<   2011年 07月 ( 11 )   > この月の画像一覧   

夏の朝・うつつをぬかす。   



やはり夏の早朝は気持ちがいい。
早起きはトクした気分にさせてくれる。
窓を開けると、クマゼミの聲と一緒に涼風が入ってくる。
その瞬間が好きだなあ。
夜が明ける前の一瞬、奇跡のような時刻。



満身で怒りを露出した児玉龍彦東京大学教授の映像、
「この怒りの根源に、児玉氏の大きな利益はない」
という点がこの映像の貴重かつ感動的な点なのだ。
もちろん内容の高さも大事である。
このVTRがネット上だけでヒットしていて、
TVメディアはほとんど取り上げていないという。
「それでいい」
とは、ぷよねこ氏の見解だが、同感だ。
「プルトニウムを飲んでも大丈夫、という東大教授がいる」
と児玉氏は驚いている。
そう言っている東大教授に、
「プルトニウムを飲んでいただく会」イベントを開催したい、
なんて悪魔のようなことを一瞬考えた。
だけどこの「プルトニウムを飲んでも大丈夫」
という発言がマジだったとしたら、何か恐ろしいものを感じる。
「プルトニウム」を「飲む」という発想の基盤、
思考の図面はどこから出てくるのだろうか。大学の先生だし。



文楽、歌舞伎のみならず、
浪曲にまで”うつつをぬかして”いるぷよねこ氏と、
西梅田の究極の立ち飲み安酒場「上田商店」で飲む。

”うつつをぬかす”とは「現を抜かす」と書くように、
現実を見失ってしまうくらい心奪われてしまうことを指す言葉だ。
もちろんぷよねこ氏は現実を見失ってなどおられぬだろうが、
なんとなくこの言葉が似合っているようにも思うので使わせてもらった。
悪い言葉じゃないと思うけど、悪い印象を持っている人の方が多いかな。

ぷよねこ氏は、住大夫のすばらしさを語る。
竹本住大夫……1924年(大正13年)生まれの義太夫。
人間国宝にして、我が大阪文化芸能国民健康保険組合の理事長でもある。
おれの父と同い年・・・ということは当年86か7歳である。
その舞台に立ち会えるというのは至福であろう。
住大夫の話を何度もぷよねこ氏から聞いているけど、
聞くたびに”うつつをぬかして”いる感に確信が持てるのであった。



古典芸能に”うつつをぬかす”感覚は、自分のなかにも発見できるのだ。
しかし時間がないだとか金がないだとか言い訳している。
そのくせムダな時刻を送っているのにね。

たとえば西鶴という人がいる。
おれの出身大学から送られてきた冊子に西鶴研究者のことがあり、
『懐硯』の「案内しつてむかしの寝所」という作品の解釈がある。

淡路島の漁師・北岸久六なる男が東国に漁に出たまま戻らない。
残された妻は髪を下ろして久六を弔おうとするが、
周囲から強く再婚を勧められ、婿を迎える。
が、祝言の翌朝、共寝の部屋にあろうことか久六が立ち戻る。
口開き、目がテンの久六は、しばし話をし聞いていたが、
やがて「こゝろじづかに女をさしころし」、新郎も殺めて自らも果てる。
不幸な物語である。
だが西鶴はこの物語を「神妙なる取置」と評価している。
この「神妙」という言葉は適切ではないと先生はいう。
たしかにその通り、妻と新郎を殺し、自死するのは「神妙」とはいわない。
自尊心や嫉妬、矜持など複雑な感情が久六の胸に渦巻き、
「もうどうでもいい!」的な”やけっぱちさ”がそこにはないか?
「仕事に熱中するあまり長いこと家を空けたオレも悪いけんど、
 新しい男来んの、早すぎちゃうん?」
そんな気持ちになってしまったのだろう。なぜ「神妙」なのか?

