<   2012年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧   

国旗を燃やす   


他国を非難するときに、
相手国の国旗を引き裂いたり、燃やしたり、
という映像をテレビで見ることがある。
気分が悪くなる。
おれが暮らす日本の国旗はもちろん、他国の旗でもイヤな気になる。

一体、「国旗を裂き、燃やす」という行為は何なのか?
当然、そこには抗議の思いがあるのだろう。
しかしおれはこれまで日本人が、
他国の国旗をそのようにしている光景を見たことがない。
あるのかもしれないし、報道されていないだけかもしれないが、
目の当たりにしたことがない。
60年や70年安保条約反対のデモや集会において、
学生や労働者たちがアメリカの国旗を燃やした、という憶えがない。
憶えというか、そのような光景が撮されたものを知らない。

日本人は国旗を裂いたり燃やしたりしない国民性があるのか?
それは、国旗に対する敬意?あるいは、逆の意味かもしれない。
つまり国旗に対する思い入れがあまりない、ということなのだろうか。
もしそうだとすれば、これは教育のせいであろう。
おれは、国旗に敬意を抱く、ということを教えられた記憶がない。

今回の竹島、尖閣諸島の問題で、
韓国も中国もその抗議活動のなかで日の丸を裂き、燃やしていた。
これに対して怒っている日本人もいるだろうが、
怒り心頭、怒髪天を衝くという声や叫びが聞こえて来ない。
おれ自身も、怒りという感情よりも不快さの方が先立つ。

国旗掲揚、国歌斉唱にかんする議論は根強くつづいている。
だが、「日の丸」や「君が代」がある場面に立ち会うことが殆どないおれは、
「日の丸」や「君が代」への反発心も親和性も余りない。
それが戦後教育のひとつの結果だとすれば、
受けてきた者として考えていかなければならないとは思うものの、
感覚的で表面的なことを捉えてしまう自分の感性では、緊急性がない。
右翼の街宣車にはためく「日の丸」には思想的な匂いが満ちているが、
祝日に町の家々に掲げられている「日の丸」には穏やかな風土性を感じる。

かつてサッカーのW杯開催中に、ネパールを訪れた。
家々では、自分が応援する出場国の旗が掲げられていて、
ブラジルやスペイン国旗のなかに「日の丸」もあった。
これは嬉しかった。
スポーツ競技大会における国旗の役割は、国歌同様に大きいものだ。
こうした感覚の人は、結構多いのではないか。

国旗は裂いたり燃やしたくない、というのがおれの思いである。
曖昧で感覚的なものの言い方であることは承知の上なのだが。
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by kazeyashiki | 2012-08-25 06:00 | 世界 | Comments(0)

晩夏読書計画   

本が貯まっている。
このところ慌ただしく、読む時間があきらかに減ってきている。
だが、本は増える。

書棚に読まれるのを待っている本が列んでいる。

『通天閣 新・日本資本主義発達史』酒井隆史著
『笑う親鸞』伊東乾著
『笑いを売った少年』ジェイムス・クリュス著
『寂兮寥兮』『むかし女がいた』大庭みな子
『地底のヤマ』西村健著

とくに『地底のヤマ』は、狛江の大介師オススメの本で、
著者とは「深夜プラス1」で馴染みでもあり、呑み仲間だという。
1960年代から現在までの大牟田の炭坑を舞台に描いたもので、
2100枚の長編だ。ずしりと重い。
著者は、本が完成して、
入院中だった「深夜プラス1」の内藤陳さんに届けたところ、
「重いなぁ。俺の手じゃ持てねェじゃねェか」
そう言い、9日後に陳さんは天界へ旅立ったそうだ。

今夏は芝居も映画も足が遠ざかっている。
京都の「大出雲展」に出かけたくらいで、芸術芸能分野に疎い。
晩夏から初秋にかけて本を読み、舞台を観よう。

「武太郎の夏、あみと喝采の日々」のシナリオも上げて、
冬には何とか上演しなくちゃ!
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by kazeyashiki | 2012-08-23 09:00 | 読書 | Comments(0)

傍聴   

裁判の傍聴席に初めてすわった。
これまで自分が被告になったことは二度ある。
交通違反で罰金刑になったとき、
裁判官と向かい合って判決を言い渡されたのだ。
時間にして数分。「はい」と罪状を認め、ハンコを捺した。
おれの後ろには、同じ被告が列をつくっていた。
内容は、バイクで飲酒運転をしたというものだった。
22歳頃のことだ。
そこは、空港にある両替所みたいな感じだった。
まあ、これも裁判であろう。
だが、今回は"きちんとした法廷"だった。

