<   2011年 05月 ( 14 )   > この月の画像一覧   

田植えが終わり…   

宮城県涌谷町の佐々木さんから、
田植えがようやく終わったというメールが届いた。
5月12日に最初の田圃、一町歩を二枚と少しの田植えをスタートさせてからだから、
2週間強の期間がかかったということになる。
もっともずっと田植えばかりをくりかえしたのではなく、
トラクタによる代かき作業もおこなっておられた。
代かきというのは、田植えの前に水田の水を入れ、土塊を砕きながら漏水を防ぎ、
また肥料をしっかりと土に混ぜ込んで、田圃を均平にすることで、
田植機がスムーズに進むようにする前準備の大切な作業だ。
この代かき作業をおこない、それから田植機を稼働させて苗植えをされた。

メールによると、途中で田植機の調子が悪くなったという。
田植機の後部に除草剤撒布機というのがあって、
苗を植えながら、限定された量の除草剤を撒くのだが、
それの調子が悪くなった。この撒布機は「こまきちゃん」という可愛い名前で、
適量の除草剤を規則正しく撒いてくれるのだが、スネちゃったらしい。
結局佐々木さんは、背負い型の撒布機で除草剤を撒いたという。
広い田圃に入り、歩いて撒布するのは大変な労力だ。
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田植機〜後部の白い箱状のものが撒布機「こまきちゃん」


そうするうちに、今度は田植機の爪が1ヶ所、動かなくなったという。
「8年目の機械ですから!」と佐々木さんはいうが、
田植えが始まってから機械が故障してしまうのは本当にストレスがたまる。
メカにはいたって強い佐々木さんは、点検整備も怠っていなかったはず。
それでも機械は故障してしまう。

さらに不運なことに、トラクタもミッションのなかのクラッチが傷み、
動かなくなったそうだ。すぐに修理に出し、代車を借りて代かき作業をしたという。
佐々木さんのトラクタは40馬力のGL40という機種で、平成4年型。
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GL40キャビン型〜19年選手だ。


メーカーからは「佐々木さん、使いすぎだよ」と言われたらしい。
部品代込みの修理費が40万円かかるという。
「新しいのを買うかどうか、奥さんと検討中です」
というのだが、同規模のトラクタは新車価格で最低500万円はする。
それだけではなく、後部に付けるロータリ(代かきに使ったりする)を併せれば、
さらに価格は上がってしまう。
大規模な農業をするには大きな投資が必要なのだ。

6月7月は、草取りと水管理の仕事がある。
十二町歩という広大な田圃を回るだけで、時間はあっという間に過ぎてしまう。
「(震災で)田植えのできない人もいるから」
佐々木さんは一所懸命だ。
今回の台風で畦が崩れたりしないことを願うばかりだ。
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by kazeyashiki | 2011-05-30 11:33 | 農業 | Comments(0)

「けころ」   

「けころ」という言葉がある。
遊郭ことばで、吉原からすこし離れた安い遊郭などで働く遊女たちを指すものだそうだ。
彼女たちは次から次へ仕事をしたから、「蹴転がる=けころ」と呼ばれたらしい。

私はこのことばを池波正太郎の『鬼平犯科帳』を読んでいて知ったのだが、
もとより吉原や遊郭、遊女については小説など以外に知らない。
だがこの遊郭モノの小説には面白いものが多々あって、
隆慶一郎の名作『吉原御免状』、松井今朝子の『吉原手引草』、
高田郁の「みおつくし料理帖シリーズ」などがある。
永井荷風にもここのことを書いたものが多い。

こうした物語や随筆から見えてくる江戸の風俗はなかなか面白い。
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上方人である司馬遼太郎は江戸っ子の本質について
「自分自身できまりをつくって、そのなかで窮屈そうに生きているひとたち」
と書いているが、これは卓見だと思う。
時節になるとかならず行く場所、することがあり、
衣服はこうで、土産はこれで、挨拶はこうする、滞在時間も決まっていて、
その帰りがけに定まった店でこの料理を食べる……
すべてが決まっていた。
だからその原則がなにかの都合で崩れると、途端に不機嫌になってしまう。
料理屋が閉まっていたりなどすると、怒りだしたりする。
おそらく司馬は池波正太郎を見てこのような分析をしたのだと思う。
実際、二人は若い頃仲が良かった。
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それにしても「けころ」ということばはなかなかに辛辣だ。
外れの遊女というものがそう呼ばれていたこと、自分らでも認めていたことを思うと、
〔そういう時代だった〕のだろうが、せつない。
しかしまた、そうした〔せつなさ〕からゆたかな物語が生まれてくるのだろう。
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by kazeyashiki | 2011-05-28 14:06 | 芸能文化 | Comments(0)

