<   2013年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧   

麩のふかみ   

京の五条の半兵衛麩で、麩料理をいただく。
焼麩、生麩が調理され、奥行きのある味の饗宴である。
こんなに麩にふかみがあるとは……。

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by kazeyashiki | 2013-04-25 17:31 | 京都 | Comments(0)

檜皮   

先日、下鴨神社で撮影した折、
修復中の神服殿の工事を見学させてもらった。
この建物は檜皮葺きの屋根。
檜皮(ひわだ)というのはその名の通りヒノキの皮であるが、
屋根を葺く檜皮は、たいへん貴重なものであると知った。

まず、100年以上の樹齢のヒノキがあり、
切り倒さずに、その皮を剥ぐ。
その檜皮をそのまま使うのかといえばそうではない。
長い年月の間に育ったヒノキの樹皮には油分が多く、
これを屋根に葺くことはできないそうだ。

そこで、一旦剥いだヒノキはそのまま10年間育てる。
その間に新しい檜皮が育つ。
それには油分が少なく、これを屋根葺きに使うというのだ。

つまり、10年後に育つ檜皮を待っているのだ。

そして10年後に新しく育った檜皮を剥いで、
ようやく屋根葺きに使えるものになる。
下鴨神社の神服殿の屋根に使うヒノキは約35000本だという。

檜皮葺きの屋根を持つ建物は神社が多い。
出雲、厳島、住吉、北野天満宮や八坂などで、
下鴨と上賀茂も同じくである。
寺院では、清水寺や善光寺、知恩院などがあてはまる。
珍しい例では、
猫の駅長で有名な和歌山電鉄貴志川線「貴志駅」がこの工法だ。
猫を造形した駅舎ですね。

檜皮葺きの屋根というのは、日本独自の屋根工法だそうだ。
ヒノキを切り倒すことなく、皮だけを剥ぐのは環境保護になるというが、
皮を剥ぐ職人である原皮師(もとかわし)の減少など、
継承が難しくなって来ているという現実もある。
ヒノキの花粉でくしゃみが止まらない人もいるが、
温泉地などでヒノキ製の湯船に入ったときの柔らかな感覚は何ともいえない。

ヒノキの名前由来は、すぐに火がつくから「火の木」という説や、
神聖なる木「霊の木」、太陽の木である「日の木」など諸説ある。
おれは、自分の名前に「ヒ」の字が入っているので、
「ひ」という言葉に思い入れるところがある。
かなり身勝手な思い入れであるが。

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by kazeyashiki | 2013-04-19 11:42 | 京都 | Comments(0)

墓参   

おびただしい記憶の集積地
である墓地を歩くのは
なぜか気持ちが安らぐ
風薫る春の午後
だからというわけでもなさそうだ
列んだ墓石はやはり家々であり
墓地は街
鳥と蝶たち
そして撒き石の下にマルムシ
むかし憶えた唄を口ずさんでみる
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by kazeyashiki | 2013-04-14 14:18 | 素描 | Comments(0)

関山   

ヤエザクラは八重咲きになる桜の総称なんだそうです。

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そして写真のは、関山と書いてカンザン。
母の通院途中、車いすを押しながら行くと、
豊中の桜塚界隈に〈はにわロード〉という道があり、
そこでこのヤエザクラが咲きほこっていました。

古墳が数多くある地域だから〈はにわロード〉。
ロードじゃなく、街道とかにしてほしいね。

座っていた母が声をあげたのは言うまでもありません。

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そして今日は父の命日。
2004年のこの日は、白い桜の花が満開だった。
亡くなった病室の窓から風に揺れる桜を眺めた記憶がある。
遠い日の夢のような風景として今も残っている。
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by kazeyashiki | 2013-04-10 16:42 | 素描 | Comments(0)