裁判の内容は飲酒運転による事故。ケガ人が出たものだった。
被告は若い男性。証人は彼の父親だった。
裁判長、書記官、検事、弁護人がいて、
裁判官は、懲役1年程度の裁判なら1人だという。
証人、被告とも証言する際は、真実をいうと宣誓する。
ウソをいえば偽証になると裁判長から念を押される。

弁護人は被告の立場を守るために語り、
検事は被告にいくつもの質問をしながら矛盾点を突く。
刺々しい雰囲気ではなく、劇的でもない、平熱の展開だった。
最後に裁判長が被告にいくつかの質問をして終わった。
検事は懲役1年を求刑し、判決は10日後に出るということだ。

これまで裁判の法廷に何度も出たという友人がいる。
今回と同じような事故であったり、家族や相続問題など、
刑事、民事とさまざまだ。
だが、まったく裁判所というところに無縁の人もいる。
できれば裁判所とは関わりを持ちたくないという人もいるだろう。

だが今回傍聴席にすわり、時間にして40分程度の裁判を見て、
これまでに体験していない種類の感覚を得た。
それは、法律という目に見えない網が、
おれたちの周囲に張りめぐらされているということであり、
網に触れる、網を越えると、起動する装置であるという感じ、
ということだろうか。なかなか興味深かった。
法律には疎く、係わることもなく生きてきたと思うのだが、
しかしまったくの他人事であるとはいえない。
被害者にも加害者にもならないということは断じて言えないのである。

帰路、同行者と夕方前のビールを呑んだ。
なぜか喉がカラカラに渇いていたので生ビールはうまかった。
店では古いロックが流れていた。
なつかしいキング・クリムゾンのナンバー、
"The Court of the Crimson King"だ。
クリムゾン・キングの宮殿と訳されているが、
Courtは、法廷、裁判所という意味があったはず。
たまたまだけど……。



8月20日、
報道ジャーナリストの山本美香さんがシリアで亡くなった。
ご冥福を祈りたい。
合掌。
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by kazeyashiki | 2012-08-21 12:00 | 素描 | Comments(0)

盂蘭盆会   

毎年お盆は15日に母宅で何となく集まって仏壇前に座ってご先祖様に感謝する、
というようなことを行なうのが習わしだったが、
今年は何かと気ぜわしなく過ぎてしまった。

10日金曜日は、
中西氏の中学同級生で、西天満一座のステージにも無欠勤という奇特な人物、
朽見氏の快癒を祝って、ミナミの「よかろ」で〈どて焼き〉〈おでん〉で一献。
氏は会社で腰を痛めてしばらく入院していたのだが、
ようやく社会復帰して1ヶ月余りだ。
「よかろ」はこの〈どて焼き〉と〈おでん〉が抜群にうまくて、
食べると元気が出る気がする。
二軒目に女性がカウンターにいるカラオケができるバーに流れる。
朽見氏は歌が好きだし、この店は以前行こうとして行けなかったところだったからだ。
中西氏がメディアプラザの今西氏に連れて行ってもらったそうで、おれは初めてだった。
涼しげで、気が利いていて、女性たちも知的で美貌、居心地がいい。
しばらくすると今西氏も若いディレクターと技術スタッフを連れてやって来た。
氏と会うのは、松下氏の父上の葬儀の席以来だ。

11日の土曜日は、朝から某マニュアル映像の収録で大国町に。
10時スタートで、2本の映像の顔出し部分とオフコメを収録する。
後始末などをしていると、夕方になってしまった。
大国町から御堂筋線で桃山台へ向かう。2週間あまり会っていない母宅へ行くためだ。
桃山台からのバスを降りて、阪急オアシスで夕食分と母の食材を買い込む。
安いワイン、チーズ、野菜類、出来合いの惣菜少しと、仏花など。
そして10時頃まで話をしながらぐじゃぐじゃとすごす。
母はワインを少し飲む。

12日の朝、一旦帰宅してシャワーを浴び、すぐに用意して親戚宅へ。
法事ではないが、いくつかの伝達事項と長く会っていなかったことへのお詫び&ご挨拶。
そして午後7時にJR大阪駅に併設されたホテルに投宿している塩谷氏と待ち合わせる。
2年、いや、3年ぶりになるか。
今回は学会ではなく、法事などの用事で来阪したという。
西天満のアフターアワーズに最終的に行くことになるので、
アフター向かいの鶏料理店に向かう。
串焼きや鶏刺しなどメニューも豊富で、うまい。
そのまま向かいのアフターアワーズに行き、あーだこーだと夜明けまで。

