<   2012年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧   

消えた店々   

大阪にある「消えた名店」なる文章を書いていた。
淡路町の「丸治」や、法善寺の「樹の枝」などで、
これは池波正太郎の文章から知った店だ。
「丸治」は、いかにも船場の商家風の建物で、看板も暖簾もなかったという。
料理は「あぶらめ(鮎並)」や「わかめと若竹の吸物」「さらし鯨の酢味噌」
といったもので、酒は菊正宗の樽だったという。
もちろん、有名な「船場汁」もあったことだろう。
これは、塩鯖と大根や人参などを煮込んだ具だくさんの汁物だ。

一方、法善寺の「樹の枝」は焼鳥屋で、池波の文章を引くと、
「見るからに苦っぽい亭主が愛想ひとついわぬばかりか、客に噛みつきそうな面がまえで鳥を焼く。そのそばで、これまた不愛想きわまりないおかみさんが、黙念と鳥へ串を打ち、酒の仕度をする。」(「大阪から京都へ」『食卓の情景』新潮文庫)
しかし店前は常に行列状態であったそうな。

これらの店が消えたのはもう随分前のことで、おれは立ち寄ったことがない。
出かけて食べた店で消えてしまった店といえば、天満のお好み焼き店「菊水」がある。
名物のおじいが店を仕切っていた頃に行ったのだが、なるほどうまかった。
だが、聞けば、おじいが亡くなられた後は、味が落ちたという。

長らく暮らした京都の「消えた店」としては、
最近、「グリルアローン」(寺町御池上ル)が閉店したという。
ここの名物はなんといっても「オムライス」である。
何しろ巨大だった。腹を空かせた役者たちにはご馳走であった。
また、同志社大学近くの「侘助」も閉店して、マンションになっているそうだ。
さらに出町柳のラーメン専科「いちばん」も、いつのまにか閉店したという。

どこの店も常連というわけではなかったけれど、
たまに立ち寄ったり、店前を通りすぎたりして確認するのが楽しみだった。

だが、京都でいちばんの思い出の店としては、「豊楽」を挙げないわけにはいかない。
「豊楽」は焼肉店である。
劇団員を可愛がってくれたおばちゃんは今どうしているのか。
一度、探索に出かけなければと思っている。

「豊楽」にまつわる話は多い。
別段、ドラマチックな物語があるわけではない。
しかし、
そこに繰り広げられるエピソードの数々は、おもしろい物語になると思っている。
書けばいい、ということですね。
ノスタルジックというジャンルがアメリカの書店にはあるが、その類だろう。
ぼちぼちと進めよう。
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by kazeyashiki | 2012-05-29 12:00 | 記憶 | Comments(0)

282年ぶり   

先に金環日食が大阪で観測できたのは282年前。
1730年(享保15年)だそうだ。
日付は7月15日、陰暦ならば6月1日になる。
今回のコースと違って、中国大陸から北朝鮮、島根県松江市と鳥取市の間、
そして大阪上空から和歌山熊野灘方向に観られたとか。
時代でいえば、第8代徳川吉宗が将軍だった時代。
享保の改革を実行した人物、直訴の目安箱を設置したことも有名だ。
吉宗の改革は、いわば経済の安定化をめざしたもので、
大坂の堂島米会所が開設されたのが、享保15年9月24日のことだ。
ここでは現物取引もおこなわれたが、先進的な先物取引が実施された。
この先物取引は、世界で最初の試みであったことから、
現在シカゴにある商品取引所マーカンタイル取引所では、
「先物取引は、堂島がルーツ」と案内しているという。
いずれにしても前回の金環日食が観測できた282年前、
江戸時代の大坂の人々も、この天体の神秘現象を観たかもしれない。
次に大阪でこの現象が観られるのは300年後らしい。
2312年である。
さて、この時代の大阪はどうなっているのだろうね。
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by kazeyashiki | 2012-05-21 11:00 | 大坂と大阪 | Comments(0)