この謎が、母校で教鞭を執る若い先生を動かし、謎解きに突き進んだ。
その答えは……なかなか面白い話がここにあるのだが、
書き出すと長くなるのでまたの機会にでも。

いずれにしても、古典文学やそこから派生する古典芸能は面白い。
学校で勉強するのもいいけど、やはり実地で習得したい。
本なら読み、舞台なら観る。実に簡単なことなのだが、なかなかできない。



今日は、某局に提出する企画書作成。
テーマは「震災」に関するもの。関心はあるが、企画となるとまた別だ。
まだ現在、震災地を追いかけている途中なので、
企画というまとまったものに造形する通底口がみつからない。
だけど仕事やから、やらなあかんのですけど。



明日から求職者のための講義、前期の後半がスタートする。
そのための準備もしなくちゃ。
もうだいたい話すことはほぼ話したので、備蓄がないのが正直なところ。
まあ、なんと底の浅い人間だろう。
経験の見直しを怠ってきたことがこの事態を招いているのだが、
これって自分の人生も同じことがいえるんではないか?

やばい。
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by kazeyashiki | 2011-07-31 08:00 | 芸能文化 | Comments(0)

日々の戯言   



スイカの値段が高騰しているという。
生産量が減ったのだろうか。震災と関係があるのだろうか。
昨夏は、一度だけスイカを食べた。
子供の頃は毎日食べていたような記憶がある。
夏の朝、近所の農家の人がリアカーに野菜や果実を載せて、
箕面市桜660の家の庭先まで売りに来ていた。
そこで買うトマトやキュウリは最高にうまかった。
小さなスイカもあって、井戸で冷やして午後に食べた。
あの感覚はあの時かぎりのものだな、と思う。



小松左京さんが亡くなった。
初めて読んだのは『果てしなき流れれ果に』だった。
この壮大な叙事詩のような物語は、
まだガキだった自分には難しかったけれど、読み切った。
葛城山系に魅せられ、出掛けたことがあった。
『日本アパッチ族』や『復活の日』、
それにたくさんの短編小説の一部を思い出す。



震災で、孫たちを東京から関西に避難させている先輩から、
このまま夏休み以降も、孫を東京に戻さないことにしたとメール。
もともと彼は大阪出身だし、親類も多い。
東京都内の放射性物質の正確な量は分からないが、
幼い子供たちに影響がないとはいえないだろう。
先輩は、
「政府や官僚も、子供を避難させている者が結構いる」
と書いている。これって個人的なことだけど、何か解せぬ。



ようやく今日、デスクワークに取りかかれる。
今日中に仕上げなければならない原稿がある。たいへんだ。



facebookにあがった写真に「いいね!」をいくつかつける。
おれの写真にも「いいね!」をつけてくれる人たちがいる。
嬉しいものである。
食関係の写真は、やはり人気があるね。
料理を撮影するのはあまりうまくないけれど。



今日は月末でもある。支払いがいくつもある。
支払えないものもいくつかある。
督促が来るまで何もしないというやり方しか手だてはない。
売上げが右肩下がりどころか、崖から落下するように底をつく。
これは自分の責任だと腹をくくるしかないんですよね。



この夏、広島の山間部に住んでいる知人一家が来阪する。
U.S.Jや劇場に足を運び、ショッピングやグルメを楽しむという。
それなりの格式のホテルに連泊する。
いいことだと思う。
普段は自然に囲まれた地域で、職務をこなしている。
毎年大仰にやっていたお盆の行事も今年は簡単に済ませ、
家族親類とで大阪滞在する。避暑ならぬ遭暑だ。
いや、広島も暑いだろうな。
北海道一部以外、日本中どこでも暑い。
「毎日でかけますから、時間のあるときはお付き合いを」
とメールの文字が踊っている。
彼はUターン組だ。京都で学生時代をすごした。
みんなUターンして地元で働けば、都市集中もやがて解消され、
まともな町、まともな国になるかも知れない。
そういうわけにはいかぬか……。



朝からクマゼミの合唱だ。
大阪市内はこのセミがところかまわず啼いている。
だが、豊中などではアブラゼミの声を聴いたし、
京都ではニイニイゼミの声を耳にした。
西日本からクマゼミが席巻し始めているというが、
地域差はそれなりにあるのだろう。
川西では、ヒメハルゼミも啼いていたなあ。
ヒグラシやミンミンゼミが好きだという人が多い。
いずれも、なつかしい声です。