翌日は仕事で阪大病院へ取材に向かう。中西氏の同行で、おれは記録係。
朝まで呑んでいたからヘトヘトだが、テンションは高い。
63歳農業の方へインタビュー。
阪大病院は母が白内障の手術を昨年したこともあって、なじみの病院である。
お盆だというのに関係なく混み合っている。医療関係者もたいへんだ。
取材終了後、スカイレストランで昼食。万博記念公園が見渡せて気持ちいい。

その後の日程は、お盆らしい行事などが続くのだが、
16日はふたたび阪大病院で取材し、気がつけば今日17日になっている。

この間、さまざまな出来事が世の中では起こっていて、領土問題に火がついた。
韓国が主張する竹島と、中国(香港)が行動に出た尖閣諸島だ。
いずれも小さな島だが、領海や漁業権、天然資源などの背景があるせいか、熱い。
竹島はすでに韓国政府によって建物(基地?)が建設されている。
実効支配という先手を打っているわけだ。そして大統領が島に上陸までした。
さらに李明博大統領は従軍慰安婦問題で天皇にまで言及して物議を醸し出している。
選挙を考えての発言ということあるのだろうけど、世論も同じなんだろうか。
芸能人が遠泳して島へ渡ったりするパフォーマンスなんかもやっている。
こういう状況をみるにつけ、日本の外交の頼りのなさを感じてしまう。
今日、日本は国際司法裁判所に提訴すると報道されているが、韓国は応じないという。
双方が認めないと裁判にならないということなので、どうなるんだろう。

香港から尖閣諸島に上陸して逮捕された連中に関しては、もちろん漁師ではない。
活動家であり、組織に属して実行する部隊である。
すぐに強制送還するそうだが、これから何度もこうした行動に出るだろう。
中国人はくりかえしの民という感じがする。
同じことを幾度もくりかえし、それが正しいことであると相手を思わせる。
これは、こうした反対運動だけに当てはまることではない。
たとえば普段の付き合いのなかでも同じように、くりかえし行為が多いのではないか。
商売上での交渉事や、日常での交遊においても同様ではないかと思う。
キリがないのではないかと思えるくらい、同じことをくりかえす。
それに付き合うだけの体力気力が必要なのだが、日本人は精神風土的にこれが苦手だ。
ということなので、尖閣諸島の問題は長引くように思える。

そして、いじめの問題。大津市の教育委員長に斬りかかった19歳の大学生がいた。
「何か隠していることがある」という動機だが、尋ねる前に傷を負わせたのではないか。
気持ちは分かる。彼がいじめられていた経験があるかどうかは分からないけれど、
その怒りの源泉は、自殺した生徒への仮託された幻想、思いこみであると思う。
さらに加害者への怒りもそこにはあるように思う。
それが教育のトップへの暴力となったのではないか。かなり粗忽な論理だけど。

おれもいじめられたことがあると思う。
鈍感で粗野なので、明確な記憶としてはないが、違和感を覚えたことがあった。
大学生になったときのことだ。
1回生の体育の講義のとき、
ひとりの学生がおれを目の敵にするような態度を取っていた。
おれは無視していたのだが、グランドで何かしているときにその学生は、
自分が搔いた汗を手で拭い、
それをおれの体操服にこすりつけるという行為を繰り返す。
ん?と思ったが、しばらく無視し続けた。
しかし何度もそれをするので、この作為的な行為に不快感を抱き始めた。
そして講義中のラグビーのとき、おれはその学生にタックルをして倒した。
タックルは得意だった。見事に転がった彼は意外な顔をしてこちらを睨みつけた。
その顔におれは靴裏を押しつけた。競技上の動作としてである。
さらにスクラムで対峙したとき、フロントの彼の口に土を食わせた。
いずれも高校時代に習ったというか、おれが敵チームから受けた汚い技術だった。
彼はゲームを離れておれの胸ぐらを掴んできたが、その後のことは忘れてしまった。
たぶん教員が間に入ったのだろうが、そんなことはどうでもよかった。
こういう状況がイヤで、自分が恥ずかしかったし、げんなりした。

いじめ、という体験はその程度だから、その範疇に入らないかもしれない。
だが、いじめは確実にあったことだけは自覚している。
最近のいじめは金銭がからんでいる。
昔もカツアゲというのがあったが、
これは出会い頭の事故のようなもので、一回性のものだ。
だが、執拗に同じ者を追い回す最近のいじめは、加害者に暗い病理を感じる。
しかし加害者と被害者はある意味、裏表の関係ではないかと思う。

オリンピックも終わり、朝からテレビでは球音が響いている。
いつもの夏である。
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by kazeyashiki | 2012-08-17 00:00 | 暮らし | Comments(0)

