<   2013年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧   

春京都   

今週はいそがしかった。
週明けから連続で京都で撮影をしておりました。
下鴨神社(糺の森)、府立植物園、フランス料理店、麩店と、
訪ねた数は少なかったけれど、神社も植物園も広いのですね。

糺の森を初めて訪れたのは1976年だったか1977年だったかで、
紅テント=状況劇場の芝居を観に行ったのだった。
「下町ホフマン」か「蛇姫様」である。
記憶があまりないのは陶酔していたからだろうか。
あるいは満員のテント内、酸欠気味だったのかもしれない。
1978年の「ユニコン物語」は明確に憶えている。
開演前、神社の前にある喫茶店に入ると出演者の常田富士男さんがいた。

糺の森は元々広大な敷地であったそうで、
現在の北山通り、松ヶ崎の山裾までが下鴨神社の境内だった。
そこはひとつの村でもあったようで、
今でも北山界隈には下鴨神社関連の地名が残っている。
平安京遷都前から祠があるという古神社。
森のなかを歩くと古代の音がします。
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その境内だった府立植物園。
ここには、隣接する総合資料館に来た帰り道によく立ち寄った。
スタッフによって十二分に整備された植物園で、散歩にはいい。
あいにくの天気。晴れていたら気持ちがいいです。
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椿の花がさかりで、
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「おかめ」という桜もけなげに咲いている。
この桜は、英国人が命名者だという。
桜の苗を母国に持ち帰り、ふたたび来日して植えたところ、
こういう変種になったのだとか。
「おかめ」という名前を教えた日本人がいるはずだが、
どうなんだろうね、この名前。
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そしてこれは「桂」の木。
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まだ裸のままだが、やがてきれいな葉を付け出す。
桂は葵祭に欠かせない木である。
「葵」と「桂」の葉を合わせた髪飾りを「葵桂:きっけい」と呼び、
葵=女性、桂=男性を表現している。
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園内で見つけたアンズの花。
いつか長野千曲にある「あんずの里」を撮影したことがあり、
杏の花が満開だった。
実は初夏に収穫されるそうで、このときは干し杏を食べた。
甘くてうまい。
あんずエールというのも販売されていて、仕事中なのに飲んだ。
かなり甘かったなー。
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植物園のスタッフが「これは珍しいんですよ」と教えてくれたのが、
「ウォレマイ・パイン」というナンヨウスギの新種。
太古から生存していて、ジュラシック・ツリーとも呼ばれているそうだ。
1994年にオーストラリアで発見されたという。
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松ヶ崎にあるフランス料理店「ル・プティ・プランス」。
ゲストの癒しの場ということで取材する。
おれと同年配の夫婦が20年以上前からやっている店で、
クラッシックなフランス料理を出す店として評判がいい。
一度食べに行きたい。決して高くないのに好感を抱く。
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次回放送分の下見で、川端五条の麩店を訪ねる。
元禄創業の老舗で、麩だけを作り続けて来た。
この五条界隈はかつて魚市場などもあり、
多くの商店が軒を連ねていた庶民的な町である。
大坂からの物資を載せた舟が鴨川をのぼってやって来る。
瀬戸内の鱧などもここで積み下ろされたのだろう。
鱧は生命力があるから、京都まで運んできても暴れていたという。
現在の五条界隈にかつての賑わいはないが、
歩いてみると風情のある町並みが続いていてなかなかいい。
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そんなこんなで、京都に住んだ方がいいような毎日だった。
引っ越そうかな。
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by kazeyashiki | 2013-03-29 14:19 | 京都 | Comments(0)

長生きしてごめんね。   

「こんなに長生きしてごめんねえ」
いつも母はそう言う。
おれは困ってしまい、ため息をつく。

昨日、月一度の定期検査のために病院へ出かけたときもやはりこの言葉を口にする。
もともと気弱なところがある母ではあるが、
やはりこの年齢になって来ると、生きていることへさまざまな思い、
それがこうした悲観的で、弱気なものとなって表れてくるのだろう。

だが以前は、かなり大胆なところもあるにはあったのだ。
「私はわたし」的な身勝手なところが。
だがこうしたところがほぼ消えた。
唯一それが発現するのは、食欲だけであろうか。
よく食べる。見事というくらい食べる。
通院当日も、朝からちゃんとした食事をし、
帰ってきてからも、カレーライスととんかつ、巻き寿司も2つ食べた。
「野菜も食べなあかんで」と盛りつけたが、あまり好みではないようだ。
肉食系なのである。