相馬野馬追   

今年の「相馬野馬追」開催が決まったと河北新報が伝えている。
7月23日から25日までの3日間。
初日は相馬中村神社(相馬市)から総大将らが出陣し、
中日は雲雀ヶ原祭場地(南相馬市)で甲冑競馬などがあり、
終日に裸馬を素手で捕らえる野馬懸が相馬小高神社(南相馬市)で行われる。
しかし上記のうち祭場地は原発から25キロ地点、
相馬小高神社は立ち入り禁止の警戒区域になっている。
果たしてどのような形で開催するのか。
いずれにしても行ってみたいと思う。

相馬小高神社には、2005年12月7日に訪れている。
静かで、とてもいい社だった。
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この町に農業機械の販売店があって、そこのスタッフに取材した。
だが現在、おそらくこの販売店は営業していないだろうな……。

yahooのニュースに「相馬野馬追」の記事が載っている。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110525-00000124-san-soci

相馬野馬追どうなる 1000年の伝統 混迷色濃く…
産経新聞 5月25日(水)7時55分配信

 例年7月下旬に開催される福島県相馬地方の国重要無形民俗文化財「相馬野馬追(のまおい)」の開催をめぐって地元が揺れている。大震災による甚大な被害 に加え、東京電力福島第1原発事故の影響もあり、行事の大幅な規模縮小を求める声と、従来通りの開催を訴える意見に二分。千年以上紡がれてきた歴史と伝統 は混迷を色濃くしている。(是永桂一)

 ▼立ち入り制限が壁

 南相馬市の中ノ郷騎馬会は22日の総会で、今年の野馬追に、よろいかぶと姿の大規模な「騎馬武者」を出さない方針を固めた。同騎馬会は昨年、相馬地域5郷の騎馬会で最大の205騎の騎馬武者を出した。

 会では市などから補助される約1500万円を「震災復興に使うべきだ」と予算化せず、一部の神事のみを実施することを決めた。旗を奪い合う勇壮な見せ場「神旗争奪戦」には参加できない見通しだ。

 神旗争奪戦の会場は「緊急時避難準備区域」となり、祭りを担う住民の多数が避難している。武者姿の行列に加わるのは数騎の見込みで、地元の高校生らが担ぐ神社のみこしも出せない状況だ。

 相馬太田神社の佐藤左内宮司は「祭りどころではない。第一、立ち入り制限のある地域の催しに誰が足を運び、安全を保障するのか。神社の神事だけは行うが、もっと先にやるべきことがある」と話す。

 野馬追は、相馬中村神社(相馬市)などでの騎馬武者らの「出陣」で幕を開け、2日目に雲雀(ひばり)ケ原祭場地(南相馬市原町区)で神旗争奪戦を開催。 相馬小高神社(同市小高区)の馬を素手で捕らえる「野馬懸」で締めくくられる。今年の開催日程は6月11日までに開く執行委員会で正式に決定される。

 相馬小高神社は立ち入り禁止の「警戒区域内」にあり、原町区も大部分が緊急時避難準備地域。他に計画的避難区域も抱えるなど、制限のない地区を加えると、同市は「4分割されている」(桜井勝延・南相馬市長)状態だ。

 ▼騎馬武者出せない

 中村神社のある相馬市や南相馬市北部の鹿島区などは予定通りの開催に前向きで、市の関係者は「原発からの距離が違う相馬地域の南北で、開催をめぐる温度 差がありすぎる」と頭を悩ませる。「犠牲者の鎮魂のためにも」と、当初は予定通りの開催の意向を示していた桜井南相馬市長は、「今までのスタイルでの開催 は難しい」との考えに変わった。

 同市から福島市に避難している大工、伊賀一誠さん(60)は「家にも入れず道具もなく、騎馬武者を出せるはずもない」と、去年購入したばかりの馬にまたがることをあきらめた。