文楽にまつわる記憶いろいろ   

 初めて文楽を観たのは、高校生のときだった。このことを思い出すと、つくづく自分は不真面目で怠惰な生き方をしてきたと、うんざり、げんなりしてしまう。

 高校3年生になって、授業がすっかりつまらなくなった。学校に行っても仕方がない。授業は退屈だ。一旦そんなふうに思ってしまうと、それが真実になってしまう。登校する必要があるのか?と、朝起きて考える。もっとも一応、登校するのである。部活の朝練があったためだ。そして1時間目の授業を受ける。しかしその後がいけない。エスケープ、抜けだしてしまうのである。2時間目か3時間目くらいから学校を飛び出して遊びに行く。行き先はいろいろだ。喫茶店で朝からさぼっている仲間のもとに向かい、一緒にビリヤード場や映画館に行ってしまう。そこで2〜3時間遊んですごす。そして5〜6時間目の授業にはまた戻ってくるという案配。そのまま帰る、ということはできない。部活があったからだ。つまり授業の2時間目から5時間目まで、抜け出していたのである。時間でいえば、午前10時頃から午後2時頃までだ。

 これがなぜ文楽に関係あるのかといえば、このエスケープによっておれは卒業時に授業時間が足りなかったのである。テストは一応全部きちんと受けていたし、成績もまあまあだった。だが文部省か何かが決めている生徒の授業時間を満たしていなかった。その教科が2つあって、1つは国語、1つは世界史だった。卒業間近の冬、おれは担任から呼び出されて、補習を受けるようにいわれた。受験という大仕事があったのだが、すでにおれはその年のはじめに某大学に合格していて、あと何校か受験するつもりだったが、はっきり言ってどうでもよかった。だから3年生の3学期は、受験勉強に必死になっているクラスメイトを見ながら、「ま、がんばって」などと遊び暮らしていたのだった。

 国語の補習は、テーマは何でもいいから作文を書けというもので、これは楽々だ。授業に出ていないくせに国語の先生とは仲良くて、これはおれが図書部の部長をしていて、顧問が国語教師だったからだ。部活はラグビーだったが、図書部に加わっていたのだ。新刊図書を購入することだけが目的で、自分が読みたい新刊本を登録し、来ると図書館蔵書印を押す前に借りて読み出す。そのまま今も自宅の本棚に残っている本だってある。窃盗だ。だがもう時効だろう。図書館購入本のリストなどを作成して、図書部員としてしっかり働いているようにみえたからか、国語教師は結構おれを信頼してくれていて、「大学に行ったらこういう本も読むといい」と、手書きの書籍リストをくれたりした。そんな関係だったから、国語教師は補修用の作文について、「いいのを書いてくれよ」をハッパを掛けてきた。「はい」とおれは応えて、長い作文を書いて提出したと思う。何を書いたのかもうすっかり忘れてしまったし、評価がどうなのか聞く前に卒業してしまった。きっとつまらないことをだらだら書いたに違いない。

 一方、世界史である。Tという、なかなか面白い授業をする先生で、フランス革命について数時間の授業コマ数を使って熱心に解説したらしい。だがおれはその授業に出ていないのだから聴いていない。惜しいことをした。そのT先生が、世界史の補習に「文楽を見にいく」という。はっきりいって文楽などに興味はなかった。一応、大坂人の最低限の教養を身につけていた父が、飲んだ折に義太夫をうたったりしていたので文楽が何かは知ってたし、人形浄瑠璃ということも知っていたけど、「たかが人形芝居や」という認識だった。

 余談だが、義太夫はむかしの浪花の人々にとってはおなじみのものであったらしく、日常会話のなかにもちょくちょく義太夫の一節がはさみこまれていたらしい。たとえば「三つ違いの兄さんと」(『壺坂霊験記』)などは、町の飲み屋のカウンターで知り合ったりしたおっさん同士が、「ほんならあんさん、三つ違いの兄さんやおまへんか」という案配だったようだ。こういう会話を耳にしなくなってすでに久しい。酒席で義太夫をやる人もかつては多かった。詩吟なんかもそうだ。

 さて、T先生に連れられて出かけたのは朝日座である。今はもうない小屋で、道頓堀の戎橋の南、劇場がならんでいたなかにあった。西から浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座の道頓堀五座のひとつである。「世界史」の補習授業には、おれ以外にも結構な人数の生徒がいたはずなのだが、豪気な彼らはみんなパスしたのか、ひとりの女生徒だけが参加者で、彼女は内気で暗い感じの生徒だった。そしておれはその生徒と3年になるこれまで、一度も話したことがなかった。顔だけ知っているひとなのであった。

