<   2012年 06月 ( 6 )   > この月の画像一覧   

歩く日々。   

このところ、よく歩いている。
靴のせいだ。
新しい靴を買ったのだ。
安物である。
しかし、安物でも新しいうちは履き心地がいい。
だから歩けるのだ。

過日、桃山台駅と豊中駅の中間地点にある母の家から、
とりあえず緑地公園まで歩いてみようと考えた。
服部緑地公園の野外音楽堂はおなじみだが、
そのほかの区域を知らないから散策してみようと。

歩いていると興に乗るというのか、
歩くことが楽しくなってくる。
もっと早く行きたければ”走る”という選択になるのだろうな。
だがおれは”歩く”がいい。

緑地公園から江坂、東三国、新大阪まで来た。
どうせなら淀川の橋、新御堂に並行する橋を渡りたくなる。
天気もよかったし、風が適度に吹いていて気持ちいい。

結局、中津から中崎町へ、天神橋商店街を突き抜け、
天神橋を渡って自宅まで歩いてしまった。

過日、近江八幡で仕事が終わり、まだ日が高かった。
隣駅が「あづち」である。
数年前に安土城址に仕事で来たことがあって、
そのときはある作家のお供だったので気まぐれ散策ができなかった。
そこで自分なりに歩いてみたいと思っていたその機会だと考えた。

安土駅前にはレンタルサイクルショップが2軒ある。
だが、地図でみると安土城址まで2キロもない。
これなら歩くに限る。駅から田んぼ道を歩き出した。

風がなんと気持ちいいことか。蛙が鳴いて音環境もいい。
入山料を支払って安土城址の石段を登り出す。
幅広の石段であることよ。
きっと信長はここを馬で駆け上ったにちがいない、
と妄想しながら、汗を拭い、登ったのだ。

人とは何人か出会ったが、
頂上の天守台跡まで行くと、だれもいなかった。
200メートルに満たない小山だけれど、
しっかり登った感があった。
そういう山を信長公は選んだのだ。

石段を登りながら考えていたのは、むかしの出来事だ。
まだ城があった頃、信長が京かどこかにでかけていて、
翌日夕刻まで帰らないという日、
城詰めの女官たちがこのときとばかりに城を下り、
どこかで骨休めをし、羽目を外し、享楽に浸していたら、
いきなり信長公が帰城されるぞという声。
慌てて安土城に戻ったものの、信長は一足先に到着していて、
城内を、怒髪天を衝く形相で歩き回っている。
侘びたものの、遊んだ女たちは全員処罰されたという。

女たちが駆け上った石段がこの石段かどうかは分からぬ。
しかし”駈け上がった”という事実はあったことだろう。
覚悟していた者もいたにちがいない。
覚悟していなかった者もいたはずだ。
だが、女たちはみな急いでいたことだけは確かなこと。

石段を踏みしめながらそんなことを考えていた。

頂上から見た近江の風景は霞んでいた。
水を飲み、煙草を喫って、風に身体を晒して、じっとした。
鳥の声と木々のざわめき、だけ。

帰路に遭遇する三重塔。
その横の台地からは西の湖が見渡せた。
きっとこのあたりで信長は鷹狩りなんぞをしていただろう。
共有する感覚など微塵もないこの猛禽類を、
信長はもっとも信頼していたのかもしれない。
かたわらの三重塔も眼下の仁王門も、
甲賀の里から強奪するように移築させたのは、
信仰心ではなく、彼なりのバランスであったのではないか。
「調和だ、調和。それ以外に何もありはせぬ」
正対ではなく、斜め目線で信長はいいそうだ。

歩いていると微細が見える。
それが見えると細かいことを考える力が立ち上がってくる。
そういう時間が自分には必要なのだと気づかされる”歩く時間”である。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-06-28 23:00 | 素描 | Comments(0)