 一方、35年にわたって相馬野馬追に参加している佐藤徳さん(58)は、避難先に家族を残して一人で自宅に戻り、練習を積んでいる。開催未定の今年は複雑な心境というが、それでも「たとえ今年開催されないとしても、来年のために頑張ります」と話している。
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by kazeyashiki | 2011-05-24 23:40 | 世界 | Comments(0)

今西錦司の話   

文化人類学者でサルの研究で有名やった今西錦司が、司馬遼太郎との対談でこんなことを言っている。昭和46年(1971)春のこと。この時代に東京電力・福島第一原子力発電所の一号機や、日本原子力発電・敦賀発電所の一号機が発電を開始したのですね。



今西「ですから、人類がどんな試練をうけても、それに耐えて生き残らなきゃいけませんよ。文明を犠牲にしてでもですね。/このごろ大地震が来るという説が擡頭してますが、ぼくは前からそういっているのですよ、関東大震災よりももっと大きな地震の起る可能性がある、そのときがきたらいまの文明なんかイチコロやって。こいつが恐ろしいですな。科学が進歩して、自然など人間の力でなんとでもなる、と思いやすいけど、自然の力の中には、まだ人間の力でコントロールできないものがいくらでもある。」

司馬「人類の記憶にない、すごい変化が起るかもしれんということですね。」

今西「人類にはおそらく何千万年という歴史があって、その間には天変地異も何回かあった。それを人類だけではなく、いま生存している動物や植物も一しょに通りぬけてきた。たとえば、ヒマラヤ、アルプス、アンデスなどという大山脈ができたときのことを想像してみて下さい。地球上は大変な混乱ですわ。世界中の火山が一斉に爆発して煙を吹きだす。そうなると、空気の成分もかわって炭酸ガスが非常にふえたかもしれない。そういう時期を、人類も動植物もちゃんと越えてきたのやね。だから人類は少々のことでは参らんと思うんです。まだ適応力がどっかに潜在しているんやないか。もちろん公害問題は楽観を許さないことは確かですが、もう少し長い眼で見たら、そのうちに適応力がでてこないとも限らんわけですよね。」

司馬「なるほど。」

今西「しかし、それにもかかわらず、天変地異が起これば、今の文明が破壊されることも間違いないんやね。その時期がいつ来るのか予測はつきませんが、もう絶対に来ないなどとは断言できん。逆に、来るにきまっているという断言ならできるんです。ではどうして天変地異をくぐりぬけて人類が生き残れたのや、どうして鳥や獣は生き残れたのや、とお尋ねになるかもしれない。生き残れたのは、この地上に分散して生活していたから、どこかで生き残りができたんですよ。/もちろん、不幸にも絶滅した生物もいますよ。けれども、生き残ったのもすくなくない。ゾウの仲間は、さっきもいった一万年ぐらい前に、ほとんど全部絶滅したけれど、アフリカやインドにはいまでもまだ生き残っているでしょう。生き残りがあったから、そこからまた芽を出して広がることもないとはいえない。とにかく分散しておけばどっかに生き残りができるけれど、集中していたら天変地異でバッサリやられる。都市にばかり集中するのは、一種の自殺行為ですな。」

司馬「アフリカや南半球の密林にもやはり人は住んでもらわんならん。そういう人がいなくなると、人類は滅びてしまう。(笑)」

今西「この文明が津々浦々に、アフリカの奥地にまで広がって、それから天変地異が起こったとすると、もう人類の後継者はいなくなってしまうかもしれない。理想としては地球全体に文明が広まるのは結構なことなんですがね。そういうことを考えてると、アフリカの人に叱られるかもしれないが、アフリカをうかつに工業国にしてはいけないのかもしれない。もうぼくらは後戻りはできませんでしょう。行きつくところまで来てしまったから。だからせめてアフリカだけは工業国にはなってくれるな……。」



今西「そういうことやね。核兵器を使ったとするでしょう。まあ全滅してしもたらアカンけれど、七割ぐらい死んで、あと三割くらいが残ったとしたら、救世主みたいな人間が出てくるかもしれませんな、どうも無責任みたいな言い方になるかもしれないけどね。そういう点で、人類はそこまでいかんと眼が開かんからアホであるかもしれない。しかしそういう事態になったら何かやる、あるいは何かをやる人間が出てくるということで、やはり賢いのかもしれない。(笑)そのへんのところでバランスをとっておかないと。(笑)」



今西錦司は1992年に亡くなり、司馬遼太郎は1996年に他界した。今回の東日本大震災の地震・津波・原発事故に対して、どのようなことを彼らが考え、問いかけるのか。彼らが対談してちょうど40年後の春に、震災が起こった。