 T先生とは阪急梅田駅で待ち合わせた。そこから歩いて中之島へ向かう。劇場はミナミなのになぜ中之島かといえば、T先生は我々にご馳走しようと考えたからで、中之島中央公会堂地下にある食堂に連れて行かれた。先生は食券を売っているおばちゃんに「オムライス3つ」と言った。もう決めていたのである、メニューを。席に着くと「ここは初めてか?」「ここのオムライスを食べておくべきだ」とか言った。おれたちは笑って従うだけで、やがて運ばれてきたオムライスをしずかに食べた。

 そして地下鉄で難波へ出て、朝日座に向かった。入場したら、すでに開演中だった。そこでおれは生まれて初めて文楽、人形浄瑠璃を観た。演目など憶えていない。内容もすっかり忘れてしまっている。しかし劇場の雰囲気だけはかすかに記憶している。それはまだおれが小学校にあがる前、親戚たちに連れられていった芝居小屋の匂い、人いきれと笑い声やため息が交じる濃縮された気配と同じものだった。おれはとなりに座る生徒のほうを向くと、彼女も初めてであったため、神妙な表情をしていた。それからどのくらいそこにいたのだろうか。劇場を出たら夕暮れだった。季節は冬、たしか1月だったので日が短かった。

 T先生は「世界史で文楽はヘンだと思うだろうが、これも歴史のひとつだ」みたいなことを言って、「家までちゃんと帰れるな?」と念を押した。おれと女生徒は、地下鉄で梅田まで出て、おれは宝塚線、彼女は千里線にわかれた。T先生はきっとあの後、独りで飲みに行ったのだろう。

 これが初文楽体験というものだが、そのときは興味もなかった。むしろ、「辛気くさい」という感想を当時の日記帳に書いている。18歳にもなっていて、小説や詩なども読んでいたのだからもう少しマシな反応をしてもいいはずなのだが……。問題はそこだなと思う、省略していえば。

 大学生になり、京都に住みはじめて2年目に劇団を結成し、芸能に興味を持ちだす。大学では中世芸能史や、関山和夫先生の醒睡笑などの講義を受けはじめた。やがて宇崎竜童がロックの「曽根崎心中」をやっているというのを雑誌で読んだ。〈変わったことやっているなぁ〉というのが素直な感想だったのだが、毎年大晦日に京大西部講堂で開催されるオールナイトコンサートに宇崎氏のバンドが登場していて、それなりに親しみを感じていたのだが、文楽とロックは結びつかなかった。

 だが、学生時代には何度か文楽を観に行った。それは劇団宛に招待券が送られて来ていたからで、京都や大阪に出かけて観劇した。一緒に行った劇団員は、「人形が怖い」と感想を述べた。生きているように思えたからだ。おれはなまめかしく見えた。老女形の白い顔を見つめていると、なぜか高校時代に好きだった女の子のことを思い出したりした。もちろん人形遣いの顔や姿は見える。だが人形を見ていると周囲が消える。橋下市長はこの人形遣いの姿が見えることが云々……と言ったそうだが、おれは気にならなかった。

 先日、おれが加入している健康保険組合の集まりがあって、組合の理事長である竹本住大夫(七代目)さんの計らいで、文楽入門の会があった。住大夫さんの話も予定されていたが、体調不調のため参加されなかった。しかし大夫の竹本津駒大夫、三味線の鶴沢清介、人形の桐竹勘十郎各氏が登場し、それぞれの所作にかんする話をされた。これが面白かった。いわば文楽裏話的なものなのだが、知らないことばかりだった。なかでも三味線の鶴沢氏の話で、使っている三味線(太棹)は、糸(弦)だけが国産で、ほかの部分はすべて海外産だという点。糸は絹糸を縒って作られるのだが、滋賀県の木ノ本でしか生産されていないそうだ。津軽など三味線の盛んなところでも作られているように思っていたのだが、そうではなく、津軽三味線の糸はナイロン製だとか。この長浜市木ノ本の三味線の糸を製造している工場のことは知っていた。撮影したわけではないのだが、偶然前を通りかかって知ったのである。三味線以外にも琴糸も作っていて、「伊香具の糸」として有名だ。また、三味線の胴の部分は、前面が猫、後面は犬の皮を使っている点など、なかなか興味深かった。

 会では話の後、「艶姿女舞衣」酒屋の段 お園のさわりが実演され、有名(らしい)「今ごろは半七さん、どこにどうしてござろうぞ」のお園のクドキが披露されたのだが、面白かった。もっと観たいと感じたのだから、興味が湧いているということだろう。

