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熱狂する力    


友人のブログを覗いてびっくりした。
放送されている連続ドラマの画面を撮影したものがアップされている。
どれもいい表情の役者達が写っている。
しかしドラマを見ていない者にしてみると、
どういう展開であるのかが分からない。
それに何より、
友人がこれほどの熱烈さをもって見ていることに驚いた。

朝のドラマや銀行員の物語の話題がネット上にのぼる。
そこでくりかえし使われている言葉が流行語になろうとしている。
東京五輪のプレゼンテーション映像は見たのでそれだけは記憶した。
女性アナウンサーが実にいい表情でアピールしていた。
チャーミングだなと思った。

ここ最近、漏れ聞こえてくる言葉をくりかえしていると、
ふと思ったことがあり、それをtwitterに書いてみた。

「倍返し 対語となりし おもてなし」

多少の反応はあった。共感か同情かはしらない。

体調は80%くらいは回復したと思う。
しかし地下鉄の階段をのぼるとまだ息が切れる。
以前と比べてまだ完全に戻ったという実感がないのだが、
これで元通りなのかもしれないとも思う。
しかし体力が衰えていることを実感する。
これすら年齢としては合っている水準なのだろうか。

集中力の低下。
もともとあまり集中力がある方ではなかったから、
低下という言葉は不適当か。
だが感じてしまうのだから、落ちているのだと言い聞かせる。
集中力がさがると論理的な文章が書けない気がする。
言いたいことが文字になりづらい。
だれかに向かって書いている文体ではないように感じる。
これでは仕事にならない。
やはりこれは老化の一種なのだろうかと考える。
だが解決になどならない。堂々巡りをしているようだ。

熱狂する力というものが自分にあったかと自問してみる。
あったと答えたいが論拠に乏しい。
あれは熱狂であったか…と詩的なふりをして呟いてみるが、
いま思えば取り乱していただけのように思える。
思い出していくだけで恥じ入るので当然逃げてしまう。
むかしからの悪いクセである。

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by kazeyashiki | 2013-09-26 15:12 | 暮らし | Comments(2)

治療とその後   

 昨日は退院後初めての検査日で、CTをおこなう。ヨード系造影剤を点滴しながらで、身体が熱くなる。何度も「苦しくなったら言って下さい」と言われるが、薬剤によって身体が熱くなるという体験をしたことがなく、しかもほんのりと気持ちよかったので大丈夫をくりかえした。

 採血をしてその結果を待って診察室へ。担当の若い医師は肺から影がおおむね消えたことを画像で示し、肺炎の残りは若干あるが問題ない、腫瘍があれば明確に映っているがそれもない、まだ呼吸が幾分苦しいと感じるのは肺の機能が完全に戻っていないから、といったことを語り、激しい運動は避けて下さいと言った。おれは走る人ではないので激しい運動とは無縁だ。

 病院に来るまで少し不安な思いもあったのだが、これでようやく安心した。会計受付で1.5万円を支払う。安心が微塵に吹き飛んでしまう。仕方がないとは思うが、先だっての入院費と併せれば大きな出費だ。ぷよねこから「これ以上、医者に貢がないように」とメール。貢がないためには病院に行かないことだ。そのために体調管理が必要であり、これは完全な自己責任だね。

 病院を出て書店へ行く。しかし薬剤のせいか、ぼんやりとしていて本に集中できない。そういう時は別の買い物をするといいのではないかと衣類店に行き、アンダーシャツや靴下などを見る。だけどなかなか選べない。気持ちが散っているような感覚だ。今日は何もしない方がいいな、と大阪城公園を散歩。

 ぐるりと公園内を一周する。JRの駅の近くにある「大阪社会運動顕彰塔」の前を通りすぎる。1970年に竣工されたもので、その由来が書かれている。「この顕彰塔は日本民族の真の歴史を創造した、労働者・農民らが幾世紀にわたり、支配の圧政に抗して生活と権利を守り、社会解放をめざして闘いつづける歴史の塔であります。有史以来敗戦まで支配者は自由・平等・解放をねがいもとめる民衆のあらゆる社会解放運動を反逆者・国賊とそしり、弾圧してきました。先駆者達はその激しい嵐の道を身命を駆けて、窮迫に耐え、抵抗し闘い抜き、ために多くの先駆者は拷問、奸計により獄死・病没し雄志むなしく犠牲となりました。その貴い偉大な功績を顕彰し、その崇高な遺志を伝承、後続世代のわれわれが、大衆とともに真の自由・解放・平和をめざして闘い進むことを宣誓する塔であります。この塔は1960年大阪地方統一メーデー大会で決議され、1966年全大阪の労働者・農民・革新政党・民主団体が有識・有志の協力のもとに結集し、その拠金によって建設され、1970年11月施行・序幕祭典し、以来毎年10月15日合祀祭典を挙行します。1970年11月27日 大阪社会運動顕彰塔建設委員会」
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 そして帰宅して、読書。宮崎哲弥・呉智英の対談『知的唯仏論』を読了する。実に難解なことを宮崎氏は語っているが、直観的に読んだ。ブッダへの道をたどるような内容で、中国での仏教の混淆のことなど、興味深いことが多々あった。ぼんやり感がようやく消えてくれた。

 この本にはさまざまな書物も紹介してあり、そこから派生して読みたくなる。手塚治虫の『ブッダ』は一度読んだが再読したいと思った。静養が必要な状態なのでしばし読書三昧に入りたいところだが、仕事は待ってはくれない。ない智恵を絞って企画案をでっち上げなくてはいけない。

 気がつけば、ちいさい秋をみつける季節になっている。
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by kazeyashiki | 2013-09-10 12:54 | 暮らし | Comments(0)

結局入院に   


8月26日の月曜日、近所の大手前病院へ行く。
24日の日記に発熱と頭痛のことを書いて、
寝たり、のんびりしていれば何とか治るだろうと思っていたが、
土曜日の晩にびっくりするほどの汗を掻いて目が覚め、
風邪薬を飲んでまた寝たのだが、やはり身体がだるい。
で、一度医学の世話にもなっておこうかと内科を訪ねた。

だいたい長く待たされるのが病院の常だが、
ここはそういうことがなく、
初診専門の部署があり、すぐに診察してもらえた。
そしてその結果……肺炎だということであった。
レントゲンでは分からず、胸部のCTで判明した。
「分かってよかったわ。かなりの肺炎でっせ」
「このまま放っといたら全身に菌が広がって、えらいこっちゃ」
おれと同年配の医師は医師らしからぬ方言で言い放った。

その後は、あれよあれよと事態は進み、
気がつけば午後1時30分の時点でおれは病室のベッドの上にいた。
朝10時に病院に足を踏み入れた者が3時間半後にはすっかり病人……
もちろん熱は39度あったし頭は割れるように痛かった。
すぐに点滴(肺炎のばい菌を退治するクスリ)がスタート。
看護師は「この点滴をとにかく10本以上やりますよ」と言う。
だいたい1時間でなくなる点滴だから、たいしたことはない。

それにしても人生初の入院である。
これまでアナフィラキシーショックで半日入院したことはあったが、
本格的な入院生活を送るのは初めてのこと。
その時点で2週間の入院だと告げられていた。
2週間って……仕事のことがあれこれと頭をかすめるが、
高熱のため、よく回らない。

病室の窓からは大阪城とその周辺の公園の情景が見える。
また、谷町四丁目方面、つまりおれの家の方向も見えるが、
住んでいる集合住宅の建物は見えない。

あきらめて、治療に専念することを決意する。

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by kazeyashiki | 2013-09-02 13:38 | 暮らし | Comments(0)