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ある冬の日   

うす曇りの冬の日
よわよわしい光がこの惑星の地表をてらしているが
少女がこまったときにするような表情で
光がひろがったりしぼんだりする
空のどこかに青がないかと無心する
目にはいってくる色彩
あきらめたように風にゆられる黄葉たち
常緑であることに何のうたがいも持たない木々
かたちのない雲が一面に張りついている
乳色や樺色とどこかで耳にした色のなまえをおもいだす
歩きながら
駆けていくひとどこかへ急ぐひと
たれも立ち止まって風景をながめてはいない
こんなさむい午後だから
風もつめたいし
太陽が顔をのぞかせることもないようだし
ベンチにだってひとりもすわらない
そんな冬の日だから
”木の葉は枯れて空はなまり色
そんな日に散歩なんて”
という歌を口ずさんでみる
だけどどこか暖かな土地を夢見ることはない
それより一杯の珈琲がほしい
カフェではなく
湯気たちのぼるカップの熱い珈琲
さえあればそれでいい
寒風にさからって飛ぶ鳥たちを見上げながら
ゆっくりのみたい
鳥たちの小さなその眸はきっと
わたしが手にしたカップの湯気を見るだろう
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by kazeyashiki | 2011-12-24 11:00 | 素描 | Comments(0)

冬至、ゆず湯、湯豆腐   

今日が冬至であることをすっかり失念していた。
朝、あるひとからのメールで、それが今日だと知った。
嬉しくなる。
なぜなら、冬至の日の風呂屋では「ゆず湯」になるからだ。
仕事終わりで、あの鯉のぼりのような暖簾をくぐれるかどうか、
それは分からない。
だけど、楽しみではないか、と家を出た。

仕事は遅くならず、あっさり解放された。
歩いて帰ろう。
途中に風呂屋があれば飛び込める。

梅田茶屋町から中崎町を抜けて天神橋商店街へ。
このあたり、いくつもの風呂屋がある。
「ゆず湯」の看板は、たちどころに見つけた。

いつもザックには2枚タオルを入れている。
1枚は湯用、1枚は湯上がり用、わりとこまめに小賢しい。
410円の湯楽。この値段、たばこの値段と同じだ。

ゆずの香りほのかに漂う脱衣場から、湯気いっぱいの湯殿へ。
いうまでもないことだが、気持ちいい。
なんどもこれまで湯に入り、気持ちいいと感じてきたが、
過去の経験よりも、やはりいま現在が優先されるに決まっている。
なんて現世利益な人間だろう。

温さが抜けないようにして歩いて、家に帰る。
夕食は湯豆腐だ。
小鍋仕立ての湯豆腐に、細く刻んだ大根を入れると途端に豆腐がうまくなる、
とは、池波正太郎の教えだ。
だが、その先は違う。
池波先生は、鍋の中に入れた壺の附け醤油へ、
二、三滴の胡麻油を垂らすという。
それもなかなか佳かろう。
しかしやはりここは「旭ポンズ」でいくのが浪華人である。
そして七味を軽く。
当然呑みたくなるが、原稿仕事がある。ガマンして燗酒一合だけ。

そしていま、午前1時。
やはりというべきか、案の定なのか、原稿はまだ書き上がらない。
今夜はもう寝るか。
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by kazeyashiki | 2011-12-23 01:00 | 暮らし | Comments(0)

深夜独語。   


寒夜空ふと思い出す如月小春 
新世紀を見ずに地を離れ天を翔け 
今も星間巡り越境し続ける
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by kazeyashiki | 2011-12-21 02:28 | 記憶 | Comments(0)

外套の季節   

「ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。」という書き出しの小説、ゴーゴリの『外套』を初めて読んだのは、おそらく中学生の頃、親父の本棚から引っ張り出した鈍い赤帯の岩波文庫だった。

物語の主人公の名は、アカーキイ・アカーキエウィッチという、魅力的なのか蠱惑的なのか、よく分からない名前の男。場所は「灰いろの空がまったく色褪せ」たペテルブルグの話だ。時代は、この物語が発表された年代とすれば1840年頃の話である。

ストーリーは単純だ。

主人公アカーキイ・アカーキエウィッチ(アカーキエヴィッチという表記もあるが、ここは手持ちの平井肇訳の岩波文庫に従う)が一大決心をして外套を誂えるのだが、仕上がった外套を着て街を歩いた晩、「何者か、髭をはやしたてあいがにゅっと立ちはだかっているのを見た。」そして「アカーキイ・アカーキエウィッチは外套をはぎとられ、膝頭で尻を蹴られたように感じただけで、雪の上へあお向けに顚転すると、それきり知覚を失ってしまった。」のである。もちろん外套は持って行かれた。

アカーキイ・アカーキエウィッチはさまざまな手段を使って失われた外套を探すが、見つからない。逆に、叱責されて傷つき、「吹きすさぶ吹雪の中を、口をぽかんと開けたまま、歩道を踏みはずし踏みはずし歩いて」、扁桃腺を腫らし、高熱を出し、そのまま死んでしまう。なんという哀れな結末か!

