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炎暑三都物語   

朝から阪神特急(車輌は山陽電鉄)に乗って神戸三宮へ。
打合せが終わり、阪急の駅へ向かう。
街は燃え上がるような熱気と人いきれ。
チャイニーズ系の女の子が海水浴場のような恰好をして歩いている。
大きな歓声をあげて笑って元気がいいなぁ。

阪急特急に乗って(比較的すいていた)十三経由で河原町へ。
八坂さんの方に向かって歩き、祇園を南下。
前祭と後祭の間の祇園さん。多くの観光客でにぎわっている。
花見小路の一本西、建仁寺近くの路地で、
押し車のおばあちゃんが立ったまま暑さを鎮めておられる。
ぼんやりと前を向いたまま。ちょっと気になる。
声をかける間もなく、ゆっくりと歩きだされた。大丈夫そうだ。

京阪特急に乗って終点淀屋橋まで。
大阪も暑いだろうなあ。豹柄服を着たおばちゃんが汗をぬぐいながらも、
元気に御堂筋を歩いているのだろうか。
御堂筋にはおられないか。

炎暑三都物語。
阪神、阪急、京阪の特急車両はいずれも涼しい。

京阪電車は淀川から木津川を越えていく。
雨が降り出しそうだ。
と、携帯に天気予測情報が入る。
「大阪市中央区 非常に激しい雨(58mm/h)……。
う~む。

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by kazeyashiki | 2017-07-21 17:07 | 素描 | Comments(0)

♪~あの娘をペットにしたくって   

 ♪~あの娘をペットにしたくって

 いきなりこんな歌い出しで始まる「自動車ショー歌」、
これって今の時代なら「あの娘をペットに?、ハラスメントでしょ!」
ということになる。時代のせいにしてはいけない。
だが、これが堂々と歌われていたのである。
作詞は星野哲郎、まさに戦後歌謡曲史に輝くスター作詞家である。
歌ったのは小林旭。1964年に発表された歌だ。

 当時ぼくは8~9歳。自動車に興味を抱き始めた年齢だった。
住んでいる家のとなり町に自動車工場があって(ダイハツだ)、
工場勤務の工員さん(古めかしい言い方か)が住んでおられた。
彼らはごくたまに、製造したばかりのクルマに乗って、
町の中を走り回っていたのだろうか、
真新しいピカピカのクルマが身近にあった。

 隣家は某電機メーカーに勤めるお金持ちで、
うちは、親戚一同で借りていた大正時代建築の一軒家借家だった。
もちろんクルマは所有していなかった(笑)
そのお金持ちの自家用車は、いすゞのヒルマンミンクスで、
ツートンカラーだったが、重々しく丸みのあるセダン。
ぼくはそうしたクルマより、
工員の兄ちゃんたちが乗って来るスポーツタイプに心奪われた。
今思うと、それはコンパーノスパイダーだったと思う。
ダイハツがイタリア風のデザインで出した名車だ。
今見ても、実にカッコいい。

 データを調べると、
エンジンはFE型直列4気筒OHVで、
コンパーノに積まれていたFC型800ccを1000ccに排気量アップ、
さらにソレックス製のツインキャブにより、
最高出力グロス65馬力・最大トルク7.8kgmを発生し、
最高速度145km/h・ゼロヨン18.5秒。
ミッションは4速フロアMTでローギヤード化されていた、とある。
いい音していたんだろうなぁ。

 またあるとき、大阪梅田でスカイライン・スポーツを見た。
1962年に発売された希少なスポーツカーで、
吊り目ライトのプリンス自動車時代の傑作である。
ぼくはこの吊り目が何だか怖かった憶えがある。
「ウルトラQ」にも登場していた。

 ホンダの「エスハチ」、トヨタの「ヨタハチ」は、
走っている姿を見るだけで興奮した。

 小学校の担任の先生がパブリカに乗っていて何度か乗せてもらった。
怒ると怖いが、まるで母親みたいに面倒見のいい先生だった。
パプリカは700ccの軽快なクルマで、結構スピードも出た。
「喋ってたら、80キロ超えていることがあったんよ~」
などとぼくらを驚かした。
パプリカに対抗するように三菱がコルト800を発売して、
工員の兄ちゃんたちは、よその会社のクルマだけど褒めていた。