戯曲   

初夏に小さな催し物をする。
そのために昔に書いた芝居の台本に手を入れていた。
以前にも書いたことだが、
26歳、今から30年も前に書いた一幕劇である。
若くて未熟で赤面を禁じ得ない内容だ。
手直しは、相当苦心した。
30年の歳月は、雲母のようにおれに経験と知恵と、
もったいぶりと、したり顔の層を付着させた。
だがその幾重もの層が本物かどうかは分からない。
狡猾さや欺瞞などを上塗りしただけかもしれない。
そして古い物語を手直しするという作業は、
そうした虚実の皮膜をスコップで剥がしていく作業でもあった。

もとよりおれは役者と同行しながら芝居を書いてきた。
共有する時間のなかで役者の言葉を聞き、
日々の機嫌、生理、嗜好性などに感応しながら執筆した。
したがって、籠もって戯曲を書いたことなど一度もなかった。
だが今回は役者との交通路はほぼ遮断された状態だった。
これが苦痛の要因だった。

一度書いたものに手を入れるというだけのことだけど、
やはりあきらかにおかしな部分や辻褄が合わないところ、
どうしても訂正したい部分などが出現する。
最初は小さなほころびを縫い直す程度からはじめたのだが、
僅かな紡ぎが全体に響いてきて、フォルムが変わってくる。
するといくつも手を入れたくなる。
物語の通奏低音だけは変化させないでいようとしていたが、
表面の様相が変われば、おのずと低音部にも波及する。
登場人物は同じだが、仕上がったものはかなり変貌した。

いま、仕上がったものと書いたが、実はまだまだ未完成である。
まず、読み稽古の段階で手を入れる。それは一度ではない。
上演ぎりまで改稿作業はつづく。
そして実際に演じられるときにはじめて台本は完成を見るのだ。
だから現時点では、まだ戯曲はできあがってはいない。

役者の顔が見えないことの苦悶を漏らすと、
3人の者たちから写真が送られてきた。
「顔ですよー」
おれたちはそういう時代に生きているということである。
役者たちのその身軽さに気持ちが弾んだ。

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by kazeyashiki | 2013-04-09 01:19 | 芸能文化 | Comments(0)

静水   

静かに
ひたひたと
いまも流れ出している

沁み込み
解けて
深く
おびただしく
決して浄化されることのない
反自然の

生物であるこの地球の細胞に
ウィルスが拡がっていく
物憂く足下を
見るしかないのだろうか

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by kazeyashiki | 2013-04-08 16:30 | 素描 | Comments(0)

古寺巡礼   

大正七年の五月、
20代の若き哲学者・和辻哲郎は、
唐招提寺から薬師寺、法隆寺、中宮寺などを巡った。

岩波文庫版は何度か改訂が重ねられたものだが、
ちくま文庫版は初版であり、
若い情熱に充ち満ちた表現がちりばめられている。

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先の戦争に召集が掛かった学生達が、
この本を手に奈良を巡ったという話を聞いた。
もう二度と見ることができないかもしれない日本、
そのもっとも明らかな姿がこの古い都にあり、
古寺の面影のなかに見いだそうとした。

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この本を持って奈良を経巡りたいな。
五月には行こう!
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by kazeyashiki | 2013-04-07 14:29 | 世界 | Comments(0)

ヤバイなあ   

テンションが下がっている。
カゼ気味でもある。
集中力の欠如……やる気が起こらない。
原因は分かっている。
自分の不甲斐なさ、であることには違いない。
だが、現象にも多少影響されている。
そこには社会というものが確実に存在し、
他者が歴然とある。
その他者からの何気ない言動によって軸足がぶれる。
楽天的なものが消えて、
きつい現実に見透かされるようになり、
その挙げ句に落ち込む。
そういうことはよくあることだと思うのだが。

継続してきたことも、新しい仕事も、なぜか暗い。
この今の状況は実によくない。
ヤバイなあ。
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by kazeyashiki | 2013-04-04 01:53 | 暮らし | Comments(0)