だが、「ところが、これだけでアカーキイ・アカーキエウィッチについての物語が全部おわりを告げたわけではなく、まるで生前に誰からも顧みられなかった償いとしてでもあるように、その死後なお数日のあいだ物情騒然たる存在を続けるように運命づけられていようなどと、誰が予想し得ただろう?」という、吸引力のある続きの物語に読者は引き込まれてしまう。

なんと、アカーキイ・アカーキエウィッチは死して後、幽霊となってペテルブルグの街角をさまよい、エラそうにしている人物の外套をはぎとり、しまいには、彼を叱責し傷つけた町の有力者(あるパーティの後、愛人の家に向かっていた)の外套を、見事はぎ取ったのである。

この奇妙な小説に、ガキのおれはいたく感動してしまったのであった。マイナーといえばマイナー、暗いといえば暗い。青空とそよ風の季節を生きている中学生にはふさわしい小説ではない。

そして今でも、木枯らしが吹きはじめる季節になると、この暗い小説を思い出す。毎年読んでいるわけではないが、師走の、クリスマス前の、物いりの、しかし素寒貧でどうしようもない時期になると、無性に読みたくなるのだった。

一度、声に出してみてください。「アカーキイ・アカーキエウィッチ」、あるいは「アカーキイ・アカーキエヴィッチ」と。すると、どうでしょう、四方八方から吹く風の街、ペテルブルグの情景が目に浮かんで来ませんか。小路に店を出す肉饅頭がうまい屋台や、湯気を上げるシチュー店、焼きたてパイを売る菓子店、強い酒を呑ませる居酒屋、嗅ぎ煙草店などが見えて来るでしょう。これがアカーキイ・アカーキエウィッチという名前が作る魔法なのであります。

この冬、ゴーゴリの『外套』を是非是非。
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by kazeyashiki | 2011-12-16 03:00 | 読書 | Comments(2)

12月13日   

すでに12月も中旬。
言うてる間に、「残すところあと僅か」に、なる。
今年は3月11日の午後までは、
これまで長く続いていたこの国の暮らし、生活様式、社会が動いていた。
だが、この日を境にして、以前と以後の社会の枠組みができた。
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一度に多くの人々が亡くなったという事実の前で、
生死への思想、哲学が考えられた年でもあった。
そのわりには宗教的雰囲気が蔓延しない感じなのは、
宗教がパブリシティではなく、信仰が根幹であること証明しているからだ。
現地の人々と話してそのことを感じた。
宗教宗派を超えたものがそこにあった。
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この大地震のことと平行する形で、日本社会も時計を前に進めた。
そうしたなかにさまざまな人たちが登場して、
われわれに印象を残して、去っていく。
内閣の長であった人、
地震報道のフロントに立って説明していた担当報道官、
失言した大臣たちなどの政府関係の人々。
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一時代を築いて活躍し、向こうの世界に去っていった人も多かった。
それぞれ好みの作家や、俳優や歌手を思い出す方もいるだろう。
肉親や友人知人を送った方も。
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そんなふうにして年が過ぎていく。
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われわれは生きていくために日々、何事かをする。
自分にあてると、齷齪(あくせく)しているのが現状だ。
うまくいくことなんてそんなにあるわけじゃない。
うまくいかないことの方が多い。
そのことに卑屈になるなと言い聞かせながら、暦を重ねる。
そして年を取っていく。普遍の原理、万人の摂理である。

そこからしか始まらないなにかを両手で受けとめて、
立ち止まらずに前を見ていこう。
きっと頭の上には青空が広がっている。
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by kazeyashiki | 2011-12-13 22:00 | 暮らし | Comments(0)

12月8日   

本日は、今から70年前の1941年、日本海軍が真珠湾の合衆国海軍太平洋艦隊に奇襲攻撃を仕掛けた日である。8月15日の記憶のされ方と本日との間には相当なる格差がある。太平洋を舞台にして戦争が始まった日と終わった日……この違いはなんだろう。

そして今日は、ジョン・レノンが射殺された日でもある。1980年だから31年前のことだ。90年代の中ごろ、ニューヨークのセントラルパークにあるストロベリーフィールズにでかけた。円形のイマジンの碑があって、花が一輪捧げられていた。

あすからまた滋賀県に撮影である。今年の滋賀県度は高い気がする。近江ではなく、湖北地方が多い。近畿圏ではなく、北陸圏に入る感覚。しかもあすから寒くなるというんで、毛糸のセーターを引っ張り出してきた。屋外撮影が多いので、暖かくしたい。

これまでいろいろな大阪論を読んできたが、いちばん面白かったんは、司馬遼太郎と山口瞳の対談だと思う。「東京・大阪 ”われらは異人種”」というタイトルで文春文庫の『日本人を考える』に収められている。浪華の商人司馬に、江戸っ子の山口が頑固に対座するという感じで、とくに山口さんのムキになる部分が面白い。二人とも、自分の故郷以外は全部けなしているのも面白い。オススメです。
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by kazeyashiki | 2011-12-08 23:00 | 暮らし | Comments(0)

今日の音楽   








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by kazeyashiki | 2011-12-04 00:00 | Music | Comments(0)