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酒場で   

酒を呑む時、おれは煙草を喫う。昨日、石田夫妻と金ちゃんと難波の丸一屋で待ち合わせ、呑んだ。いずれも今年初めて会う。旧精華小学校近くで煙草を買った。ショーウインドーに「ゴールデンバット」があったので、買ってみた。200円で安い。両切りの、フィルターのない煙草で、きつい。だが、軽い煙草はおいしくないので、買ったのだった。いま、マイルドセブンなどは410円もする。高い。だが、喫煙者は減少しているのだろうか。谷町筋の灰皿のある場所で、多くのひとが煙草を喫っているのを見かける。女性も散見する。屋外で喫っている姿は優雅ではない。煙草はのんびりくゆらせてほしいな。池波正太郎は原稿仕事をした日は1日80本も煙草を喫ったと書いている。芥川龍之介は1日180本「敷島」を喫った。今は禁煙嫌煙時代。いずれ日本も居酒屋や酒場でも禁煙になるだろう。ちょっと残念な気もするが、仕方がないことだ。以前、フレッシュネスバーガーというハンバーガー店の喫煙席に座っていたら、横に座っていた西洋人が「世界でもこのフレッシュネスバーガーで煙草が喫えるのは日本だけだ」と言っているのを耳にした。フレッシュネスだから、煙草はふさわしくないなと思った。

さて、丸一屋は以前から岩ちゃんに奨められていた安酒場で、料理がうまい。先日、旧精華小学校で芝居を観た帰り、小川君と二人で立ち寄り、瓶ビール1本、焼酎3杯とチキンカツ、魚のアラ煮、ポテトフライ、野菜サラダ、小川君はハイボール2杯などを注文して、2人で3000円足らずだった。それなりに酔った。たしかに料理はうまかった。昨日6時過ぎに店で待ち合わせ、久々の出会いに乾杯した。話はもっぱら今回の震災の話。原発から10㎞以内の地域では、何の救助活動もなされていないことに、どう対応していいのか分からないと岩ちゃんがいう。本当に痛ましいことである。震災そのままの状態が残されているのだ。こんなことがあっていいのか。メディアはそのあたりのことを一切言わない。情報がないからだろう。やがて中西氏が合流した。何かテンションが違う。飲み出すと、彼の苦悩というか、精神状態が悪いことに気づいた。金ちゃんが石垣でのカエル調査のお疲れ様会を開くということにからみ出した。「いま、そんなことをしている場合やない」ということを、幾分オブラートに包むように言っていた。しかし次第に興奮してきた。おれは岩ちゃんと別の話をしていて、「おれは情けないよ、仕事がなくて」と発言したことを中西氏が自分のことを「情けない奴」といわれたと誤解して、いきなり「何が情けないねん」とおれの方を向いて言ってきた。「君のことを言うてたんやない」と言っても、まったく聞き入れず、「いや、おれのことを言うた。なんでおれが情けないねん。そういう風にみているのか!」もうダメである。何かキレどころを待っていたかのような言い方でもあった。「呑んでられるか!」氏はそう言って2000円を置いて飛び出して行った。岩ちゃんが追いかけた。南海通りで5回、追いすがったという。その都度、微妙に沈静化していったというが、結局帰っていった。残った我々は呆然としてしまった。誤解であることはだれもが分かっていた。だが何より、あのように激昂してしまう氏の精神の不安定さに驚いた。「今まであんな氏をみたことないな」金ちゃんがいう。おれは何度かあのようになった中西氏を知っている。鬱状態になる前触れだ。ヤバイ。しかしどうすることもできないのだ。

翌朝、詫びるメールが入った。だが、決して正常ではないような印象を受けた。仕事、震災、暮らしなどさまざまなものが混乱していて、彼の精神状態を悪くさせているのだろう。心配である。

その後、4人でアフターアワーズに行き、飲み直す。店は繁盛していた。ヤマヒロさんが来て、しばし話し込む。話が長くて迷惑されたかもしれない。反省である。午前1時頃に帰宅。すぐにソファで寝てしまった。頭が痛い。やはり飲み過ぎだ。「ゴールデンバット」も全部喫ってしまった。そろそろ酒を呑んでも煙草を喫わないことにしようと思う。
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by kazeyashiki | 2011-03-29 14:23 | 暮らし | Comments(3)