通俗小説   

純文学というのがある。
ひところ新潮社が「純文学書き下ろし特別作品シリーズ」と題して、
箱入りの重い本を出していて、おれも何冊か購入した。
果たして純文学とは何なのか。よく分からない。
文学賞の芥川賞候補・受賞作品が純文学で、
直木賞に系列する作品が大衆小説なのかと想像している。

通俗小説という言い方があって、この定義がよく分からない。
しかし通俗なのだから、俗世に通じているということだと思う。
では、私小説が世に通じていないのかといえば、
人や町と接触したり、
長年引き籠もっている者でもネットを通じて世間と交通交信しているのだから、
俗世に通じていることは確かだろう。

「通俗小説ですね」という言い方にはある種の感情があるようだ。
通俗という言葉自体、褒め言葉ではないだろうし、
何か飛び抜けた才能によって書かれた小説、という感覚はない。

だがおれはこの通俗小説という言葉が好きだ。
通俗ってええやないか、と思う。
世に通じたことで得た知恵や技術、自分の立ち位置がつかめ、
それでも自分の軸足がさほどしっかりしたものではないと自覚しつつ、
世に流れるさまざまな物語を語って聞かせてくれる。
こういう小説こそが読みたい小説やなーと思っている。

では、通俗小説を探しに、書店へ行くとしよう。
できれば文庫本で買い求めたい。そんなに裕福ではないんでね。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-06-23 12:00 | 読書 | Comments(0)

朝から雨の一日   

道路も駅の階段も濡れている。
いつも通勤者が急ぐ階段は滑りやすく、
傘についた雨粒が飛散してしまうから、
だれも慎重な足運び。
大量の雨になれば下水道が溢れ、
地下の出入口に流れ込む。

借りたデスクでDVDを見る。
来週撮影に行く時代劇ロケ地の予習。
近江の里はいい。
もうひとつの近江仕事はダメだったけれど……。
それにしてもよく降る雨だ。

その雨のなかを千日前へ。
好きな相合橋筋アーケード。
古くて狭くて居心地のいい喫茶店、
丸福珈琲店でH氏にインタビュー。
いい話が聞けた。
これからが楽しみな出会いでもあった。

雨なのに、
いや、雨だから、
心斎橋筋商店街は多くの人が歩いていて、
大陸や半島や島からの観光客も多くて、
解けない言の葉飛び交い、
店頭では閉店セールの呼び子が叫ぶ。

夕暮れの繁華街を歩いていると、
なぜか一杯飲みたくなる。
雨に降られ、風に吹かれ、服は湿って、
熱い酒が恋しくなる。
そんな者を迎えてくれる店が犇めいている、
大阪ミナミ。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-06-22 00:00 | Comments(0)

ダイアン・ノーマンのこと   

あるメーカーの宣伝用映像を作っていたときのこと。
まず、制作する映像のプランを考えて提出するという作業をおこなう。
題材は決まっていて、それをどのような構成で制作するか、
企画書に展開案やアイディアなどを書き込み、
時には写真データを貼ったりイラストを添えたりして提出する。
そして担当部署の部長と若手社員に向けてプレゼンテーションする、
というプロセスを経る。

ある日、同じようにプレゼンをおこなった。
すると企図するものと少し違っていたのだろう、
若手社員は即座にNGを出し、かなり手厳しくその企画書を批判した。
「こういうやり方ではないでしょう」
と彼はひとしきり喋った。
すると、上司である部長が彼に問うた。
「で、代案はあるの?」
すると彼は「えっ」と呟き、固まってしまった。
それは仕方がないことではある。
彼は「違う」ということだけが分かっていてそう発言したのだから。
”代案”までは考えていなかった。

後日、その部長と飲む機会があった。
あのときの、「代案は?」は手厳しかったですねと云うと、
自分は部下にいつも”代案”を問うのだという。
批評する、批判するのは簡単なことであり、
ある程度の知識があればその欠点を明確に指摘することは出来る。
しかしその批判の向こう側へ行くための知恵が必要だ。
「つまり、評論家になるな、ってことですか?」
同席者がいうと、
「いや、評論家というのは代案をいくつも持っている者のことです」
と断言した。なるほど、と納得。