93歳……まだまだ元気でいてほしい。
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by kazeyashiki | 2013-03-13 11:35 | 暮らし | Comments(0)

福島浜通り   

今日は、東日本大震災から2年目である。
地震、津波、原発事故とそれぞれ語られることは多いが、
これらの語彙からはさまざまな事象が枝葉を伸ばしている。

地震からは活断層や次に到来する巨大なものへの警鐘が、
津波からはその被害の大きさと対策が、
そして原発からは未だ見出せないこれからの原子力発電のこと、
さらに放射能による健康被害、無人の地と化した福島の町々。
おそらく原発に関わることの闇がいちばん深い。
国家のエネルギー対策に原発がどのくらい重要なのか、
その根拠となり、納得できる説明がなされていないように感じる。
やがて被害を受けた人々のことが出てくる気がしてならない。

おれは福島の浜通りに何度かでかけたことがあった。
その地域のことがずっと気になっている。
立ち入りが禁止されていた区域で、現在も町民はそこにいない。
双葉町、浪江町の農家を訪ねたのは2007年のこと。
農機具メーカーの撮影だった。農家の人達にいろいろな話を聞いた。
コマーシャル映像だから彼らはメーカーのことを一様に褒めたが、
もちろん農業は機械だけがするものではない。
むしろ機械は二の次で、大地と作物、そして人がいてこそのものだ。
そのために朝から晩まで彼らは田畠に出て世話をする。
百姓とは百の名を持つ人のことで、百人力の換喩だ。
それは、米という文字が「八十八」と書くように、
その回数、手を入れることで実りをもたらすという話に通じる。
つまりそれだけ懸命に育てることを表している。

「浜通りは気候がいいからね」よくそうした言い方を聞いた。
福島の中通りや会津に比べてという意味で、この地域の人々は笑顔で言ったのだ。
だがそこは東北地方、やはり冬場は寒く、風も強く、作業はきびしい。
彼らが自分の暮らす土地のことをいとおしく思っていることが伝わって来た。
だが今、彼らの大事な農地は手が入らないまま放置されている。

80歳を越えた方がこんなことを言っておられた。
「18の年から米作りをしたとしても、60回くらいしかできないんだからね。」
年に一度の米作り、ひとの一生のうちに作れるのは60回程度。
「私はもう米を作ることができないのです」
そう言って彼はうつむいた。
だが、彼の子どもから孫へ米作りは受け継がれている。
「守ってきたから、私の代で途切れさせるのはね……。」
小作農であったのか、戦後の農地解放で得た田んぼであるのかはしらない。
だが、その田んぼはその老人の父、祖父、祖先から受け継がれて来たのだろう。
それを守っていく役割を彼は担ってきた。

だがいま、あの一家はどうされているのだろう。
確実に分かることは、あの田んぼはだれの手も入らずに、
畝が崩れ、畦から水は流れ出し、雑草が生えているということだ。

いつかあの町へ行こうと思いつつ、行けない自分に腹が立つ。
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by kazeyashiki | 2013-03-11 12:21 | 農業 | Comments(0)

垢嘗め   

学生時代のことだ。
後輩のN君が引っ越したというので尋ねて行った。
築10年くらいのマンションで、トイレと風呂がついている。
当時、部屋に個別のトイレ&風呂がある部屋に住むのは高嶺の花……。
仲間はみんな、共同便所&銭湯だった。
さぞかし快適な暮らしかと思いきや、N君は冴えない顔をしている。
聞けば、夜中に風呂場で何か気配がするという。
前の住人に何かあったのでは?と言うのだ。
「いきなり電気をつけて扉を開けるべきだ」と進言したが、
「コワイですよー」と言う。

何日かしてまたN君宅へ行く途中、
近所の酒屋で差し入れを買ったついでに、店のおばさんに聞いてみた。
「あそこのマンション、前は何が建っていたんですか?」
するとおばさんは、
「あそこは風呂屋、銭湯やったんよ」
……合点がいった。
N君の風呂場にいたのは「垢嘗(あかなめ)」だったんだ。
そのことをN君に告げると、弱々しく彼は笑った。

……あれから30余年、
N君はいま、故郷の温泉地にある旅館の支配人である。
きっと風呂場の掃除は徹底するように指示を出していることだろう。
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by kazeyashiki | 2013-03-10 23:55 | 記憶 | Comments(0)