ある詩人のこと   

山之口貘さんの詩との出会いは高田渡さんの唄だった。
とてつもない貧乏詩人がいた、と渡さんがラジオで語っていた。

だけど貘さんは「精神の貴族」だったと言ったのは茨木のり子さんだった。

「獏さんは詩を書き、雑文を書き、講演し、テレビにもでていっしょうけんめい働きましたが、生活は楽になりません。一編の詩をつくるのに四年もかけるような潔癖さでは、採算がとれるはずもなかったのです。
 生涯、借金につぐ借金で、首がまわらず、たいていの人なら、いじけてしまうところですが、獏さんはだれよりも貧乏したのに、心は王侯のごとしという、ふしぎな豊かさをますます自分のものにしていった人でした。そのみごとな心意気が、多くの人をひきつけずにはいなかったのでしょう。町で、飲み屋で、喫茶店で、新しい友だちがいっぱいできてゆきました。(『獏さんがゆく』茨木のり子/童話社)

そして貘さんが亡くなった葬儀の様子を茨木さんはこう書いた。

「五百人の参会者のなかには、飲み屋のねえちゃん、靴みがきのおっさん、ツケのたまっていた喫茶店のマダムなどもはいっていて、この愛すべき詩人—だれよりも貧乏なのに現代日本のどんな金持ちよりも豊かに、ぜいたくに生きた、まったくふしぎな獏さんを、なごり惜しく、涙ながらにおくったのでした。」(前出同)

貘さんに「座蒲団」という詩がある。

 土の上には床がある
 床の上には畳がある
 畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽といふ
 楽の上にはなんにもないのであらうか
 どうぞおしきなさいとすゝめられて
 楽に坐ったさびしさよ
 土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに
 住み馴れぬ世界がさびしいよ

貘さんの詩集を持って、どこかふらふら歩きたいと思った。
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by kazeyashiki | 2012-05-17 16:00 | 読書 | Comments(0)

読んでいる本、呼んでいる本   

図書館から借りていた本を返す。
『映画はやくざなり』笠原和夫……いろいろと勉強になる書物だった。

新しい作家では、円城塔がいい。
思弁小説というのか、思索小説というのか。
ともかく、天衣無縫。
この人の、”時間”に対する考え方が好きだ。
また、円城塔から知った伊藤計劃の作品もこれから読んでみたい。
伊藤氏は34歳で早世した。

友人の父上の書『カフェハウスの文化史』(小川悟著)を読んでいる。
コーヒーとカフェハウスの歴史が、格調高い文章で書かれている。
三島由紀夫、澁澤龍彦、種村季弘、生田耕作に連なる文脈。
まだ途中なので、感想はまた後日に譲る。

佐野眞一と和合亮一の対談集、まだ途中。

司馬作品のうち、未読のものはかなりあるが、
先日『花神』と『峠』を読み終え、
いまは『草原の記』という短い紀行文を読んでいる。
池波さんは、『剣客商売』を楽しみながら、ゆっくりと。

つい先日、古書店で見つけた本、神吉拓郎著『洋食セーヌ軒』。
なかなか面白い。
片岡義男と村上春樹をシャッフルしたような味の短編がならぶ。
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by kazeyashiki | 2012-05-16 23:00 | 読書 | Comments(0)

……に似た人   

だれかを捜しているわけではない。
だが人混みのなかを歩いていて、
ふと知っているひとに似た人を発見したとき、
「ああ」と一瞬、懐かしい気持ちになる。
だがすぐにそれは、自分が意識的に懐かしがっているのだと気づく。
なぜなら、彼らはすでに天界へ旅立った者だからだ。
どことなく似ている。
背格好がおなじ。
雰囲気。
ファッション。
そして気配のようなもの。
おそらく近寄っていけばちがうと分かるだろう。
後ろ姿が似ていても、前からみれば全然ちがうということは多い。
横顔は似ているのに正面からみたら全くちがう、ということもよくある。
別段、似ていてほしいとは思っていないのだ。
似ている感じをみる、それでいいのだ。
そんな具合にして、ふと知っているひとに似た人を発見する懐かしさ、
ある種、郷愁感のような、望郷のような、思慕のような感覚。
地下鉄の混み合った駅構内、
階段やエスカレータ、
車内の端やドア横に彼らの姿をみつけることができる。
彼らはもしかしたら、
「たまには思い出せよ」
と、似た体軀の者に偶然を装って出会わせているだけかもしれないのだ。
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by kazeyashiki | 2012-05-11 23:00 | 記憶 | Comments(0)