ぷよねこさんへのコメント   

日本人の資質としての理知性と感情性が、環境の貧しさと豊かさのなかで発露するという説は、実に卓越した指摘であるように思う。
貧しさのなかで努力する。豊かさを手に入れると安堵して気がゆるむ、これは自分のささやかな日常を顧みても同感すべき点です。しかしそれも状況によっては大きな問題となる。戦時や、このたびの地震による原子力発電所の事故という大惨事であれば、この日本人の資質が強く問われる。
明治時代の日清日露の戦争では合理的な戦略が生きていた。それは『坂の上の雲』などに描かれている通りである。だが、昭和になり一部の参謀によって引き起こされた戦術は明らかに感情的で、知性よりも功名心、「幕末の志士気どり(司馬遼太郎)」によるものだった。ノモンハン事変もその一例であろう。
ノモンハン事変において死傷者が七割を越えるという事態は、世界戦史にもまれな敗北であるとこれも司馬が書いている。ここには無論、「兵站を軽視」も含まれている。
統治能力が失われてしまうということは、ノモンハンを繰り返し、旧弊なる前近代的装備でアメリカ相手に戦争を始める理屈と変わらない。
今の政府や東電の様相、専門家と呼ばれる学者たちの言葉を聞いていて同じ感触を得ていることが漠然とした不安に思えるのは、まさに「既視感」に由来するものであり、もしかしたら「遺伝子的な記憶の引き出し」を我々が持っているからではないかと思えて仕方がない。(コメントはここまで)

(ここからは自分なりに思うこと)

兵站については、演劇の、役者と裏方という捉え方をした学者がいたように思う。つまり、兵士を万全にするための舞台制作の重要性という意味だ。ロジスティックスということに関して以前、某輸送機メーカーの映像を制作した時にすこし勉強したことがあった。「戦争のプロフェッショナルは兵站を重要視し、アマチュアは戦術戦略に夢中になる」という言葉があった。

ところで先頃自衛隊が出動させた戦車、原発周辺の瓦礫を取り除く目的だったが、これは74式戦車で、以前、番組取材で乗せてもらったことがある。戦車は放射線防護能力に優れている。その名の通り1974年に生産が開始された(正確には翌年)が、今もなお主力戦車だ。その後の活動についてどこも報道していないのが残念である。

自衛隊は本当によくがんばっている。自衛隊には兵器を装備しているが、攻撃することより人命を救助することの方が圧倒的に多いことはあまり語られることがない。殺傷より救助なのである。このことは国民として誇りに思っていい。
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by kazeyashiki | 2011-03-28 10:12 | 世界 | Comments(2)

久々に会う年下の友達   

某日、地下鉄谷町線「文の里」駅で渡邊氏夫妻と待ち合わせ、
イタリアン居酒屋へ行った。
渡邊氏は某サンライズP社の映像編集マンで、
以前はよく彼の会社の仕事をしていたが、不況で最近はさっぱり。
久しぶりに会って、近況を報告し合った。

映像関係の仕事も減ってきているようだ。
だけど、また一緒に仕事をしたいね……ということで、
来週、エイギョーに伺うことになった。

以前から聞いていた奥さんとは初対面だったが、
大阪芸大の同級生で、宝塚出身ということで、話が盛り上がった。
今の勤めが終わるので、何か一緒にやろう!ということになり、
彼女は歌がうたえる人なので、そういう話になった。
ギター伴奏で、カンツォーネ風の歌やアイリッシュなどをやりたいという。
まず譜面を送ろう。

昭和町、文の里界隈は一時住んでいたことがあった。
学校の卒業アルバムを制作する会社に一時期バイトしていたことがあり、
会社が四つ橋にあったので、京都から移り住んだのだ。
昭和町出身の田島君に世話になった。
だが、バイトはクビになり、結局京都に舞い戻って、
和田君がいた小薮荘に引っ越したんだっけ。