京隠れ   

2日つづけて京都で仕事をする。
番組の撮影の立ち会いで、おれはインタビュアーになるのだが、
撮影の技術にはかかわりがすくないので、
時間があれば写真をうつすという恵まれた環境だ。
もちろんインタビューする対象者の〈おもり〉という仕事はする。
世間話から仕事に関係する話へつないでいくということで、
気楽といえば気楽です。

朝の京都。
ようやく寒さがやわらいできた。
すこし早く到着して、京都御苑を散策する。
自転車で通勤通学する人が通りすぎていくが、多くはない。
広い敷地が気持ちいい。
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撮影隊と合流して、寺町通にある廬山寺に向かう。
紫式部の邸宅があった場所として有名になった天台宗の寺院。
それまでこの世界最古の小説を書いた女性の家は特定されていなかった。
古文書などから特定したのが考古学者の角田文衛博士である。
今では『源氏物語』ゆかりの桔梗の花や「源氏庭」で有名な古刹だ。

寒桜が咲いていた。
この時季と、秋9月にもう一度花を咲かせるのだという。
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それにしても、いい庭である。
決して大きくないが、表情がゆたかだ。
苔むした部分は、流れる雲を造形している。
この苔の上に、祇園祭のころから中秋まで桔梗が咲くという。
ぜひその時季に訪れたい。

この廬山寺の裏手に小径をみつけた。
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魅力的なので、思わず歩きだす。
すると苔が張られた庭に出た。
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気持ちがいい。
空気がおいしい。
花粉の季節だけど、それを感じない。
庭の奥は天皇陵だという。
廬山寺を訪れる人も、あまりここまで足を踏み入れないようだ。

ひっそりとこうした場所があることが京都らしく、
それを見つけたことが幸運だと思った
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その後、撮影隊と一緒にある民族衣裳コレクションを見に行く。
これはアフガニスタンの女性のもの。
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まるで花畑のような色彩に、砂漠色のカブールを想い出す。
色のない世界でこのようなあざやかな衣裳が紡がれる。
いや、かつてのアフガンは緑あふれる世界だったのだろうか。
女たちはこの衣裳を身につけ、そこにベールを被っていた。
それがこの黒い大きな布である。
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細かな刺繍がほどこされ、ずしりと重い。
古来からこのイスラム国の女性たちは素顔を出すことはなかった。
黒のベールを被り、魅惑の面影をいとしい者以外には隠した。

だが今、アフガニスタンの女性達はブルカと呼ばれる同じ色の布を纏う。
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織物や刺繍など、服飾の技術が失われつつある。
文化史的な喪失である。

京都は長いが、まだまだ知らないところがたくさんある。
とりわけ上京の古い京都には宝石のような場がある。
新しい中京衆の地とは異なる隠れ京がある。
もちろん御池以南の鴨川沿いは、
刑場と芸能と歓楽の悪場所という魅力が充満している。
だが、しっとりとした雰囲気漂う上京に惹かれるのは、
年のせいだとは思いたくないのだが。
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by kazeyashiki | 2013-03-06 15:11 | 京都 | Comments(0)

「花ざかりの森」   

「花ざかりの森」という唄がある。
1990年秋に上演した『神隠しの小径』という芝居の劇中歌で、
アートシアター新宿と扇町ミュージアムスクエアで公演した。
すでに両劇場とも、今はない。
「花ざかりの森」というタイトルが示すように、
三島由紀夫の小説の題名そのままである。
芝居の内容も三島作品から影響されたものではあるが、
決してうまく書けた戯曲ではないと思う。
評判もあまりよろしくなかった。
だが、劇中で歌われたこの唄をはじめ、
「仮面の告白」や「ファジーの唄」などはとても良くて、
これらは劇団を手伝ってくれていた山崎秀記君の才能だった。
だがこの唄、歌詞が一番しかない短い唄だった。
もったいないのでつづきの歌詞をこのたび書き足してみた。
最初に書いた歌詞はあまりに暗くて懺悔的で、
山崎君によって却下された。おれも同感だった。
思考のベクトルがずいぶん暗い方向に向いていた。
そこで次に書いたのが、下記の歌詞だ。
さてこの唄を6月に歌えるだろうか。みんなで歌いたいのだが。
ところで『神隠しの小径』という芝居の本来のタイトルは、
『神隠しの小径を行けば、花ざかりの森があって、そこに平岡先生がいた。』
という長いものだ。平岡先生とは、三島さんの本名。
ずいぶん失礼なことを平気でしてしまったものだと今は思う。


花ざかりの森
 
花ざかりの森には いつも妖気が立ちこめて
花ざかりの森には とてもなつかしい人がいる
戻れるならば戻りたい 二度と還れぬあの世界
聞くも涙 語るも涙の 十四歳の純情詩集
 