大型連休始末譚   

今年のこの時季、C社に詰めているので暦通りの仕事日程となった。
その始末記を記しておこう。

実質的に、4月28日の土曜日から連休がスタートする。
27日の金曜日がH高校の最終撮影で、終日出かけていた。
翌日はそれなりに疲れて、自宅で寝転び読書だったが、
ぷよねこ氏から「スタンドアサヒ」へ行こうとの魅惑的なお誘い。
ぷ氏は長居陸上競技場にいるらしい。そこならすぐだ。
だがおれは、谷町線で谷四→谷六→谷九→四天王寺前夕陽丘→天王寺、
そこでJR阪和線に乗り換えて、天王寺→美章園→南田辺と、
合計7駅間を移動しなければならない。
ぷ氏は「すこしじゃないか」と言うが、7駅移動して飲みに行くのは遠出だ。
だが、愉しい遠出であるにはちがいない。
久々の「スタンドアサヒ」だったが、到着が開店の17時を少し過ぎてしまったため、
カウンター席に坐れず、カウンター後ろの2人掛け。
だけど我々の後から訪れた客が満員で断られていたことを考えれば幸運と思うべし。

帰路は谷町線田辺駅まで歩く。
途中、「模擬原子爆弾投下跡地」という石碑を見つけた。

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1945年7月26日午前9時26分、
米軍B29爆撃機が淡路島方面から大阪湾を越え、
石碑が建つ東住吉区田辺小学校北側に5トン(1万ポンド)の爆弾を投下した。
これが後に広島・長崎で投下される原子爆弾の練習であったという。
この模擬投下によって6名の生命が失われている。
その地にこの石碑が建てられたのは、2001年3月のこと。
建立者は、亡くなった方の息子さんである。

翌29日は、原稿書き。
夏に仕上げたい「震災の私的記録」の文章をまとめるが、なかなか進まず。
その夜、I家に誘われて焼肉をご馳走になる。
30日は終日ふらふらする。

5月1日火曜日はC社に出勤。雑用をいくつかこなしたりする。
いま、C社ではあるDVDの広報をおこなっていて、宣伝先にファックスを送る。
その作業を進める。
1枚の宣伝文を各所に送るのだが、半端な数ではない。
すべてを合計すれば1000ヶ所以上ある。
しかし最近のコピー機はファックス機能なども搭載している複合機なので、
番号を打ち込むと一度に送信することができる。
実に便利だが、ファックス番号を打ち込む作業は手作業だ。

2日、母が通っているデイサービスから電話があり、
母の血圧が高く、ふらついているという。
しばらくサービスセンターのベッドで休んだら、元気になったそうだ。
だが心配なので、妹にメールして、サービス終わりで見舞ってもらうことに。
言っても今年93歳である。5日に泊まりに行くことにした。

3日木曜日は憲法記念日。
自宅周辺は官庁街なので、デモ行進や街宣車が非常に多い。
特に旗日には、やたらと多い。朝から騒然としている。
そんな中、撮影に関する下見で難波。
その後、図書館で自習。
休日なので混雑しているかと思ったが、図書館よりも屋外なのだろう。
ゆっくり調べものができた。
その足で梅田経由、阪神電車で大石駅へ。
ぷ氏と灘温泉で待ち合わせているのだった。
大石駅の横を流れる都賀川の狭い河川敷には大勢の人がいて歩きづらい。
住宅街を抜ける。
灘温泉は二度目だが、ここの湯はかなり高得点の湯だ。
加温加水していない炭酸泉は、冷たすぎなくて実に心地いい。
これが通常の代金で入浴できるのだから最高だ。
また、露天風呂も気持ちいい。
小一時間、楽しんだ。

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湯上がりには、「高田屋旭店一色屋」が待っている。
居酒屋のお手本になる店だと思う。
ところがこの日は地域の祭であり、祝日でもあるのでカウンター席は満員。

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だけど何とかカウンター後ろのテーブル席を確保できた。
長湯あとの身体に、冷たい麦酒が滲みていく。
お客の居時間は長くない。
やがてカウンター席が空いたというので移動する。
やはりこっちの方がいい。
おれはこの店のよく働く姐さんが好きだなあ。
愛想がいいというのではない。が、気遣いがとてもいい。
すべてのお客をきちんと見ている。ちょっとした変化にすぐ対応する。
こういうひとがカウンター内にいると安心する。
これがサービスというものかと思う。
帰り際、ついこちらが愛想を振って「おいしかった。また来ます」と言ってしまう。
そう言いたくなる雰囲気があったからだ。