今年は泳ぎに行くことができるだろうか。
もちろん、海にである。
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by kazeyashiki | 2011-07-29 08:00 | 暮らし | Comments(0)

授業中   

某所で10数名の学生諸君相手に授業をしている。
昨日から始まって、今日は2日目。
中西氏が午前中3コマを手伝ってくれる。
午後の3コマは単独授業だ。
なかなか人にものを教えるのは大変な作業だ。

授業内容は「イベント」に関するもので、
イベントを包括的にとらえ、基本と応用を教えるというもの。
明日と、来週3日間で基本編をおこない、
9月になってから応用編になるというスケジュールだ。

学生達は職業訓練の方々なので、年齢はさまざま。
20代から50代までの男女が集っている。
「イベント」の授業の前は「プレゼンテーション」や
「マーケッティング」の講義を受けてきた。
マスコミや宣伝などに興味を抱く方々である。

果たして「イベント」に興味がある人がどれだけいるのか。
そして何より、ぼくが「イベント」についてどれだけ教えられるのか。
経験を語るしかないのだ。
現場の場数はそれなりに踏んできた。
企業系、行政系、新商品発表会、セミナー、式典などいろいろだ。

原点はもちろん演劇興行にある。
1977年の秋に「灰色の部屋」というタイトルの芝居を上演した。
それが最初の舞台作り体験で、
その年の夏に金沢の辰己にあった古いミシン工場で開催された、
ある舞踏団公演の手伝いをしたことだけが経験値だった。

演出、舞台監督、音響効果、照明、道具と、ひとつずつ覚えていった。
それが後年のイベント制作に役立ったのは確かではあるが、
やはりアマチュア演劇と商業イベントのレベルは全く違う。
ある呉服会社のイベントを手伝ったことが大きかった。
このイベントには、ファッションショーやコンテスト、
商品発表会などさまざまな要素がすべてぶちこまれていたので、
非常に勉強になった。
札幌、仙台、東京、名古屋、広島、福岡の高級ホテルを回った。

以降、機械関係や食品関係、医療、福祉、環境などのイベントに関わり、
今も定期的に参加している。
結局こうした経験が、今回の授業に役立っているということです。

明日は朝から夕方までの6コマを単独でおこなう。
やはりイベントは、教えるより現場であるなーと思う。
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by kazeyashiki | 2011-07-27 19:00 | 暮らし | Comments(0)

祭りの季節   

つい最近、
おれが住んでいる地域の神社の祭り太鼓がきこえていて、
先週末は祇園祭にでかけた。そしてまもなく、天神祭だ。

大川が近いので、毎年天神祭には出掛けている。
船渡御が大川でおこなわれ、多くの船が行き交う。
屋台を覗きながら、船から聞こえる太鼓や大阪締めの手拍子、
「打ーちまひょ」パンパン
「もひとつせ」パンパン
「祝うて三度」パパンパン
「おめでとうございます」パチパチパチ
……これを聴くと、浪速の文化だなーと思う。

橋の上は相当な人出だが、川風が涼しいときも多い。
今年はどうだろうか。

☆〜

今日は朝から思い切って散髪に出掛けた。
髪が長くなるとこの季節、実にうっとうしい。
若い頃長髪だったのが、今はとても信じられない。
あの頃、同世代の者も年上の者も髪の毛が長かった。
おれはほとんど散髪屋に出掛けたことがなかった。
伸びすぎると、適当に切ってもらっていた。
だが今は床屋に行かなければ気持ちが悪い。

すっきりして颱風の前の怪しい天候のなかを米穀店へ向かう。
東北の農業に関する最新資料集を借りるためだ。
この米屋の主人は東北米を大阪で販促している方で、
あの地域への思い入れが強い。
もっとも生粋の大阪人で、古くから商売をしている御仁である。
米屋での長い立ち話は趣味道楽だ。楽しい。

☆〜

帰宅してTVを観ていると、俳優原田芳雄氏死去の報せ。
親しかった松尾貴史が涙をこらえてコメントしている。
松尾氏は、毎年暮れに原田家で開かれる餅つき大会に参加していた。
それが楽しい、と何度か聴いたものだ。
そういえば、
この餅つきには狛江の老師・さこ大介さんも参加していた。