界隈は以前とさほど変わることはないように思えたが、
自分の記憶台帳のなかから、この文の里・井戸端アパート生活時代は、
すっかり抜け落ちているように思う。
また記憶編集作業をしなくては。
そういえばこの頃に付き合っていた女性がいた。
三上さんという化粧品会社に勤務していた西宮の人だ。
どうしているのか、と思う。

思い出はいつもおれの場合、軟弱だなあ。
もう少しきびきびとなれなかったのか・・・。

ワインを2本とハイボールを飲み、うまい料理を食べて帰宅。
農業関係、空調関係の仕事の企画を立てよう!
そんなふうに思うに到ったことは、よかったのではないかと思う。
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by kazeyashiki | 2011-03-27 12:34 | 暮らし | Comments(0)

詩との出会い   

小学校のとき、文章を書くことでたいへん難儀した。詩も作文も、できれば自分とは無関係であってくれと願い、それでも文集を出したりすることがあり、最後まで”入稿”が遅れた。

今でも明確に憶えているのは小学校の卒業文集を作っている時で、最後までぼくはここに載せる詩が書けずにいた。授業が終わると担任の守口先生から早く書くように促されていたが、遂に〆切日が迫ってきたのだろう、ぼくは捕まってしまった。そして放課後の教室で原稿用紙一枚の詩を書くように迫られた。さしずめ今でいう”缶詰め”である。だが、書けない。”詩にするほどのことが自分にはないのだ……”そんな言い訳を持っていて、聞かれたらそう答えようと考えた。だが教師は「どうして書けないの?」という質問を投げかけず、「君は、動物なら何が好き?」「花なら?」「乗り物は好き?」という、別の場所から「?マーク」を投げかけて来るのだった。ぼくはすぐにこの「遠近法攻撃」に幻惑され、「サイが好きです」とか「チューリップです」「長距離列車」と、すらすらと答えてしまっていた。先方の作戦勝ちである。結局、自然に関する詩を書いた憶えがあるが、小学校卒業するまで、とにかく”ものを書く”ことが嫌いだった。

だが、人の心は変わっていくのである。

小学校卒業と同時に引っ越しをした。それまで住んでいたところも大概の田舎だったが、次に移り住むところは造成されたニュータウンではあったけれど、地元はさらに田舎の濃厚さを持っているような土地であり、山は深く、道は埃っぽく、川はワイルドで、そこに暮らす同年代の少年達は、これまで知っていた少年達とは違い、ずっと緑色だった。少女達は柿やアケビのような印象だった。中学入学までの退屈な春休みの夕方、立ち寄った初めての近所の書店で、「中原中也詩集 大岡昇平編」を開き、その一行目を読んだときに謎が解けた。「春の日の夕暮」と題されたその詩は

「トタンがセンベイ食べて/春の日の夕暮は穏かです/アンダースローされた灰が蒼ざめて/春の日の夕暮は静かです」

まさに春の日の夕暮れにこの詩を立ち読みしたのだ。しかも「トタンがセンベイを食べる」ってどういうことなのか、まったく説明されていない。350円を支払って、初めて詩集というものを買った。

その後、中学校の図書館でもっと分厚い中也の詩集を手にして、

「月夜の晩に、ボタンが一つ波打ち際に、落ちてゐた。」
「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」

といった文字を眺め、さらに図書館の詩の棚にあった、さほど多くもない詩集のページを開き、

「雑草が/あたり構はず/延び放題に延びてゐる。」(北川冬彦)
「鹿は/森のはずれの/夕日の中に/じっと立っていた」(村野四郎)

「雨の中に、/馬がたつてゐる」
「約束はみんな壊れたね。/海には雲が、ね、/雲には地球が、映つてゐるね。 」(三好達治)

といった、国語の教科書にも載っていた詩を見つけ、別のページに書かれた詩篇を見て、同じ詩人にもいろいろな詩があるものだと感心した。

高校になると背伸びしたい、自分はもう大人だと思い込み、

「あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢をうばった。おごる心の片隅に、少女の額の傷のような目がある。突堤の下に投げ捨てられたまぐろの首から噴いている血煙のように、気遠くそしてなまなましく、悲しみがそこから噴きでる。」(大岡信)