 大阪市の文楽への助成金云々でかまびすしいが、昨日のニュースでは観客動員数が4割増になったという。竹本津駒大夫や桐竹勘十郎も仰っていたが、彼ら舞台に出る者はそれぞれ自営業者のような存在で、文楽協会から給与をもらっているわけではないそうだ。舞台出演費や必要経費は出るものの、あくまで公益財団法人文楽協会というプロダクションに所属する表現者であり、運営や経営から離れたところに立っているようだ。だから橋下市長が「技芸員が公の席に出てきて話さなければダメ」という言い方に対し、文楽協会の頭越しにあれこれ喋ったりしてしまうことは難しいとなる。では公益財団法人文楽協会は何をしているのか。ここが問題の根本であろう。

 かつて文楽は、松竹が支えていた。創業者の大谷竹次郎の文楽への貢献は相当なものだった。しかし赤字経営を長く支えることができなくなり、1963年に撤退。その後、大阪府市、文部省、NHKによって創立されたのが文楽協会である。つまりお役所的な雰囲気あふれる組織なのである。本来なら協会が前面に立って芸能者を守らなければならないのに、おそらくそういう思いはないのかもしれない。まあ、古来より芸人は世の浮き沈みにあわせて波間を漂う浮遊の衆であるから、これも宿命だといえば宿命だろうか。いずれにしても観客がふえることはいいことである。
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by kazeyashiki | 2012-08-09 00:00 | 大坂と大阪 | Comments(0)

今日の記録   

油床

昼メシを食べに近所の中華料理店にいく。
昼どきなので混んでいて、店頭でしばらく待つ。

厨房から冷やし中華二皿を銀のトレイに載せ、
テーブルへ運ぼうとしていた若い店員が足を滑らした。

野菜が宙を舞い、
麺は床に散乱し、
皿は割れて、
兄ちゃんはスライディング状態で横たわる。

中華料理店の床はとてもよく滑る。
プロでも滑るのだから注意しなくては。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

雨中の三女

地下鉄の階段をのぼって来たら、大雨が降っていた。
出入口付近には傘を持っていない人たちでいっぱいだ。

私は傘を常に持っている。

歩き始めると舗道にはだれも歩いていない。
みんな店や銀行の軒下に避難し、いきなり雨を降らせた空を見上げている。

傘の人である私は強い風に抗いながらも歩き進んでいると、
向こうから女性3人が悠々と歩いてくるのが傘のすき間から見えた。

彼女たちは無傘で、
急ぐ様子もなく、
3人ならんで会社かなにかの話をしながらやって来るのだった。

まるで雨などいずこに?といった風情なので
驚いた。

最近、ワイルドな女性が出現している気がする。
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by kazeyashiki | 2012-08-07 00:00 | 素描 | Comments(0)

この日々よ   

この土日は家に籠もって原稿書きにいそしむ。
2日間を午前と午後に分割して4つのブロックだとすると、
冒頭の1ブロックは古墳に関する書き物で、
これは楽しくて、できることならずっとこの世界にいたいという内容だ。

古墳時代は弥生の後の時代で、倭の五王の幾世紀だ。
讃、珍、済、興、武と呼ばれる大王の時代、
南朝の東晋や宋に朝貢をおこない、見返りに鉄資源を大陸から入手した。

鉄はある意味革命的な資源であった。
それまで木や石で造られていたものが鉄に変わる。
農耕や土木作業にとって鉄の器具はその作業において比較にならぬ代物である。
平和利用だけではない。
鉄製の武器は、敵対する者を死に至らしめる凶器でもあった。

いずれにしても鉄による農耕・土木作業は、さまざまな変革をもたらす。
農地の飛躍的な拡大化もそうである。
水稲の田んぼが広がり、働き手が増員され、収量が確実に増加する。
食い物が豊富にあれば、さらに人が集まる。
するとそこに指導者が出現し、支配者となり、権力を持つ。
豪族と呼ばれる者たちで、やがて彼らは首長となり、大王へと変貌していく。
するとその権力をなんらかの形で遺したい。
それが古墳である。

こういう物語を原稿のコマに書き込んでいく作業は実に愉しい。

リビングの空調を28度設定にして、その空気を扇風機で自室に流れ込ませる。
かすかに汗を搔くものの、麦茶を飲んだりして書いていると快適だ。
テレビもつけている。
オリンピック中継を放送している。生中継だったりVTRだったりする。
アナウンサーの声がひときわ大きくなると、思わず画面を見に立ち上がってしまう。

昨晩の男子サッカーは勝ったんだね。
すこし見たけど、知っている名前の選手は清武選手くらいで、
だけど彼は司令塔的で、存在感があるなあ。

さて、土曜日の1ブロックで残念ながら古墳仕事は中西氏に預け、
そこからは別の原稿に向かう。
古墳の次に来るのは「遺言」である。
なんだかつながっているようで、つながっていないような題材なのだが、
以前、老前整理だとか、墓や仏壇について書く仕事を受けた編プロ担当者から、
「こういうのも書けるしょ!」という思惑だか直感だかで振られた案件。

