人気ブログランキング |

Here Comes The Sun   

このジョージ・ハリスンの歌はビートルズのアルバム「アビー・ロード」に収録されていて、あまり気にもとめることもない歌だった。ジョージらしいシンプルできれいな旋律の歌という思いしかなかった。


ネットのニュースを読んでいて、アメリカのどこかの病院で、新型コロナに感染して入院していた人が、治療が終わり、人工呼吸器を外すことになったとき、病院サイドがその人のためにこの歌を流した……というのを知って、YouTubeで聴きなおしてみた。すると、歌詞の内容も、メロディも、ジョージの歌声もとても胸に響いてきた。


「いっただろ?大丈夫だって。ねえ、長くて冷たくさみしい冬だったね。何年も月日が流れてしまったと思えるほどだったよね、ここに来てからは~」


呼吸器を外したその人は、この歌を聴いてどう感じたのかまでは記事は語っていなかったけど、自分なら、明るくてまぶしい光を感じて、「ああ、よかった」と思うかもしれない。


この話を、僕が担当しているラジオ番組「聴いてもらうも他生の縁」(ラジオ大阪)で話して、この歌を流した。その日は、レギュラー進行役の方が新型コロナ感染を警戒して欠席されたので、急遽台本書きの僕がマイクの前に座ることになったからだった。


ジョージのこの歌のほかに吉永小百合さんの「勇気ある者」や坂本九さんの「夕やけの空」といった、聴いてくれている人が、ちょっと元気になるかもしれない歌を流したのだけど、「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、やはり沁みた。


一度、お聴きあれ。


https://www.youtube.com/watch?v=KQetemT1sWc


# by kazeyashiki | 2020-06-18 11:15 | Music | Comments(0)

いま思うこと   

これまで、「まあ、こんなものかな」「常識なんやろうな」と思っていたものが、今回のコロナ禍で、「???」と疑問符を打ち始めている人がいるんじゃないかな。


電車はいつも乗れて、たいがい混んでいて、人との距離が狭いのは仕方がないことで、仕事場にいけば同僚と話をして、打合せをしたり、食事をしたり、飲みにいったりする。時には芝居や映画、ライブハウスに出かけて楽しんだ。そこに何の疑問すらなかった。そして、給料日がくれば銀行の口座にお金が振り込まれていて、諸々のものが引き落とされていて、買い物をして家に帰る。夜になると、ニュース番組を見て、政治家の動向や発言にため息をつき、芸能人の噂話にもため息をつく。そんな生活が当たり前だと思ってきたし、日々無事であれば幸せなのかと感じて生きてきた。


だけど、この新型コロナ騒動で自宅にいる時間がふえて、家庭の長い一日を肌で感じ、今までの生活スタイルと異なるこの体験に新鮮さと徒労とを同時に感じる。


新型コロナの流行に感謝する気持ちはない。疫病は一刻も早く霧散してほしいと思っている。この騒動があったから気づいたことは大きいけど、やはり終息することを望んでいる。おそらくこの騒動の前にぼくらは普通に送ってきた生活に戻ることができるかどうかは今のところ見えない。模索しながら、なにができて、なにができないのかを判断していくしかない。


これって価値観の変化だと思う。


ぼくは、この騒動以前に見た光景を今思い出している。それは、駅の片隅などでパソコンを広げ、スマホ画面を見ながら懸命に話をしている若い会社員たちの姿だ。取引先との大事なやり取りを一所懸命につなぐために働いているのだ。「たいへんだな」と眺めて思っていたけど、「仕事だから仕方がないよ」と思うのが普通だった。だけど、今現在、駅を通り過ぎるとそんな光景を見ることはない。彼らも自宅にこもっているだろうし、子供を連れて公園を散歩しているかもしれない。それは悪いことではない。この騒動の初期のころ、「うちの業務はテレワークなどムリだ。出勤しろ」と怒鳴っていた管理職がいる会社もいくらかあった。今はゴールデンウィーク中だから休みだけど、この連休が終わればまた出勤して、会社のデスクに向かったり、営業のために街を駆け抜けたり、駅でパソコンを広げたりするんだろうか。


コロナウィルスはぼくらに長いバケーションを与えてくれたといえる。行楽のためのバケーションではなく、自分の人生をすこし考えるためのバケーションだ。21世紀に人生論なんて流行らないだろうし、幸福論もピンとこない。それぞれ個人が考え、望む生き方があれば、大きな敷地の幸福論なんて必要ないと思ってきた。だけど、一つの疫病によって気づかされた生き方の流儀、幸せの形状について、考え直すことができるのではないか。分母を「健康」にして、個々の分子を作り出す時期がきていると思う。


このパンデミックを第3次世界大戦にたとえる人がいた。世界大戦というより、地球全体で起こった、目に見えない敵による内乱のように思えてしまう。「新型コロナの変」と呼んでもいい。乱とは秩序をかき乱すもので、変とは新たな秩序、体制を構築することだとするなら、やはり今回の騒動は「変」であってほしい。価値観、経済秩序、人々の暮らしぶりが変化し、変貌する。それは、多くの犠牲の上に作られていることを忘れず記憶していくことが大事だと思う。


表現する者たちの場が失われている。語る人たちの居場所もない。音楽、演劇、映画、ドラマをはじめ、新たな知見と感動を得る場所が失われている今、疫病や騒動に芸術や芸能は無力だというのではなく、これら表現活動を体験できないぼくら自身が無力になってしまっていると気づくべきだ。