「わたしの屍体を地に寝かすな/おまえたちの死は/地に休むことができない/わたしの屍体は/立棺のなかにおさめて/直立させよ」(田村隆一)

こうした、ラグビー部のくせに同人誌を発行している、今思えば実に鬱陶しい奴は、大岡や田村のように劇的な言葉を並べる詩人に入れ込んだ。だが教科書に載っていた次のような詩にも心が動いていたのも確かで、

「どうしてこんな解りきったことが、/いままで思いつかなかったろう。/敗戦の祖国へ君にはほかにどんな帰り方もなかったのだ。/---海峡の底を歩いて帰る以外。」(井上靖)

この詩と、高校3年の国語の教科書に載っていた大岡昇平の『俘虜記』によって、戦争記録文学の存在を知った。そしてこれは大学入学後も続いた。

大学生になると、さまざまな詩が目の前に登場した。

「全然黙っているっていうのも悪くないね/つまり管弦楽のシンバルみたいな人さ/一度だけかそれともせいぜい二度/精一杯わめいてあとは座ってる/座ってる間何をするかというと/蜂を飼うのもいいな/とするとわめく主題も蜂についてだ」

「真夜中のなまぬるいビールの一カンと/奇跡的にしけっていないクラッカーの一箱が/ぼくらの失望と希望そのものさ」(共に谷川俊太郎)

「もっと強く願っていいのだ/わたしたちは明石の鯛がたべたいと/もっと強く願っていいのだ/わたしたちは幾種類ものジャムが/いつも食卓にあるようにと/もっと強く願っていいのだ/わたしたちは朝日の射すあかるい台所がほしいと」(茨木のり子)

「写真機のファインダーからのぞくと/そこには べつの遠い秋/理髪店の壁の煉瓦は 柿色に涼しく/その窓に大きく浮かぶ猫の目は/赤青白のねじりん棒のかたわらで/雲間でも 視つめたように澄んでいる。」(清岡卓行)

といった詩群……ふとした一節を憶えているだけで、すべてを記憶しているわけではない。だが、なんとなく諳んじている詩篇もある。三好豊一郎の「トランペット」という詩で、これは芝居のなかで使ったから、いわば耳で憶えてしまった。

「身勝手なことばのかずかずは血の中で腐ってる/青春は去った とうの昔にわしの青春は去った/わしの努力は人知れず麦畑の上で乾いてる/虱の血でよごれた敷布にくるまって わしはひたっすらわしの臍緒をさがしてる」

ここからまだまだ長く続くのだが、詩が朗読することによって活字を追うのとはまったく別の生命体になることを知ったはじまりだった。その後、長谷川龍生の「恐山」などを知り、鴨川の河原で大声だして読んだりしていた。同じく、粟津則雄訳のランボオや、ボードレールなども身近になった。そしてさらに、寺山修司や塚本邦雄の短歌に遭遇する。

「新しき仏壇買ひに行きしまま行くえ不明のおとうとと鳥」
「村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ」(寺山修司)

「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」(塚本邦雄)

こんなふうにして詩歌に出会ってきたが、ぼくは一冊の詩集も出してはいない。詩を書いているけれど、それは自己満足のためだ。それにどこか、いずれ書く戯曲の下書きだと考えているところがある。詩の朗読を引き延ばした形が、ぼくの描く演劇の形であり、どこか独りよがりなところがある、という指摘はなんどもあった。だが、ダイアローグの芝居や群衆劇などがある一方、詩劇のようなものがあってもいいと思う。

今の時期、ふと思い出して引っ張り出してきた短歌がある。塚本邦雄さんの作品だ。

「さみだれにみだるるみどり原子力発電所は首都の中心に置け」
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by kazeyashiki | 2011-03-26 14:32 | 暮らし | Comments(2)