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4日みどりの日は、ヨメの父母と一緒に長谷寺へ行く。
近鉄で河内国分駅まで行き、駅近くの携帯電話店に。
おれの携帯電話の簡単な手続きをする。
そして11:00にクルマで出発。
桜井市にある長谷寺まで高速道路を利用することに。
途中、昼食ということになって、義父母がよく利用する中華料理店へ立ち寄る。
義父母はゴルフの帰りにちょくちょく来るという店で、バイキング形式。
こうした形式のレストランはあまりうまくないの敬遠しているのだが、ここは違った。
セルフではなく、注文するとできたての料理が出てくるというもので、
ひと皿分の量が実に適量なのだ。
ラーメンも、通常の「小」よりもさらに少量。しかも素朴でうまい。
メニューも豊富で、少量だけどちゃんと作っている。
あれこれ食べたいひとにはうれしい店ではないか。
大いに満足した。

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長谷寺までしばしドライブ。
ここは花の寺、牡丹の寺院で有名なところだが、初めての参詣である。
古寺である。

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東大寺の流れを汲む華厳の寺として創建されたが、現在は天台。
参道にはさまざまな店が並んでいる。
だが、祭りなどの屋台とちがって、門前町ふうの店だ。
売っているものも地元産のものが多く、
地酒、地産のこんにゃく、草餅、炒った空豆や落花生、素麺、そして奈良漬け。
どれも目移りして仕方がない。

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境内に入ると、399段の長い階段が続いている。
そこは屋根付きの登廊になっていて、その周囲は牡丹の花が咲き誇っている。
人々は花を愛で、写真を撮りながら、ゆっくりと登廊をあがっていく。

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本堂は、懸造と呼ばれる巨大な建造物で、舞台が備えられている。
これは京都の清水寺と同じ建築法で、舞台から門前町が見える。

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本尊の十一面観音は右手に数珠と錫杖を持ち、左手には水瓶。
とにかく大きい。10メートル以上ある。
大きいけれど、全体のバランスは良くて、どこにも破綻はない。
京都などでは見ることのない観音様だ。
私見だが、奈良仏教、南都六宗の影響があるのではないだろうかと思った。

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5日は豊中の母宅へ。
親孝行というと照れ臭いが、幼い頃からいろいろ守ってくれてきた母を、
今度はおれが守ってあげるのが自分の役目だと思う。
一緒にメシを食べ、話をすること。
時間を共有することで母は喜んでくれるので、夕方から夜更けまで一緒にいた。

そして大型連休最終日の6日。朝から細やかな雨が降っている。
この日は服部緑地公園で開かれている「祝・春一番」コンサートにいく。
F氏、K氏という55歳トリオで見にいく。
このコンサートはこれまで何度来ただろう。
高田渡さんや中島らもさん、めんたんぴんの飛田さんのステージも観た。
阿部さんと、風太さんの司会が愉しかった。
だけど阿部さんはもういない。
一緒に観客席でビールを飲んだワタルもいない。
ワタルは芝生に寝転びながら、耳にイヤホンして競馬新聞を読んでいたなあ。
そして2009年の5月2日、
清志郎の訃報を知らせる新聞が会場随所に置かれていた。
そんなことを思いながら、ステージで歌い演奏する人たちを眺めていた。

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知っているバンド、知らないバンド、いろいろ登場する。
「ハゲー!」の声が飛ぶエルキュール上野とアフターアワーズSHOWには、
岩手県大槌町から来た、元姫神のメンバーだった大久保さんが加わった。
リクオや押尾コータローのステージは洗練されているし、
豊田勇造さんの歌には、友部正人、大塚まさじさんたちも参加して豪華だった。
渋いおっさんたちの渋谷毅オーケストラ、
バンマスの渋谷毅さんは72歳。
このひとは、由紀さおりの「初恋の丘」や「生きがい」を作曲し、
坂本九の「見上げてごらん夜の星を」や「夜明けのスキャット」の編曲者なんやね。
この渋谷毅オーケストラで金子マリさんが歌った。
これがとてもよかった。
ロック勢では、高知県から来た”ゴールデン野郎”が面白かった。
3人編成で、いい音を出す。
メンバーは四万十市出身というのがいい。
「阿部ちゃんがおったら、好きやったやろなあ、このバンド」
風太さんがMCで話していた。