酒が進み、場がにぎやかになってきて冗談が出てくる頃、
その部長が云ったのがこれ。
「代案が云えない者は、ダイアン・ノーマンというんだ」
思わず笑ってしまったが、
自分を振り返る言葉であることも直感的に分かった気がした。

会社小説というのか、経済小説に出てきそうな感じの話だが、
こういう現場にいるのも決してキライではない。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-06-12 12:03 | 世界 | Comments(0)

上本町六丁目   

歯が弱い。
子どもの頃は近所の歯科医にもよくかかっていて、
虫歯になったりしたらすぐに治療していたのだが、
高校時代に部活で奥歯を欠けさせ、そのままにしてしまった。
大学になると、歯科医も医者、床屋すら行かない生活スタイルになってしまい、
おそらく歯はその頃から悪くなりはじめたのだと思う。
劇団員に歯科医の娘がいて、
「歯を大事にしないとダメですよー」と云われていたのだが、
年を重ねるにつれ、その言葉の意味がよーく分かってきた。

過日、急に痛みだした。
日頃の不摂生のせいであろうと思われる。過飲すると歯に来るのだ。
恥ずかしながら、ない奥歯の部分に義歯をブリッジしている。
その金具があたる口腔部分が痛いのだ。
早速、かかりつけの上六にある歯科医へ行く。
もう10年以上のおなじみだ。

2日間通って、痛みは引いた。
「年齢とともに歯はね」
おれより5歳年上の歯科医が笑いながらいう。
この歯科医も酒好きで、愛煙家だ。
「先生、タバコ臭い!って云われてしもてねえ」
だがやめる気は毛頭無いという。

この歯科医院のある上六、
上本町六丁目界隈は戦後闇市があった区域で、
今でも小さな居酒屋などが軒を連ねた一角が点在している。
どこも魅力的な暖簾を掲げているのだが、
こっちはいつも歯の治療後の、一種酩酊状態なので入る気になれない。
だから立ち寄ったことがあるのは珈琲店だけで、
ハイハイタウンの地下の「山猫」という店のカウンターに座っていた。

ところが今回出かけてみると、閉店している。
結構客の入りもいい店だったのに、もしかしてマスターの身上での都合だろうか。
ジャズが流れるむかしながらのカウンター喫茶で、居心地がよかった。

こうした、親しくはなっていないがなじみの店が閉まるのは残念なことだ。
歯を失うほどではないけれど、さみしく思うのだった。
[PR]

by kazeyashiki | 2012-06-08 09:00 | 暮らし | Comments(0)

春読書   

このところ、本をよく読む。

一時は、ほとんど読まない時期もあったのだが、
最近、どういうわけか、小説本を読んでいる。
読むスタイルというのか、態度というのか、
それがくずれているような感覚があった。
読むことに体力が必要であるとするなら、それが欠けていた。

だが、持ち直した。
ちゃんと読めるし、読む速度も以前の状態に戻った気がする。
5年ほど前からこの”速度”が落ちてきたように思っていたのだが、
最近は5年前に戻った感じがする。
読解力?そんな大層なものではないと思う。
読んでいる本の傾向?それは若干あるかもしれない。
面白い小説を読んでいるんだから。

というわけで、”常読”の池波正太郎と司馬遼太郎に、
のめり込みはじめた佐藤雅美という時代小説分野と、
山口瞳、源氏鶏太の大衆系、
仕事がらみではあるけれど再読の樋口一葉、
それに、若い頃に読めなかった長編に挑戦シリーズで、
ドフトエフスキーとセリーヌ。

5月は久しぶりによく読んだと思っていたが、
数えてみるとさほどではない。
時間がないという言い訳をしても、やはり少ない。

評論や新書の類はまったく読んではいないけれど、
読みたい本は、ある。

読む愉しみにひたる晩春、初夏の宵である。
a0193496_2134239.jpg

[PR]

by kazeyashiki | 2012-06-01 21:00 | 読書 | Comments(0)