いやいやその前に、「鬼平犯科帳」の撮影地めぐりのおさらい原稿まとめ、
というのをやっておかないと忘れてしまうので、
長岡京のある寺のことを整理整頓しておかなければいけない。
これに土曜の2ブロック目を使う。これも楽しい仕事である。
京都で撮影される時代劇の多くは、京都周辺の寺社仏閣でロケをする。
大覚寺が有名だが、その他にもさまざまな場所でロケがおこなわれている。

そのひとつである西山光明寺に過日出かけ、
今回が仕事二度目の神戸在住のカメラマンとめぐった。
ちなみに三木市在住の木下カメラマンとは今年になってまだ一緒になっていない。
これは仕方がないことなんだが、
三木市から京都までが遠すぎるという判断があるからだ。
発注元は東京の会社である。
たしかに三木市は遠いから、仕方がないとしか言いようがない。

というわけで、土曜日の2ブロック目を「寺関係」で使い、
その後、余った時間を「遺言」の資料読みに使う。時間はもう深夜になっている。
だが、目が冴えて眠れない。
結局、夜更けまで資料読みに費やし、寝たのが日曜の朝方。
しかしここで長く寝るわけにはいかない。
日曜の3ブロック目から書き出さないと間に合わないからだ。

3時間寝て、午前7時からパソコンに向かう。
内容的には難しくない。
遺言というテーマに対して、何もないところから書き始めるのではなく、
テキストがあってそれをリライトするというもの。
だけど文字数はそれなりにあって、おそらく1万字を越えてしまう。
400字詰め原稿用紙換算だと、25枚程度だ。

ぱちぱちと作成しはじめる。順調に進む。

テレビでオリンピックの女子マラソンの中継が始まる。
今回のコースはなかなかエキセントリックなんだって?
ソファに座り込んで、しばらく観戦してしまう。
キザキという選手がおれと同じ大学に通っていたそうで、
応援しようというメッセージが入った。誰からは忘れた。
キザキなんて人しらないよと思ったが、だから応援しないというわけでもなく、
テレビを見ていたが、やがて寝てしまった。
夏の昼寝は気持ちいいね。

気がつけばマラソンは最終地点。
トップでゴールしたアフリカの選手はすごく気品があってよかったなあ。
気品がどういうものか説明しろ、と言われたらうまく言えないが、
あくまで直感、インスピレーションで判断。
気品のない人もおれは即座に分かる。ただし、おれに気品はない。

そんなわけで日曜の1ブロック2ブロックは机にへばりついて過ごす。
何とか書き終えたのが今から1時間前の午前2時45分。
いまテレビでは、フェンシングの試合をLIVEでやっている。
トイレに行く途中にちらっと見た。日本とイタリアの決勝戦なんや。

そろそろ寝なくてはね。
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by kazeyashiki | 2012-08-06 03:55 | 暮らし | Comments(0)

プログレ・ロックトリオ@京都陰陽   

過日、京都の丸太町にあるライブハウス
「陰陽ーネガポジ http://www.negaposi.net/」に出かけた。
ウォーラスというバンドのライブを観るためだ。
このバンドはドラム+ベース+ギターのトリオ編成で、
ギターとヴォーカルの山崎秀記は、かつて劇団の作曲家だった。
大学の後輩でもあるので、なんやかんやと長く付き合っている。

しかし会うのは3〜4年振りだろうか。
Facebookでやりとりしていると、実際に会っていなくても、
交流があるかのように思えてしまう。錯覚なんだけどね。

なぜこの日、ウォーラスを観に行くことになったのかといえば、
それよりちょっと前に、
鞴座のステージが天神橋六丁目のワイルドバンチであり、
金子鉄心さん率いるこのアイリッシュでスタイリッシュな一座を
ぷよねこさんとこれまで数回観に行っていて、
ステージ後の仲間内の打ち上げでギターの岡部さんと話していたら、
なんと彼が山崎秀記のバンドでドラムを叩いているという。
そこでその場で山崎くんに電話すると、
7月28日にライブをするので是非来られたし、という背景があったのだ。

「陰陽」に行くのはこれで3度目か。
この烏丸丸太町の閑静な商家と住宅の町中にあるライブハウスは、
著名なバンドは出演しないが、なかなかいいライブ居酒屋だ。
メニューも凝っていて、丼物などの食事もうまい。
山崎くんと兄が経営している。