原田芳雄を初めて映画館で観たのは「竜馬暗殺」だ。
京一会館でのことで、1976〜7年頃。
「竜馬暗殺」はモノクロの猥雑で詩的な映画だった。
その後、「祭りの準備」を観た。
アブナイところばかりを歩く人物像に魅せられた。

ブルースもうまかった。
「横浜ホンキートンクブルース」は、まさに役者の唄である。
歌手とは違う感性が動いている。

☆〜

なでしこJAPANの凱旋、TV出演とにぎやかな雰囲気のなかに、
同時進行で、さまざまな場面が通過していく。

☆〜

ふと、歩きながら思ったこと。
芝居を書いてた頃、ときどき「自分探しの旅」ということを、
主人公の独白で言わせたことがあった。
だが、考えてみると「自分探しの旅」をしている者は、
「自分にしか興味のない者」かも知れない。
他者が目に入らなくなるケースが、ままあるのではないか。

そんなこと、ないかな。
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by kazeyashiki | 2011-07-20 01:00 | 暮らし | Comments(0)

七月前半日乗   

今月は、アフターアワーズに飲みに行くことからはじまった月で、
I田夫妻と待ち合わせて、夜更けまで深酒したことでスタートを切る。
いつもの面白連鎖話。ひとつの話題が果てしなく尾ひれをつけて広がっていく。
そこに整合性などなく、思いつき、連想夢想妄想が渦巻き、
だけどオチがあったり、ぐるり回って元の位置になったりする。
こういう喋りは実に愉しい。バカバカしいから有益なのだ。
ところで9月にアフターの25周年記念Liveが開催される。
思えば四半世紀だ。ひえっーと思う。25年がひえっー過ぎた。
人の世もひえっーと過ぎていく。
今回のLive、一座としての出演は無理だが、観客として楽しもう。
翌日は見事なまでに二日酔。

某日、京都の水稲農家に草取りの手伝いにいく。
ぼくより先輩だが、滅法元気なTさんは都合五反の田をやっていて、
無農薬有機なので雑草が多く、昨年から手伝いに行っている。
圃場整備されていない段差のある変形の田で、休み休み草取り。
うまく育って都会のセレブに買い上げられていくんだぞ。

翌日、中学校の恩師である美術のH先生の個展で宝塚へ。
久々にこの町に来た。JRで来た小川君と阪急の駅で待ち合わせ。
大劇場向かいにあるギャラリーまで行くと、
先生と同級生の中西さんがいて、話が弾む。
先生の絵は青色を基調とした人の腕や脚が描かれた連作で、涼しげ。
H先生は実に若くて、ぼくらの同級生といってもいいくらい。
創造するひとは若いんだね。
夜、小川君と西梅田にあるBar"OPENDOOR"で洋酒を。
この店をすっかり気に入っている小川君である。

次の日、中西氏から連絡があって谷町四丁目の喫茶店へ。
メディアPで編集中の松下Dと3人で、コンペの打合せ。
某カーボン会社の企画書作りだが、炭素についてはほとんど無学。
コピー案をいくつか書いたが、後日、ダメだったと報せを受ける。
残念。中西氏も無念そうだった。
S市のコンペが通った勢いに乗りたかったのだが、
奈良の子供向け啓蒙映像がダメで、炭素もうまく行かなかった。
う〜ん、つらいつらい。

某日、久々に梶氏と阪急三国にある料理店で打合せがてら。
真珠湾攻撃から今年で70年。某局が特番を制作するというので手伝う。
まだ企画書段階だが、果たしてうまく成立するかどうか。
すでに真珠湾作戦に参加した方々も鬼籍には入られている現実がある。
だがこの、日本が平和と逆方向に動き出した出来事の軌跡を追うことは、
決して無駄なことではないと思う。
そう思うわりに、ぼくはこの作戦の詳細をちっとも知らない。
まったく不勉強。
今回、改めて勉強してみて分かったことが多々あった。

