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夢の記録   

丘の上にある療養所のような七階建ての大きな建物にぼくはいて、そこには多くの治療を受ける人達もいるのだが、建物の造作は療養所ではなく劇場のようで、中央部分に広い空間があり、一階から四階まで吹き抜けの舞台になっている。


その空間に沿って狭くて渦巻き状の階段があり、二階三階からは舞台を見下ろすことができる。四階部分は天井に近く、照明機材などを吊るすバトンが造られている。そして、五階六階部分は天井裏で、階段から細長い通路がいくつも広がっている。渦巻き状の階段は木製で、歩くたびにギシギシと音がする。ぼくはその狭くて薄暗い階段を昇り降りして、まもなく始まろうとする舞台、おそらく古めかしい芝居の準備をしている。といっても照明や効果の段取りをしているわけではなく、二人の役者を連れて「このようにこの劇場は造られている」という説明をしているのだ。役者たちはついてくるだけで、この奇妙な空間に恐れをなしているのか、こんなものだろうと感じているのか、無言のままだ。ぼくは、もしかしたらこいつらは劇場に棲む幽霊ではないかと勘繰ったりするが、幽霊であろうが生身の人間であろうがどっちもさほど変わらないものだと納得している。


表に出ると、七階建ての建物はさすがに大きくて、しかも丘の上に建っているから威厳があるように思える。今から仕事が始まるはずなのだが、ぼくはどうしてもこの場所から離れなければならない事情があり、高名な映画監督と一緒に坂道を下りはじめる。途中、茶屋などがあって観光客が休憩している。床几に座った人々の横に水路があり、きれいな水が勢いよく流れている。


坂道を下りながらぼくは、ここは箱根あたりだと思っていたのだが、実は大阪の池田五月山のあたりであることに気づき、同行している映画監督に場所の説明をする。監督は「箕面の滝を見たい」と言い出し、五月山から箕面方面に向かう道を歩き出す。


その映画監督は世界的に有名な人物だと聞いているがぼくは彼の映画を見たことがないので話題がなく、あたり障りのない話をしているうちに箕面の滝道の下まで来た。最近の風景とは異なり、ずいぶん昔の箕面駅前の風景が広がっていて、埃っぽい。滝道を歩き出すと、舗装されていない土の道はずいぶんと歩きづらく、これではいつまでたっても滝にはたどり着かない、せっかく案内している(多忙なはずの)映画監督が気の毒だと感じている。しかし監督は悠々と歩いていて、「滝を見終わったら、4時までに八王子に行けばいいから」などと言う。ここは大阪の箕面だから、八王子に数時間後に行くなど無理な話だとぼくは思っているが、あえて何も言わず、滝へと歩を進める。だが、滝の流れ落ちる音はするのだが、なかなかその姿が見えない。滝とはそんなものだという思いもあるが、監督に見せてやらなければ悪いという気持ちもある。


2017年8月31日の午前2時ころに見た夢


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by kazeyashiki | 2017-08-31 17:40 | 素描 | Comments(0)

夏よ   

三好豊一郎の「トランペット」という詩の中にこんな一節がある。


“――夏よ、とびちる火の斑点の夏よ、

ひまわりのすがれた花のかげに埋葬される痩せおとろえた老人たちの夏よ!”


八王子で煙草屋を営んでいた三好豊一郎さんを吉増剛造氏が尋ねた話を、

現代詩文庫『三好豊一郎詩集』の作品論・詩人論に書いている。

それを読んでぼくも八王子に出掛けたことがあった。

2000年の夏のことだ。

すでに煙草屋はなかった。探せなかった。

だが、そこは駅前からすぐのところなのに狭い路地が縦横し、

迷路のようでぼくは迷った。

汗がしたたり落ちるほどに暑かった。

三好さんは夏の詩人なのか。


“――夏よ、みじめな陽物崇拝者のうごめく夏よ、

警官が叫び、群集がわめき、子供がうたう夏よ!”


おそらく昭和の、戦争が終わってすぐの頃の夏に三好さんは生きている。

その夏は、いくつかの遺伝子を残しながら今の時代にまでつながっている。

だが、もちろん遺伝子のことなど誰も知る由もない。

分母は夏だけ。

平安の夏も、室町の夏も、江戸の夏も、大正の夏も、夏は夏である。


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by kazeyashiki | 2017-08-11 23:11 | 素描 | Comments(0)