畠にて   

亀岡の畠の野菜たちが収穫期を迎えているというので、出掛けた。
今日は風が強く、寒い。
その寒風吹きすさぶなかで、幾種類かの野菜を収穫した。
育ちすぎた白菜。
30株程度あったが、10株は成長しすぎで畠の肥やしになった。
もったいないが、肥料となるのも必要だ。
白菜は古来から日本にある野菜だと思っている人が多いかも知れないが、
実は明治末期から大正にかけての時期に栽培に成功した野菜だ。
英語では“Chinese cabbage”という。中国原産である。
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同じように、キャベツも大正時代から栽培が進められた野菜で、
本格的に食べるようになったのは、第二次大戦後ではないか。
寒冷地に適するので、東北から北海道で栽培されてきたが、
今では日本各地で育てられている。
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京野菜の壬生菜。
今や京野菜は京都市内よりも周辺部で作られている。
壬生菜の京菜の一種で、水菜の親戚のような野菜だ。
京都市内の壬生という地名は、新選組で有名だが、
もともと低地で、湿地も多かったからこうした野菜が育った。
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この不思議な竹のオブジェは、エンドウ豆のツルを補うもので、
一般農家ではプラスチック製のポールを使うようだが、
近くに竹藪があって、いい細竹があったので利用した。

春はまだ姿を見せてくれない。
収穫していると粉雪が舞った。
だが、大地の下では春を待つさまざまな種子たちがいる。
収穫後、ジャガイモの種芋を植えた。
軽く土を被せ、その上に藁を敷いて、また土を被せる。
収穫は6月だ。
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農作物の出荷停止、風評被害が巻き起こっている。
農民にとってこれほど厳しい事態はない。
育てたほうれん草をトラクタで耕耘してしまうのは心が痛い。
福島、茨城は農業県だから、農家の方々は心底落ち込んでいると思う。
なんとかならないものか、と思う。
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by kazeyashiki | 2011-03-25 09:46 | 暮らし | Comments(0)

諸々想うこと   

東北関東大震災によって日本の社会構造が変容してきている。大げさに言うのではなく、問い直されているものが多々ある。たとえば「オール電化住宅」などが一種の象徴であろう。この住宅に関しては東電だけではなく、私の住む近畿圏でも所轄の関西電力が推進してきた。「電気で安全な暮らし」なんてことを言っていたように思うが、これは「ガスという発火性の強いものは危険だ」と、暗に大阪ガスを意識したものであるし、実際電力会社の者が「ガス爆発はないからね(笑)」なんてことを言っていた。それが今回の原発事故で電力不足となり、関東地方では「計画停電」を実施している。「オール電化」はこれに実に相応しくない提案だ。そして今後もこの宣伝をすることは難しいだろう。

福島県に続いて、茨城県産の野菜も放射能の危険があり、出荷どころか摂取制限まで出ている。摂取制限とは、食べるなということである。いま販売されている両県産の野菜もダメだという認識が消費者のなかに広がる。放射能など被っていないものに対してでもそうなる。風評被害ほどわが日本国民にとって大きなものはなく、生産者農家にとって大きな痛手となることは必至だ。「福島県産のものを応援しよう」と昨晩、塩田博が言っていたが同感である。

都内葛飾の金町浄水場から暫定基準値を上回る放射性ヨウ素が検出され、水道水を飲まないように呼びかけているという(3月23日午後3時時点)。遂に都内の水にまで影響が及んできたか。風に乗って到来する放射能と違って、水に溶けてしまうという事態は、この浄水場から配水されている地域の人々にとっては大きな不安であろう。厚労省などはいつものように「(呑んでも)直ちに健康に影響を及ぼす値ではない」と言っているが、誰が生水を飲むものか。

それより僕が心配するのは、こうした積み重ねによって静かなパニックが広がっていくことだ。サイレント・パニックと名付けて前にも日記に書いたが、「計画停電」や「整列乗車」「買い占め」といった大都市でのさまざまな事象に対して、現在人々は従順に従っているように見える。しかしその内面では、かなりの精神的苦痛を感じている筈だ。「取り乱さずに頑張ろう」「被災地に比べたら我々は」「私達が乗り切ることで日本が復活する」という矜持のもとに生きている人々が、度重なる、さまざまなマイナス要素に、いつかパニックを起こすのではないかという観察だ。水道という、これまで安心安全と信じ切ってきたものが危険だという精神的不安は、全く新しい不安であるがゆえに、どのような現象として表出してくるか分からない。何も起こらないかも知れない。それがいいのだが、「東京もダメだ」「どうすればいいんだ」「逃げ出すしか手はないのか」そう感じる人も多いだろう。都内でガソリンの盗難が増加しているというのも、ある種の治安の乱れである。盗んだ者は普段から窃盗する者かも知れないが、そうではない者も含まれているだろうと予測する。

