極楽とんぼ」へ。
地下にある店で、オーナーのミアちゃんは旧い友人だけど、初めて入った。

和食中心のメニューで、店の装いは無国籍風(ちょっと南欧風)。
付き出しは「河豚皮と菜っ葉のぬた和え」と「数の子」。
ハートランドビールから日本酒の温燗酒に。
「牡蠣の天麩羅」「〆鯛」「自家製チーズおろし山葵醤油」と、
数あるメニューからfat氏が注文し、お銚子を三本。
冷えた身体がすっかり温まり、おなかの底が微笑みはじめた。

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夕刻から飲りだしたので、表に出ると午後7時前。
洋酒を飲もうと、以前から名前だけは聞いていた酒場へ。
細い路地の奥に隠れるようにその店はあった。
「文久」という。
一本南の筋で営業している花屋「花政」が経営している酒場で、
店の名前は創業の年号。
御一新前が慶応で、その前が元治、
文久は万延との間にはさまれた1861年から1863年までの元号である。
こうした命名の仕方が京都らしい。

7〜8人も座れば……という小さな酒場で、
母屋の離れとして建てられた部屋を店にしている。
中西氏はジントニック、僕はラフロイグを注文する。
やがてマスターに話しかけ、彼が埼玉出身であることを知る。
「まだ京都には馴れていません」と言いつつも、
京女といつかは一緒になりたいという。
常連客がぱらぱらとやって来て、気がつけば4人の客になっていた。

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与太話をしていると、少し離れた席の女性が話に入ってきた。
我々より先達で、女坂の中学・高校に通っていたという。
ご出身は?と聞けば、尼崎立花。
ここで中西氏が「くーーーっ」と腰を浮かせる。
氏にとって「尼のひと」は一種の痛点のような感覚がある。
これまで幾人かの「尼のひと」と接点があり、
その都度、氏は女性の有象無象森羅万象を垣間見てきたようだ。
「ここでも尼かよ」
しかし中西氏は嬉しそうにも見えるのである。

彼女は紅テントが三条の河原で公演したのも観たという。
ここで状況劇場が芝居を打ったのは1968年のことだ。
その後、アングラ文化の話で盛り上がる。
紅、黒テント、西部講堂、白樺、暗黒舞踏、土方巽など、
闇の底で鈍色の輝きを放つ固有名詞が次々飛び出して来る。
女性の連れ合いは、俳優の小林薫と同級生だったとか。
そんな時代もあったね……って感じなのだが、
この埃を浴びたような感触は、東京や大阪では味わえない。
なぜか京都の、あの身勝手な奔放さのなかにしかあり得ない。
僕はそんな風に思うのだった。

二軒とも、中西氏に奢ってもらった。
僕のこの貧困火の車はいったいいつまで続くのだろうか。

京阪電車で天満橋まで戻り、
中西氏が帰る上本町までタクシーに便乗させてもらう。
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by kazeyashiki | 2011-02-01 10:00 | 京都 | Comments(0)