 町には商用のミゼット(3輪のバイクハンドル!)や、
スバル360、キャロルが走り回っていたし、
初代コルトの三菱500(カエルみたいな顔をしていた)や、
重厚なクラウン、グロリア、セドリックも走っていた。
ぼくはそれらのクルマ全部の名前を言うことができた。

 そして、いすゞからベレットがチューンアップされてGTRとなり、
日産と合併したプリンス自動車はスカイラインGTを発表し、
その後、GTRへと突き進んでいく。

 時代は高度経済成長期。
短い時期の間にクルマはどんどんそのスタイリング、性能を向上させていった。
やがて中学生になったぼくはクルマ工場の隣町から田園町へ引っ越して、
町を走るクルマの名前を覚えられなくなった。
1970年代以降のことだ。

 ♪~ここらでやめてもいいコロナ

ってことなんだろうか(笑)

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by kazeyashiki | 2017-07-14 22:49 | 記憶 | Comments(0)

物真似文化   

 以前は田中角栄の物真似をする芸人や芸達者な音楽家がいたけど、今、安倍さんの真似をする者は見かけない。真似しづらいんだろうか。と思っていたら、斎藤美奈子さんが新聞で、文字による安倍首相の語り口を書いていた。


 政治家に対する諷刺は本来わが国では少ないようで、国民性として好まれないのかもしれない。


 だが、物真似文化は歴史的に豊かな国であるのだ。古くは天武天皇時代の伎楽などは一種の物真似芸であるし、狂言や歌舞伎、浪曲などにも物真似が多く含まれている。


 現代でも多くの物真似芸人がいて面白い。人間どころか、鳥獣や草木、道具音まで真似る芸もある。あまり欧米諸国ではないように思う。

真似る=学ぶなんてことをいうが、技術は「見て真似る・見て学ぶ」ということなんだろう。政治家の真似は生々しいから…と敬遠する日本人気質。何となく納得できる。角栄さんの物真似も、氏のあの声と雰囲気にある種の共感があっての物真似だった気がする。


 こうした穏やかな気質の日本の精神文化はいいなぁと思う。最近、どこかトゲトゲしさが漂う社会に違和感がある。おそらく自分は平和ボケなんだろうなあ。


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by kazeyashiki | 2017-07-12 14:03 | 素描 | Comments(0)

夏越の祓   

大阪にもう長く住んでいるが、6月30日は水無月を食べないとイカンという気になり京都へ。水無月とは、白ういろうの上に甘い小豆を載せた三角の和菓子である。夏越の祓、年の残り半分の無病息災を願うために食べる古都の風習である。


初めて食べたのは下京の親類宅で、自分はまだ小学生だった。ういろうは何度か口にしていたが、小豆が載ったものは初めてで、しかも病気にならないおまじないが食べることに含まれていると大人たちから言われたことで、なにか仏教的な(親類宅は熱心な真宗だった)印象がガキながらあった。


18歳から京都に住み始めて放埓な生活をしていたから、この風習に遭遇することはなかったが、何度か転居して地域との付き合いができるようになると、近所の人がお裾分けしてくれて、水無月に再会した。


この季節の食文化がいつから京都にあるのか知らないが、三角形に切るのは氷のかたちに似せたからだと聞いた。夏の暑さが本格化するこの時季、氷室から氷を切り出し口にするという宮中の行事が由来らしい。氷は庶民には手に入らない高価なものだったから、ういろうで代用したということなんだろう。


京都で氷室といえば、京見峠の先に地名がある。あそこから氷を切り出して御所まで運んだのだろうか。あるいはほかにも氷室はあるのだろう。高槻市に住んでいた地名も氷室だった。西国街道の巡礼橋の近く、継体天皇陵の近くののんびりとした地域だった。


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by kazeyashiki | 2017-07-01 19:43 | 京都 | Comments(2)