TV放送が通常放送に戻った。これでTVの震災報道を見て精神的な動揺を起こす人が幾分減るだろうと思う。ずっと見続けていると必ずPTSDになってしまう気がしてならない。実際ぼくも妙な焦燥感に襲われそうな気になった。TVを見すぎてはいけない。それが被災地から遠く離れた場所にいる僕の得た教訓だ。
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by kazeyashiki | 2011-03-23 15:28 | 暮らし | Comments(0)

最近の食事集   

何日間かの食事の写真をアップしておこう。

上から下へ。
河内国分の長野家で「たこ焼き」
たこ焼き機はプロ仕様なのが驚くが、油もプロ用を使っている。
道具屋筋で「たこ焼き用」として販売されている油だという。
だからといって、うまいかどうかは別問題ですが。

真ん中は、ごく普通の日の夕食。桜エビのかき揚げが旬ですね。

一番下は、昼食の「目玉焼き載せご飯」だ。
家人が、うまく目玉焼きを作れたというので撮影した。
普通でしょう。

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by kazeyashiki | 2011-03-21 22:09 | 暮らし | Comments(0)

歩いた。   

午後になって家を出て、天満橋へ。
川に沿って淀川方向へ歩き出す。いつもは東岸だが、今日は西岸。
造幣局やOAPの前を歩く。OAPってどうなんだろう?人気があるんだろうか。

毛馬の閘門まで来て、蕪村の記念碑の前を通りすぎる。
お馴染みの赤川鉄橋。やはりカメラを持ったオッサン達がいる。

淀川河川敷は、ジョギングをする人がホントに多い。
そんなに走ってどうするんだろうと思う。
硬いコンリートを踏めば膝をいわすのではないか。
まあ、そんなことを心配しても仕方がない。

ようやく鳥飼大橋。一度、休憩する。
草地に座ってサッカーや野球をする少年を眺める。
ここまで来るのに3時間かかった。

その後も時には早く、時にはだらだらと歩き、枚方大橋を越えたのが5時。
出発してからすでに4時間経っている。
今回の目的地というか、到達地点は枚方公園駅と決めていた。

結局、この駅に到着したのは午後5時半。
全行程、4時間半の徒歩旅行であった。

帰りは京阪電車に乗りました。

帰宅してGoogleでルート検索して、今日の道順を調べると、22キロということだった。
まあ、よく歩いたと思う。

ちなみに万歩計の数字は「28275」。こんなものか。
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by kazeyashiki | 2011-03-19 23:34 | 暮らし | Comments(0)

義捐金   

サンケイ新聞のweb版と、ロイターの記事を記録しておく。

【サンケイweb】

アフガンから義援金 カンダハル市が400万円
2011.3.14 00:36

 アフガニスタン南部カンダハルのハミディ市長は東日本大震災に対する義援金として5万ドル(約400万円)を送ると表明した。ロイター通信が13日報じた。

 ハミディ市長は「日本のような国にとっては大したお金でないことは分かっているが、カンダハルの住民の感謝の印だ」と述べた。

 南部カンダハルは反政府武装勢力タリバンが活動し、治安が悪化している地域。日本は2009年からの5年間でアフガンに最大50億ドル規模の民生支援を行うことを約束している。(共同)

【ロイター】

 [ジュネーブ 13日 ロイター] 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で被災した原子力発電所の異常が次々と明らかになる中、野外病院の提供や原子物理学者の派遣など、世界各国から日本に対する新たな支援の申し出が相次ぎ、国際社会の支援が本格化している。