今西「比較的早くに来たもんですな」

そんなことを司馬遼太郎に話しかけているかも知れない。
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by kazeyashiki | 2011-05-24 10:41 | 世界 | Comments(0)

お米の話。   

あるサイトでこんな質問を受けた。

 「日本の水田の総広さは何haでしょうか? 」
 「日本国民の必要な米の総量はいくらでしょう?」
 「通常、作られる米の量はどのくらいでしょう?」

ネットなどで調べた。

農業白書によれば、
2008年度の日本国内の水稲の作付面積は162万4000ヘクタールで、
これは四国の面積と同規模だ。
そこからの米(玄米)の収量は881万5000トン、
日本人が消費したのは、831万8000トンとなっている。
玄米を精米すると量が減少するのですね。

ちなみに現在、
日本人1人が1年間に食べる米の量はおよそ60キロで、
スーパーで販売されている5キロの米で12袋。
そんなに食べているのかなぁ。
1960年頃はこの倍の120キロの米を食べていた。
年間60キロの米を食べるということは、1日にすると150グラム程度。
150グラムは白米一合に相当する。
150グラムの白米を炊飯すると、約2.3倍程度になり、
重量は350グラム程度になる。
日本人は一日にお茶碗2杯プラスαのご飯を食べていることになるのだ。

今回の震災でどのくらい米の収量が減少するか分からないが、
政府の備蓄米もあるため、減反政策は続行される。
うーん、どうなんだろうなあ、減反政策。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)による関税撤廃で、
安価な米(これがまた美味かったりする)が入ってくると、
日本の農家はどうなるのか。
震災によってこの議論が不足しているのは事実だ。
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by kazeyashiki | 2011-05-23 18:25 | 農業 | Comments(0)

津波の話を聞いた   

佐々木さん宅で夜、地震と津波の話を聞いた。
奥さんの親戚の方が、7名行方不明になったことは、
前回4月12日に出掛けた時、正確にではないがお聞きしていた。
そして今回、行方不明の7名の方々の消息を聞いたのだが、
全員、亡くなられたということだった。
彼女はそのことを悲しみに満ちた表情で話すのではなく、
実に淡々と、さりげなく、「結局7人ともダメだったよ」と語った。
しかしその表情の裏側には大きな喪失感があるように思えて仕方なかった。

石巻に2名、気仙沼、その他の地域で暮らしていたか、
あるいはそれぞれの町で仕事をしていて、津波に呑み込まれたという。

また、野蒜という町の体育館での話も聞いた。
地震発生後、避難場所としてその体育館に多くの人々がやって来た。
だが、津波が体育館を襲い、多くの人が逃げまどい、
カーテン伝いに高い場所へ行く人、浮かんだマットにしがみつく人、
そして体育館の二階キャットウォーク部分へたどり着いた人などがいた。
だが、それもできずに津波に呑み込まれてしまう人もいた。
二階部分から懸命に手を伸ばしたり、ロープや幕を投げたりしたが、
体育館に入り込んできた津波は渦状となり、
まるで洗濯機のようにグルグルとした水流を作り出したのだという。
そして幾人かの人達がそこに呑まれてしまった。

松岡正剛さんの「千夜千冊」に、一編の詩が紹介されている。
『鎮魂詩四〇四人集』(コールサック社)という、
404人の人達が書いたレクイエムだ。
その中に、奥尻島の津波(1993年7月12日、18年前!)での出来事、
それが詩になっている。
作者は麻生直子さんという詩人だ。

    「手を離したひと」

     二度目の波が恐ろしいちからで退いていくとき
     おもわず妻の手を離してしまいました
     手を離さなければ 
     腕にからめて掴んでいた草の根もろとも
     ふたりとも引きずられてこれ以上耐えられないっと
     思うよりさきに自分は踏みとどまっていて
     妻の姿がずずずずーっと黒い波の闇のなかに
     声もあげずに ずずずずーっと
     あの夜の津波の出来事を
     問われるままに確かにそのようにいいましたが
     そのころはまだ妻はわたしの首のまわりや肩にとまって
     たましいのようなまろやかさで
     わたしの離しにうなずいていたのです
     (中略)
     あの夜 妻の手を離して津波に呑みこまれたのは
     ほんとうはわたしなんだ     