某日、京都へ向かう。
「イリュージョニスト」という映画を観る。
シルヴァン・ショメのアニメで、繊細かつリリカルな作品だった。
その後、過日亡くなったあみちゃんを追悼する劇団だけの集まりへ。
木屋町三条の「フォアグラ屋」に旧劇団員たちが集まった。
小迫、明日香、まき、元ちゃん、長江、田島の面々。
行方不明のトンコ、ダニーたちの話で盛り上がり、ダニーの居所が判明する。
ここに集まった旧劇団員はいわば「晩期メンバー」で、
「初期」はマコト、きみこ、岩田氏、ケン、高垣氏などで、
「中期」が、片岡さん、まみ、葉子、きのやんたち、
「後期」は、のぶみ、おきゃん、山崎満理子といった面々になる。
ずっと一緒なのは、亡くなったあみちゃん、和田、田島である。
思えば長い劇団活動であるな。
通過していった人たちを併せれば50人、いやそれ以上になるだろう。

某日、同窓会プレイベント開催の下見ということで、
小川君と山田君、そして聖子&みかとでお初天神通りの居酒屋へ。
8月12日にビアホールでプチ同窓会を開催することが決まる。

某日、今月末から始まる某団体の授業内容について中西氏と打合せ。
うちの家でゆっくり話をする。
ぼくと中西氏が「人に教える立場に立つ」ということが面映ゆい。
しかし、やるからにはきちんとしなくてはね。
36時間分のコマ割り、授業内容の詳細を詰める。
学生は17人程度らしい。
内容はイベントについてであるが、経験談からしか話せないだろう。
それでいいとすれば、これまでの経験を洗い直す必要がある。

週末、祇園祭に家人と出かける。
宵山はいつも雨……という印象があったが、今回はまぬがれた。
湿気も少なく、風が通っていたので過ごしやすかった。

昨日は、授業内容のコマ割りリストを作成する。
1日6時間が6日間……なかなか手強いぞ。
午後10時に寝て、午前3時に起床。
女子サッカーのゲームを観る。なでしこJapanが勝利する。
岩清水のレッドカードがPK戦へ導いたのだと思った。

台風が近づいて来ている。
今日18日は終日、雨が降り続いている。
池波本の原稿を書かなければいけないのだが、資料が多すぎる。
読むだけに終始しそうだ。

こうして書くと、飲んだり、遊んでばかりいるように見える。
事実そうだ。
しかし、まあ、大変は大変なんだけどね。ほんまに。
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by kazeyashiki | 2011-07-18 18:23 | 暮らし | Comments(0)

祇園祭   

久々に祇園祭に出掛けた。
京都にいた頃は、知人宅が新町通りの小間物屋だったので、
何かと手伝いをしたり、ご馳走になったりしていたが、
大阪に引っ越してからは、撮影以外で出掛けることはなかった。
人混みのなか、暑いしたいへんだしね。

しかし昨晩の京都は幾分、涼しかった。
気温は高いのだろうが、夜風があって湿気もすくないようだ。
京阪の「祇園四条」から歩き始めて、四条通りを高倉通りまで行き、
そこから上にあがって蛸薬師を西に。
三条通りをはじめ、この烏丸エリアは最近いろいろな店が出ていて、
古くから営んでいる店とふしぎな調和を作っている。

橋弁慶山、鯉山、黒主山、北観音山、南観音山などを見歩く。
暑くなって来れば、烏丸通りにある大垣書店に入ったり、
ベローチェで珈琲を飲んだりして涼み、
菊水鉾、月鉾、放下鉾などを眺めた。

山鉾の見分け方は、
山が、てっぺん部分に樹木が付いている点、
鉾は、美しい光沢のある飾りが付けられている点だ。
鉾はもともと怨霊を払うためのもので、
輝きのある美しいものに怨霊たちが集まってくるという考えのもと、
あのように絢爛で豪華な装飾が施された。
大きな車輪は、洛外に怨霊をすばやく運び、放逐するためである。
それに比べて、山はさほど大きくない。
山が登場したのは鉾よりも遅く、祭りの華のような存在だったそうだ。