会場で、大学時代の友人に会った。
22歳で卒業していった同窓だから、33年ぶりで再会したことになる。
同じであることが懐かしい。

という大型連休。
ゆっくり家で寝転ぶ時間はなかったけど、
ゆっくりすることを望んでいなかったから、これでいい。
そして明けて7日。
夏がノックするような大阪の空気のなか、出勤する人々の表情はそれぞれだ。
難波駅構内にある熱帯魚の水槽前、
呆けたように魚たちを眺めているスーツ姿の会社員がいた。
身なりはきちんとしているが、肩がすこし下がり、カバンを持つ指が頼りなげだ。
心から同情する。
だが、男もやがては歩を進め、自分の居場所へ向かって行くのだろう。
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by kazeyashiki | 2012-05-07 23:59 | 暮らし | Comments(0)

おーい、無茶   

小浜市で、経産省による関西電力大飯原子力発電所再稼働に関する住民説明会が開かれたとテレビが報道していた。住民の代表たちは、納得していない様子だった。

また、東京では今夏の電力消費についての会合があり、関西電力管内の電力が足りないと伝えている。

大飯原発の再稼働を推進する関係者の話を聞いていると、嘉田滋賀県知事が言っていた「駄々っ子のように電力供給ができない理由ばかりを言っている」という感覚に同感する。

おれは、大麻が好きな者が、「大麻はヘロインやコカインと違って自然のものだから安全なんだ」「タバコより害がないんだ」と主張する感じに似ている気がする。だけど日本国は大麻取締法があって、有名人が大麻で逮捕されると、「大麻は、より強いヘロインやコカイン、覚醒剤への入口となる」などと言われる。

ということは、大飯を再稼働させると、次に別の原発が再稼働し、日本各地で停止している原発が動き出し、より強くて危険な状態になるんではないかと心配になる。

「大飯原発を再稼働させる条件として、大麻を解禁しろ」なんていうアホもそのうち登場しそうだなあ。

いずれにしても、節電することを心懸けることだ。無駄、結構多いからね。
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by kazeyashiki | 2012-05-03 09:00 | 世界 | Comments(0)

5月1日   

今日はメーデー=May Dayだ。
「労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行う日」
と、ウィキペディアにある。
今日は外にいるので、デモの声は聞こえない。
自宅周辺は府庁舎があるので、この日はデモ行進がおこなわれている。
5月1日でなくてもデモは結構頻繁にやっている。

だがこの5月1日は、わが父母の結婚記念日である。
昭和30年1955年のこの日、父・博と母・喜美代が結婚した。

いろいろナゾがあるようなのだ。
母は父より年上である。5歳年上女房なのだ。
そして、これは確実なことではないが、
どうも母は一度結婚したか、結婚するのを失敗しているフシがある。
まだ母方の祖母が健在だった頃、そんな話をしてくれたことがあった。
だがおれはそのとき中学生。よく分からなかったし、詰めて聞かなかった。

父と母は、箕面の家の隣に住んでいたUさんという人物によって仲介された。
このUさんは、父が復員してきて結核を患い、
泉州の病院に入院治療していたときに同じ病棟にいた人だ。
Uさん夫妻が仲人となって、わが父母は簡素な結婚式を挙げた。
だが、式の写真は一枚もない。
おそらく家の中で実に簡略化しただけなのだろう。

結核病院を出た父は、仕事を探しながらアルバイトもしていたようだ。
堂島にあった映画館のチラシ制作なんて仕事もしていたと、
これは本人から聞いた。
その他にもいろいろなバイトをしたみたいだが、内緒のままだ。
生涯で一冊だけ出版した句集「好日」に、
簡単な父の経歴が書き込まれているのだが、
そこにもどんなアルバイトをしていたのか、書かれていない。

そしてこのUさんの世話で信用金庫に入社することができた。
おそらく昭和26〜7年のことだ。
大阪の浪速区あたりで一人暮らしをしていた父が見合いをし、
母と一緒になって箕面の家に暮らしはじめようとしたとき、
父は行李ひとつだけを持参して来たそうだ。
「たったこれだけ?」と、母も祖父母も母の妹たちも驚いたらしい。
四畳半と三畳の部屋で新婚生活がスタートした。

そしておれは昭和31年1956年12月9日の午後10時から、
日が改まって10日にこの世にやって来た。
9日が正確な誕生日になるのだろうが、
母の誕生日が12月10日だったので、一緒にしてしまった。
まあ、たいしたことではない。マザコンにもならなかったし。

というわけで今日5月1日は記念すべき日である。
ただ、父は2004年4月10日に亡くなってしまったから、
金婚式に1年足りなかったわけだ。ちょっと残念。
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by kazeyashiki | 2012-05-01 12:00 | 暮らし | Comments(0)