今回の津波でも、
手を伸ばし、助けようと頑張ったひとは大勢いたはずだ。
助けられようとしたひともいた。
今回の地震と津波によって引き裂かれたものがあり、
それによって今、人間の内側でいくつもの大きな苦悩が浮き沈みしている。
決して言葉にして語ることはないが、
消そうにも消せない光景が明滅しているだろう。
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by kazeyashiki | 2011-05-18 01:00 | 世界 | Comments(0)

田植え・動画   

今回の宮城行きに同行してくれた塩田氏が撮影&編集してくれた、
佐々木さんの田植えの様子を貼りつけます。

何となく田植えというのは分かっているつもりでしたが、
実際に関わってみると、いくつもの発見がありました。

まず、種まきをして育苗した青苗が、病気にもならずに育ったこと、
それらを軽トラに載せて田んぼまで運んで来ること、
トラックで運搬された田植機を圃場に降ろし、
苗箱から大きなコテで取り出し、田植機の台に運ぶこと、
そして田植機の運転者と助手が田植機のレーンにそれらを設置すること、
以上の行程をおこなってはじめて田植機を稼働させることができます。

スムーズに田んぼの中を進む田植機ですが、
そのためには田んぼ自体が「均平」でなければなりません。
つまり田植えをする前に、
「代掻き」という、トラクタのロータリによる作業があるのです。
田んぼ表面を平坦にし、同時に土壌に空気を入れておく作業です。
もし田んぼが平坦でないと、田植機はきちんと苗を植えることができません。

震災・津波に遭った田んぼには、塩水や多くの瓦礫が入り込んでいます。
塩水では苗が枯れるし、瓦礫があると田植機が稼働できません。
稲作の田んぼは、非常にデリケートに耕され、手をかけられた土の場なのです。

そして「水」。
用水路が震災によって損壊したところが多いので、
沿岸部の田んぼでは、
田んぼそのものより、周辺環境の整備からスタートしなければいけません。
用水路がなければ、何もできないのです。
そして田植え後は、毎日「水」の管理を丁寧にくりかえします。
よく台風の際に、
農家の方々が田んぼを見に行って流された……というニュースを聞きますが、
彼らは田んぼの「水」環境がどうなっているのか、気になって仕方がないから、
台風であっても、台風であるからこそ、田んぼに出掛けてしまうのです。
米は大切な子供、だと思います。

田植機を操作している佐々木さんは、事故で左手首を失われています。
しかし運転は非常に高度な技術で、農業機械会社勤務の頃は、常に模範運転者でした。
「真っ直ぐ進む」ということは、難しいのです。
最近は、畦にセンサーを設置して、赤外線による自動運転の田植機も登場していますが、
農家の方々の声としては、「何もそこまで……」というのが多いですね。

前置きが長くなってすみません。では、動画をご覧下さい。


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by kazeyashiki | 2011-05-17 10:00 | 農業 | Comments(1)

田植え・その1   

宮城県遠田郡涌谷町の佐々木さん宅の田植えに出掛けた。
「来てもいいけど、邪魔だけするな」
これが懐中に持ち続けた自戒であった。
しかし大の男がそこにいるだけで、邪魔は邪魔なのだ。
手伝いをするたって、技術もなければ知恵もない。
あるのは少しばかりの”力”だけ。
田んぼで使う力を”男”というが、果たして”男”になれるのか……
そんな大仰なことは考えていなかったが、ともかく出掛けました。

山形空港でレンタカーを借り、途中、温泉なんぞに道草を喰う。
大阪の垢を銀山温泉日帰り湯で洗い流した、
といえば聞こえがいいが、湯に身を沈めたいという快楽、我欲です。
だけど、気持ちよかった。
人気の湯・銀山温泉は正午過ぎであったのか、
あるいはこのたびの震災のせいなのか、閑散としていた。
以前、10年ほど前に訪れた折は大変な賑わいだった。

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銀山温泉

なつかしい尾花沢から中山平、鳴子を経由して遠田郡涌谷町に到着。
この辺りは大崎平野と呼ばれ、古来より稲作地だ。
遠田の名は、『続日本紀』天平六年四月の条に記述がある。
「田夷遠田郡領遠田君雄人を海道へ派遣する」というもので、
田夷とは農耕開拓の蝦夷のことらしい。
そして遠田は和名抄では「止保太」と書いて「とおだ」と読ませている。
涌谷町は、この町にある箟岳(のの-だけ)という山があり、
「箟」とは矢竹を意味する。
矢のような竹、あるいは矢に使われる竹が多く作られたことから、
「涌矢」という地名となり、それが「涌谷」に変化したと言われている。