山鉾は、山が9基で鉾が23基の合計32基。
下は松原、上は姉小路、西は油小路、東は東洞院までの区域に建つ。
鉾の上では、祇園囃子が演奏されていて、いい音色だ。
大阪の天神祭とも、東京の神田祭とも違う”音風景”が繰り広げられる。
懐かしい気がするのは、子供の頃に何度も聞いていたせいだろうか。
京都で着物の商売をしていた叔父宅へこの時季何度か出掛け、
この古都の風情ある祭りの雰囲気に陶酔した。
祭りといえば、村の鎮守様の鄙びた祭りしか知らなかった者にとって、
祇園祭は子供ながら華麗で優雅、深遠にして壮大な祭りに映ったものだ。

こうした伝統に彩られた祭事にいくと、
自分が大阪や京都といった古くから開けていた地域に生まれたことが、
なんとなくよかったな、と思う。
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by kazeyashiki | 2011-07-17 09:00 | 京都 | Comments(0)

飲んだり、食べたり……   

外に食べに出掛けたとき、写真で撮影するひとがいる。
あまり自分は意識していないから、写すのはときどきだ。

だけど、ふと、思い出して撮ることがある。

凝って撮影するひとと一緒になると、
待つ時間があったりなんかして、ちょっと困ってしまう。

何枚か、アップしてみよう。

それにしても、ひとは食わずにはいられないんだなあ。
飲むのもそうだけど。

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↑↑ ある日のわが家の夕食。イタリア系が多いのが上野家の特徴です。
バジル風味のショートパスタ。

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↑↑ 昼飯は基本、自分で作るけど、たいそうなものは作れません。
ごはんに目玉焼きをのせたものです。

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↑↑ たまに外食する。これはどこで誰と食べたものだろう。
鶏肉のお団子で、実にさっぱりとうまかった。

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↑↑ 古い雰囲気の喫茶店で食べるイタリアンスパも好きだ。

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↑↑ 夏の夕食。かき揚げは買ってきたもの。キュウリの酢の物は定番です。

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↑↑ 日本橋人形町の「鮒忠」で食べた、谷中生姜とねぎま。瓶ビールが合います。

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↑↑ こちらは大阪市内の店。白えびの天ぷら。これには常温の日本酒がいい。

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↑↑ 京都・帷子ノ辻にある定食店のオムライス。勝新さんの好みだったとか。

という毎日です。
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by kazeyashiki | 2011-07-15 09:30 | 暮らし | Comments(0)

ストレステスト   

この言葉がニュースで毎日報じられている。
調べてみると、原発の安全性をシミュレータを使って確認し、
再評価するシステムらしい。
それについてmixiの知人がいうには、
シミュレーション・モデルというのは範囲を設定して作られているから、
その範囲を越えると精度が極端に悪くなるそうで、
本当に役に立つのかどうか疑問を呈している。

東京電力福島第一原子力発電所のストレステストは、
EU=ヨーロッパ連合のシミュレーションを採用しているが、
EUでは、電力会社がおこなったシミュレーションを、
各国の原子力規制機関がチェックし、
さらに別の国の専門家によって相互評価されるという形式で、
評価は3段階に及ぶそうだ。

だが、今回の東京電力福島第一原子力発電所のストレステストは、
国内だけの評価。果たしてこれで正確な評価ができるのだろうか。

わが政府は、何だかもうよく分からない状態になってきてるように見え、
指針や目的が国民に理解されにくい状況のようだ。

国内にある原子力発電所はしばらく稼働停止するのがいいとぼくは思う。
電力不足という事態がどういうものであるのかを知ること、
そこからエネルギーと社会の関係が浮かび上がってくるように思うのだが。
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by kazeyashiki | 2011-07-12 08:00 | 世界 | Comments(0)

梅雨明けて   

夏空が部屋の椅子に座る位置からわずかに見える。

窓の真下はふつうの道なので、会社勤めの人々が、朝は「缶コーヒー買お」と誰に言っているのか分からない言葉を発し、昼は「なに食お?」と、これは同僚(この言葉はおれあまり使ったことがないなあ。ドーリョーって名古屋の言葉みたいだね、ちがうか)に言い、夕方になれば「もしもし○×株式会社の△と申しますが本日は伺えなかったので明日にはかならず……」などと電話している。