神隠しの径には いつもそよ風吹き抜けて
神隠しの径には 後ろ姿のあの人が……
交わせるものなら交わしたい いつか夢見たあの世界
寄せては返し 返せば寄せる 少年少女の夏の友 
 
  (セリフ)
   私を花ざかりの森へ帰してください。
   私はもう長い間、ここにいます。
   もうあなたは満足したでしょう?
   これ以上私を引き留めておくこともないはずです。
 
花ざかりの森には いつも光が差し込んで
花ざかりの森には 輝き放つ道がある
話せるならば話したい 言えずじまいのあの言葉
届かぬ思い 尽きせぬ想い さみしがりやの夢語り
 
胸さわぎの夜には 空がみごとに澄み渡り 
胸さわぎの夜には 星がいくつも降りそそぐ
愛せるならば愛したい 愛の意味など分からずに
いつか逢える かならず逢える おんなじ匂いのあの人に

  (セリフ)
   私はあの花ざかりの森へ帰り、なつかしい人達に逢います。
   私の前に一本の光り輝く道が伸びていて、
   足を踏み入れた途端、私の新しい物語が始まります。
   新たに始まった物語には終わりがありません。
 
花ざかりの森には やはり妖気が立ちこめて
花ざかりの森には 忘れられない人がいる
出逢ったことが運命か これがドラマの幕開けよ
聞くも涙 語るも涙の 十八乙女の恋愛詩集
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by kazeyashiki | 2013-03-02 11:24 | 芸能文化 | Comments(0)

逃げて、春。   

逃げていく如月二月は更衣月、絹更月ともいうらしい。
まだ寒いので、衣類をさらに重ねて着るからだという。
しかし今年の冬はさほど寒いと感じたことはなかった。
大阪京都を行き来してるくらいだから寒さは感じない。
雪国に暮らす人々にくらべれば大したことではないし、
雪下しの労苦があるわけでもないから贅沢な話である。

昨夏から掛かってきた裁判員裁判の教育用映像が仕上がった。
興味のなかった裁判員制度について勉強できたのはよかった。
だがおれ周辺で裁判員になったという人には出会っていない。
守秘義務だから口外するものではないが、見事に存在しない。
模擬法廷でエキストラを集めシナリオが現実に造形されたが、
映像の仕上がりは良かったと思うし、内容も伝わると感じる。

先日、十三で「フタバから遠く離れて」という映画を観た。
原発事故によって町全体が移住した9ヶ月を追った作品だ。
内容は濃い。
後悔する人、怒る人、悲しむ人、明日を見つめる人……
いずれも故郷に帰れない人達である。
無人の町のふしぎな風景、
日本国がこういう地帯を抱えているということを知らされた。
監督は舩橋淳、音楽は坂本龍一。
この映画から受けたものは多く、大きいと感じている。

6月におこなう朗読劇の台本を改訂している。
1983年に書いたものだからちょうど30年前、26歳の時だ。
それに向き合うことに大きな羞恥があったのだが、
何度も読み返し、練り、考えるうちに見えてきたものがある。
この若書きの1時間少しの戯曲のなかでおれは、
今からの視点でみればの話だが、赤裸々に自分の恥部を語っている。
いいように言えば素直というか、ありのままの姿を書いているのだが、
ま、それしか書くことができなかったというのが本当のところだろう。
俗っぽくて、下世話で、自分にしか興味がなく、わがまま。
しかもプライドは高くてという、どうしようもない男を描いている。
まさに自分を見ているのである。
だがそれが真実であることが文字面から伝わってくる。
小さなコップに入った水、のような自分である。
その水を大事にしているにもかかわらず、コップをひっくり返したり、
ときにはそのコップを叩き割ったりしている。むちゃくちゃである。
しかも動機なんてチャラいことなのだ。
この俗物の典型のような20代後半の若い男は本当にイヤな奴である。
だが、気持ち悪いとは感じない。
まるで風呂でタオルを洗った時に出るアカのように思える。
いわば分身であることが見えてきたということだ。
なんとか仕上がるだろう。

そして今日から弥生三月である。
Mustを数多くかかえているが、
mustは「〜しなければならない」とは別に、
「〜に違いない」という意味があったと思う。
逃げずにやり遂げる……そうに違いないと考えよう。
前向きだって?そんなエラそうなことやありません。
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by kazeyashiki | 2013-03-01 14:35 | 暮らし | Comments(0)