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涌谷町の風景

いずれにしても広大な農地が広がる地域で、
ここで農家を営む佐々木家に「邪魔だけするな男」が出向いたわけである。

佐々木さんは、12町歩の水稲を作っている。
飼料用の米として「まなむすめ」を4町歩(4ヘクタール)作る予定だったが、
今回の震災で、4町歩を2町歩にして、普通米を作るよう指導されたそうだ。
「まなむすめ」を飼料用と書いたが、
「まなむすめ」は飼料用だけではなく、食用米である。
この品種は、「ひとめぼれ」の長所を継承した改良品種で、
平成9年には宮城県や福島県の奨励品種として採用されている。
佐々木さんの「まなむすめ」は飼料用というだけのもので、
飼料用の稲作は、普通米(食用米)より手間が掛からないし、需要もある。
そうした背景があるので、「まなむすめ」すべてが飼料用ではない。

12日の木曜日、早朝から田植えがスタートした。

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田植え風景

一番最初の田は1町歩の広い田が2枚で、
1町歩とは約1ヘクタール、縦横109.09メートルの広さがある。
昨年、圃場整備をした田で、8条植えの田植機で一気に田植えをする。
田植機で8条植えというのは大型機種で、これ以上は10条植えがある。
かつては12条植えのものもあったらしい。
もっともこの田植機というのは日本の技術が製造した農業機械で、
最初は歩行型だった。

「ロボットみたいだね」同行した塩田氏がいう。
積載された青苗を植え付け爪で挟み持って、田に挿し込む様子はロボット的だ。
しかも正確に等間隔で進んでいく。
真っ直ぐ走行させるのは運転者である人間の仕事で、
これがグネグネと曲がってしまうと、秋の稲刈りの際、
コンバインがうまく稲を刈り取れなくなってしまう。
佐々木さんが真剣な表情でハンドルを握っている。
そしてぼくはといえば、苗箱の積み替えという、これも大事な仕事を、
”邪魔しないように”手伝っている。

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田植えの風景

植えているのは「ひとめぼれ」という品種で、佐々木家ではこれが主流。
その他に、今では激減した「ササニシキ」も作っておられる。
「ササニシキ」は「コシヒカリ」と共に、一世を風靡した品種だが、
今は生産する農家が減り、一部の高級寿司店か、もしくは自家米になっている。
「ササニシキ」はとても美味い米なのだが、作るのが難しい。
いもち病に弱いし、気候変動にも耐久性がなく、しかも倒伏しやすいのだ。
昨年、塩田氏経由で佐々木家の「ササニシキ」を頂いたが、
やはり美味い。寿司ではなく、普通に茶碗で食べたのだが、食感がいい。
しかも弁当などに使うと、餅状にならないという利点もある。
農家にとっても「ササニシキ」を生産することは価格的にもいいのだが、
うまく育たなかった場合を考えると、やはり躊躇してしまうのだろう。

佐々木さんは左手首を損失されているので、カギ状の用具を付けて作業される。
とにかく真っ直ぐに田植機を走らせることが最重要課題。
運転席後部に苗を継ぎ足す作業をするために、奥さんが乗り込んでおられる。
「夫婦で、性格が合わないとか、好みがどうとか、
 そういうことは言ってられないよね」
塩田氏がつぶやく。二人三脚で懸命に働かなければできない作業だ。

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田植えの風景

手伝いに来ている方々(定年退職した人達だ)が、
「昔は手植えだったからね。それに比べると雲泥の差だよ」
しみじみという。
手植えの田植えを経験したことがあるので、その労苦はよく知っているが、
自分の場合はあくまで体験農業的だから、
何枚もの田んぼに出掛け、水田に入って苗を植え付けるという作業は、
本当に大変だったと思う。全国各地、水稲農家はみなそうだった。
米粒を粗末に扱うと祖父母に叱られた記憶が甦る。
「お百姓さんが一所懸命作ったお米を大事にせなバチがあたるよ」