 国連の当局者によると、消防士や捜索犬、衣料品や食料品など、70カ国近くから日本に対する支援の申し出が寄せられているという。

 アフガニスタン南部のカンダハルは、日本の「兄弟姉妹」に義援金として5万ドル送ると発表した。カンダハルのハミディ市長は「日本のような国にとって5万ドルが大した金額でないことは知っているが、カンダハル市民の感謝の表れだ」と述べた。

 日本はアフガニスタンに対して5年間で50億ドルの支援を約束しており、これは同国に対する海外支援表明額(130億ドル)の3分の1以上に相当する。

 一方、日本政府は被災した原発の緊急事態を受けてその対応に追われている。

 国連は声明を発表し、「救助および救援活動が度重なる余震や津波警報、火災によって妨げられている。東北沿岸の多くの地域が孤立し、近づけない状態が続いている」と指摘。日本の要請を受けてオーストラリア、中国、米国の救援隊や捜索犬などが日本に到着し、被災地に向かっていることを明らかにした。

 また13日には、各国からの救援隊の調整を行う国連の当局者7人が日本に到着した。

 新華社によると、中国からも15人の援助隊が13日に到着した。

 オーストラリアは野外病院などを申し出。パキスタンのギラニ首相も「野外病院やわが国が提供できるいかなる支援も」申し出たと語った。
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by kazeyashiki | 2011-03-18 15:54 | 世界 | Comments(0)

津波〜吉村昭さんの本より   

吉村昭著『三陸海岸大津波』という本が、中公もしくは文春文庫から出ている。

ここには明治29年の津波、昭和8年の津波、そして昭和35年のチリ地震による津波の記録が、この地域の人々の声によって再現されているルポルタージュだ。この本から学ぶことは多い。そしてこのたびの大地震及び津波の被害との共通項を見出すことができる。

津波の難から逃れた人々の証言を読むと、このたびの津波に遭遇した人が語っているのではないかと錯覚をおぼえるほどだ。

〔「津波だあ!」/という鋭い叫び声がした。/私は、母の手をとって逃げ出したが、波に追われてとうとう母と一緒に海中にまきこまれてしまった。/しっかりと握っていた母の手も荒波のため離れてしまい、必死の力をふりしぼって波に乗って泳いだが、材木などが浮かんでいるので危険でならない。波の中にもぐりこみ、遮二無二泳ぎ廻るうち、大きな屋根のようなものの下になってしまった。/根かぎりその屋根のようなものを破ろうとしてひっかきまわしたが、一向に破れない。そのうちに、スクリューに手がさわった。屋根だと思っていたのはあやまりで、自分の体が船の下になっていることに気づき、浮かび上がろうともがいたが、どうしても駄目だ。/だんだん呼吸が苦しくなってきた。死ぬ、と観念した時、三度目の大波が来てその勢いで船の下からぬけ出すことができ、岸に打ち上げられた。〕

明治時代は「津波」ではなく「海嘯(かいしょう)あるいは(つなみ)」と言われていた。海がうそぶく…という表現。だが、現地ではこの大波のことを「よだ」と呼んでいた。

〔祖父が「ヨダ(津波)だ!」と、叫んだ。/中村少年は、家人とともに裏手の窓からとび出すと、山の傾斜を夢中になって駈け上がった。〕

〔死体が、至る所にころがっていた。引きちぎられた死体、泥土の中に逆さまに上半身を没し両足を突き出している死体、破壊された家屋の材木や岩石に押しつぶされた死体、そして、波打ち際には、腹をさらけ出した大魚の群のように裸身となった死体が一列になって横たわっていた。〕

津波に関しては、昭和33年7月にアラスカのリツヤ湾を襲った津波は500メートルの高さに達したという。また日本では、明治8年4月24日に石垣島を襲った津波の高さは85メートルで、島民17,000名のうち、8,500名が亡くなったという。

このたび三陸海岸に押し寄せた津波の高さは、まだ正確な数値が出ていないが、相当な高さに達していたものと思われる。

この本に書かれたことを読むことで、現地のことを知り、状況が少しでも良くなることを願うものである。
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by kazeyashiki | 2011-03-18 09:31 | 世界 | Comments(0)