おれがひとつ恵まれていると思うのは、仕事部屋の下に公衆電話があることで、これを今も使う人々が結構いるという事実を知っていること、そして冥利が悪い話だが、話す内容が筒抜けならぬ壁伝いによく聞こえてくることだ。もちろんすべて聞き流しだが、中には聞き捨てならぬ話もあって、詳細を語りたいが消極的に割愛しておこう。

書きたかったのは梅雨明けて、の話。昨日は風がそれなりに大阪の街のなかを通り抜けていたので、部屋にいても窓からの風、扇風機の風の二方向旋風でほぼ快適に過ごせたのだが、心配なのが豊中に住む母である。

クーラーをかけないことにかけては右に出る者がいないと言ってもいいほど母なのだが、やはりこの夏の暑さは心配を越えて危険ではないかと思う。「なぜクーラーをかけないんですかお母さん!」という、将棋の駒を詰めるような言い方をする人間ではないが、母宅に行ったときはそういう高まった気持ちになることがある。そこで耳が遠い母に筆談で「クーラーかけんかったら熱中症になるで」と無言で言うと、「クーラーの付け方が分からん」などという。クーラーがわが家にやって来たのははるか昔、40年以上前のことだと記憶している。

その当時、川西市という大阪のチベット能勢の横にある町だからネパール級の田舎団地にいたのだが、そこに取り付けられたクーラーはヒモ付きの手で引っ張る式のものだった。「弱・中・強・送風」という4段階が、蛍光灯をつけるヒモ同様垂れ下がっていて、それはそれで便利な代物だった。

だが今のクーラーはリモコンである。これの使い方が分からないと母はいうのである。「この赤いボタンを押すだけ。いい?押すだけ」と書いて見せても、やはり「分からん。ええわ」などという。そのくせ「暑いあつい」などという。

クーラーをかけないことにかけて人後に落ちぬ……という常套句ではなく(さっきと違うがな)、ほぼ信仰心のようなものがあるとおれは感じている。宗教ですね。なかなか手強いわけだ。だけどやはり心配は心配で、できるだけ通って、心を配ってあげたいと思っている夏である。
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by kazeyashiki | 2011-07-09 06:00 | 暮らし | Comments(0)

ジタバタするな   

このところ原稿の直しが多い。
あきらかに考える力、テンション、生命力が衰退しているのだ。
ちょっとしたことでケガしたり、ものを落としたり、
物事を進める順序を間違えたり、忘れてしまったりするのは、
決定的に何かが足りなくなっている証左、
だが老化だとは捉えたくないし、認めたくない。

そういうことを書いた文章をこれまで何度か目にしてきた。
先達がエッセイなどで書いている文章だ。
自分がその領域に入ろうとしていることは薄々感じてはいる。
だが、認めてしまっては、そこに座りこんでしまいそうになる。
あのね、座り込んだらオシマイなんですよ自分の場合。

ということで、ジタバタしそうになるのを何とかこらえて、
不要な本を天六のワイルドバンチに売りに行く。
整理したいというのもあるが、稼ぎが少ないという現実もある。
つきつめて、そこは何であるか考えないことが安眠の法則だ。
「金がない金がない」なんて言ってしまうと、
もうそれだけで何か大事なものが萎えてしまう気がする。
現実はそうであったとしてもである。

ワイルドバンチで塩田君と待ち合わせ。
長居陸上競技場からやって来る間、マスターの庄内さんと話す。
友川かずき、三上寛、吉増剛造、白石かずこの話題。
こころに余裕がないと詩が読めない。
んだ、んだ、そのとおり。

七夕明けの七月八日、ようやく雨空が去って晴れている。
今日もジタバタのネタ満載の一日ではあるが、
朝から知り合いの短編小説を読み、原稿を仕上げる。
そして昼ご飯を作って食べてすこし休んで、出掛けよう。
扇風機が懸命に働いてくれるので、気分はとてもいいさ。
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by kazeyashiki | 2011-07-08 11:52 | 暮らし | Comments(0)