ウォーラスはプログレッシヴ系のロックバンドである。
プログレというと小難しい音楽という印象があるかもしれない。
たしかにウォーラスもそのサウンドは複雑系で重層的だ。
転調や移調がくりかえされ、変則的な拍子やノイジーさもある。
しかし「ぼくはポップスとして曲を作っているんですけどね」と山崎くんはいう。
おれが観て聴いていて思い浮かべた他のバンドは、
トーキングヘッズ、イエス、ナショナルヘルスといったところ。
間違っているかもしれないが、ギターやベースの音のなかに、
これら70年代から80年代にかけて流れていたバンドの音を感じた。

こうしたプログレ系の音に出会ったのは久々だった。
モードというか、スタイルというか、この手のバンドは今は少ないなあ。
もちろんロックンロールも踏襲しているのだ。
だけど展開が早い。次々とリズムが変わり、曲調が変貌していく。
「そういうの、疲れない?」
という意見があるかもしれないが、それはおれの文章が稚拙だからで、
この「絶え間なく変わっていく音楽」には、ふしぎな調和があるのです。

ステージ後、山崎くんと飲みながらこの複雑系重層楽曲について尋ねると、
どうしてもこうした何重にも積み重なったような歌になってしまうという。
そこで彼は、「やっぱり演劇的なんですかね」と語ったが、
この「演劇的」という表現におれは納得した。
演劇的といってもその領域は広いわけだが、
おれと山崎くんとの共通言語としての「演劇」は、ほぼ同じだと解釈する。
それは銀色昆虫館の第3期から4期(末期)にかけてのことだから、
1985年から93年頃までの期間になるのだと思うが、
当時の銀昆の芝居のテーマには、迷宮や迷路といった要素が濃厚だった。
ふとした日常のなかに口を開けている迷宮世界、
そこに迷い込んだ人物が出くわす奇妙な人々……という展開が多かった。

たとえば「神隠しの小径」は、1985年に軸足を置いた開幕なのだが、
ふと足を踏み外してしまうと、時代は1970年11月25日になってしまう。
この日は、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯所へ乱入し、自決した日である。
この高名な小説家は登場しないが、
その周辺にうごめく者たちが数多く登場して、舞台は進む。
それは生きた者ではなく、まるで亡者のように。
そしてこの亡者たちの記憶はさらに遡り、1945年8月15日に行き着く。

また「怒濤の都」シリーズ(1990)では、
小松左京や開高健の作品で取り上げられた大阪砲兵工廠跡周辺の設定で、
これも1990年から戦後すぐのあの地へタイムスリップする設定だし、
1985年に上演した「古坂」という芝居では、
京都市内を市電が走り回っていた時代(1977年以前)に時空移動し、
そこから京都に市電がはじめて走った明治28年(1895)に飛んだりした。

と、まあ芝居の話は書き出すとキリがないのだが、
こうした時間軸をぐちゃぐちゃにする戯曲作法が当時のおれは好きだった。
芝居自体の評判は到ってよろしくなかったのだが、
この「神隠し……」の劇中で歌われた「花ざかりの森」は、
今も憶えていてくれる人が、結構いる。
その作曲者が山崎くんで、この歌も複雑系の編曲がなされている。
歌バージョン、BGバージョンなど、同じ旋律で演奏スタイルが変化するのだが、
山崎くんはピアノ版、フリージャズ版、弦楽四重奏版などを用意してくれた。
劇中、ひとつの歌がさまざまな表現でくりかえされる、
というのは、芝居や映画ではおなじみの効果だが、
やはりメロディが秀逸だったのだろう、今でもつい歌ってしまうのである。

 ♪〜花ざかりの森には いつも妖気が立ちこめて
   花ざかりの森には 忘れられないひとがいる
   戻れるならば戻りたい 二度と還らぬあの世界
   聞くも涙語るも涙の 十四歳の純情詩集〜♪

まあ、なんだか古色蒼然とした歌詞であることよ!だけどいい歌だと思う。

こうした背景があるので、
山崎くんが言った「演劇的」という言葉がすぐに受け止められた。
なにも劇団時代がいいとか、なつかしいとか、戻りたいとかいうのではない。
ただそこに素地があり、そこから今がつながっているということである。
そして今はウォーラスというロックトリオによって「演劇的」な歌が演奏されている。
しかもプログレ的に。
これはなかなかすばらしいことではないかとおれは思う。

帰りがけ、ウォーラスのニューアルバムをもらった。
京阪特急のシートで封を開け、楽曲リストを読んだ。

1.ビバ・エイホ・ビバウェイ
2.モーリストムソン
3.岸辺のソング
4.どんぐりの背比べ
5.コサックダンスがやってくる
6.ネジマキトビラ
7,バラのパズル
8,独楽〜楽しきは独り〜

やっぱりちょっと劇中歌っぽいな。
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by kazeyashiki | 2012-08-03 11:00 | 京都 | Comments(0)