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見守る人

朝から始めた田植え、1町歩と3反を終えたところで小休憩。
農道に坐ってお茶を飲み、おにぎりを食べる。
そんなに働いていない「邪魔だけするな男」にも分け前が回ってくる。
うまいのはいうまでもない。
朝飯もしっかり食べたというのに、腹が減る自分が恥ずかしいのだった。

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楽しい小休憩

                                             この項、つづく
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by kazeyashiki | 2011-05-16 10:00 | 農業 | Comments(0)

田植えの季節   

東北地方、宮城県が田植えの時期になった。
今日から数日、涌谷町という石巻からすこし内側に入ったところへ、
ぷよねこさんと出掛けてきます。

「来てもええけど、邪魔だけすんなよ」
このセリフは、映像の構成作家をやり出した時期、
先輩からよく言われたもので、たいがいベテランカメラマンから言われた。
つまりもの書きなど、現場に用などあまりないってこと。
たしかにその通りです。

今回の田植えも、このセリフが当てはまる、と思う。

大規模農家の田植え、8条植えの田植機が活躍する。
田植機には2人、畦では苗箱の積み替え作業をする人達、
苗箱を輸送する係、その他諸々の人達が働く。

一町歩の田んぼは広い。行く農家は十四町歩、あるという。
果たしてどのくらいで一枚の田に苗を植えるのか……
ま、この目で確かめてきます。

「来てもええけど、邪魔だけすんなよ」
今回もその類の者となって、初夏の東北をすごします。

……雨、なんかなぁ?
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by kazeyashiki | 2011-05-11 06:45 | 農業 | Comments(0)

この国の今   

菅首相の浜岡原発の運転停止要請を受けて、中部電力はさまざまな背景を鑑みた上で受け入れることを決定しそうだが、地震国として今後、原子力発電所の稼働はどうなのか、という思いを抱いている人は多い。ぼくもそうだ。

静岡県にある浜岡原発は、東海・東南海・南海という三領域の地震発生の可能性が高い地域に接している。8割の可能性で地震発生が予測されている状況下、停止要請は賢明だ、いや、当然だろうという言葉を聞く。

政府内で会議を開いて決めていたら、もっと時間が掛かっただろうと言われている。そうした意味で今回の菅首相の素早い要請は、有無を言わさないという点でよかったのかも知れない。日本人はある意味、こうしたトップダウン式の判定を好むところがあるのは、時代劇などのドラマ構造を見ていて思う(って、喩えがあまりに通俗的ですね)。

しかし、科学的知識のなさ、リテラシー不足を承知で思うのだが、この日録に以前書いた、国内の原子力発電所に関して、浜岡同様に運転停止をしなくてもいいのか?という思いがある。とくに老朽化が進む原子炉は本当に大丈夫なのだろうか。

敦賀第一原子力発電所は1970年から稼働しているし、美浜発電所の電気は1970年に大阪千里で開催された万国博覧会へ送電されたものだ。もう40年以上経ている。もちろん技術的には年々更新され、新技術が加えられているのだとは思うが、すべてが新しいということではないだろう。このあたりは知識不足でよく分からない感覚的な印象なのだが、いずれにしても原発の老朽化ということの側面をもっと知りたい。

電気は生活に不可欠なものだ。電気がなければ成り立たないことが大半の暮らしを我々は送っている。その上で、電気が造られる根っこの部分を知らなければいけないのだと思う。原子力、火力、水力、風力、太陽光、地熱、潮力など、名称は知っていても実態はあまりにも勉強不足だと感じている。

電気(electricity)の語源を辿ると、古代ギリシャ時代の「琥珀を摩擦する時の静電気の力」ということになるそうだ。静電気の力で物質を引く……というのは、小学生のときにプラスチックの下敷きを摩擦して、前の席の生徒の髪の毛を逆立てて遊んだ記憶に結びつく。こんな素朴で牧歌的なこと書いても詮無いことかも知れないが、ぼく自身を顧みれば、科学的な情報、知識といったものを学習せず、他人任せにしてきた。「おまかせ定食」は、いいときもあるが、困ったメニューがいくつも盛りつけられているケースだってある。

今から少しずつ学ぶことを課した上で、明後日から宮城へ行き、震災後の農家の一年〜稲作の記録を取って来ようと思っている。そして続いて福島へも出掛け、原発事故によって農作業ができなくなった農家の人達に話を聞くことで、この国の今の姿が見えてくると思っている。
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by kazeyashiki | 2011-05-09 11:10 | 世界 | Comments(0)