# by kazeyashiki | 2020-05-04 13:00 | 素描 | Comments(0)

太陽と北風   

イソップの童話に『北風と太陽』という物語がありますな。「旅人の上着を脱がせることができるか」という勝負であります。結末はご存知のとおり、風の力で脱がせようとする北風に対して旅人は上着をしっかり押さえ込むが、太陽は燦々と光を浴びせて、見事上着を脱がせてしまい、太陽の勝ちとなります。


この物語は「乱暴に物事を片付けるのではなく、着実に進めることで効果を得る」という教訓となっておる。「厳しさよりも、優しさにより人は動く」という解釈もできる。幼いころ、この物語を読んで「なるほどなぁ」と感動した記憶がありまする。


だが、と思うのであります。


北風にもし知恵があれば、旅人に直接冷たい風を吹きかけるようなことをせず、まず、空の上の雲に協力してもらい、風の力で太陽を隠してしまうんです。そのあと、強烈な寒風を吹かせて旅人の上着を強引に取り払ってしまうというのはどうだろ。旅人もろとも吹き飛んでしまい、上着もズボンも脱げてしまうという展開はどうだろうか。まるで竜巻ですな。


もっとも、「旅人の上着を脱がせる」という勝負の設定自体を北風は疑うべきでした。「旅人に脱いでいる上着を着せる」という設定であれば、きっと北風は勝利していただろうね。



私がいいたいのは、知恵を使えということであります。へそ曲がりの、元も子もない話ではあるんですがね。



教訓:「憎まれっ子、世に憚る」(笑)


# by kazeyashiki | 2020-04-15 13:57 | 世界 | Comments(0)

この春   

この春_a0193496_14120389.jpg

「重たい春やな」と、友人が書いて寄越した。

桜は満開間近だというのに、冷たく細い雨が降り、

連日コロナ禍のニュースが流れ、

感染者数が増えつづけていることを報道している。

街に人はいるけど、その表情は明るくない。

夜ともなれば、繁華街は繁華せずに立ち尽くしている。

コノママデハ 店ガ潰レテシマウ


よく通る近くの駅前に、

ホームレスの人々が収入を得る機会提供の雑誌を売るおっちゃんがいる。

毎月、私は買う。

何冊も買えないので、通り過ぎるときもある。

どのくらい売れているのかは知らない。

おっちゃんは、雑誌を売りながら、ときおりゴミ袋を取り出して、

立っている場所から半径30m付近に散乱したゴミを拾い集めている。

私はその姿を初めてみたとき、

それが無私のおこないだと思った。

どこにもパフォーマンスの匂いがしない。



おっちゃんは、この駅前で売りはじめて3年くらいだろうか。

毎朝9時頃から夕方まで立って、雑誌を片手で掲げて立っている。

おっちゃんと私は呼んでいるが、私より年若いかもしれない。

余裕があれば1冊買って、

札を出しておつり不要としたいのだが余裕がない。


今朝も舗道のゴミを拾い集めている姿をみた。

今日から4月。

新しい号が出ているから1冊買い求めよう。


# by kazeyashiki | 2020-04-01 13:35 | 素描 | Comments(0)

Bald-head Brothers   

 西天満の"GANZtoi,toi,toi"で開かれた「あべのぼる69」の2日目ライブに出かけた。阿部さんがあちらの世界へ引越しされて9年も経ってしまっていることに、時の流れのはやさに驚く。こうして旅立った日(1128日)と、誕生日(1210日)あたりにライブが開催されることが素晴らしい。15年、20年、30年と続いていくだろうけど、それまで誰が生き残っているか……(笑)


1日目、2日目と数多くの阿部さんの仲間がステージに登り、歌った。2日目に神山町の老舗ブルース酒場(笑)の”After Hours"マスター上野公資さんと、フリーアナウンサーの山本浩之さんのBald-head Brothersが出られるので観に行く。以前は”AfterHours Show”なるバンド名だったが、上野さんの子息鉄平君のバンドにその名を継がせたのか取られたのか、今はBald-head Brothersである。


Bald-headとは「禿げ頭」という意味だけど、正確には「毛が無い」だろう。スラングで「禿げ頭」は”Cueball”という言い方もあって、これはビリヤードの白球のこと。ツルツルした白い球だから「ツルッ禿げ」だろう。上野・山本両氏はツルツルではないから、やはりBald-headがふさわしいと思う。


演奏は、この日バックをつとめるOSAKAROOTSのベース、ギター、サクソフォン3人の音から始まった。スローなブルースが心地いい。めずらしいアコースティックのフライングVに見惚れる。エレキのフライングVは有名だけど、アコギのものって初めて見た。座って弾いておられたが、安定性はエレキより良さそう。


フライングVは多くのミュージシャンが使っていたが、アル・クーパーさんも弾いていたのではないだろうか。アル・クーパーなんていっても知っている人も少なくなっているだろうね。マイク・ブルームフィールドとのセッション『フィルモアの奇蹟』や、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズを作った人、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」でオルガンを弾いた人である。


アコギのフライングVもカッコよいなあ。そして、南さんのサックスがまた素晴らしい。丁寧な音色が気持ちよくて、憂い嘆くブルースの旋律がやがて心身を浄化させてくれる音になってくる。天から降りそそいでくるコスミック・サウンド・シャワー?その演奏の途中で、ゆっくりと上野公資さんとヤマヒロさんが登場する。「この演奏のまま歌をうたうと思っている人、いるかもしれませんが、歌えません」とヤマヒロさんがすぐにお断りコメント。多くの観客は、このまま歌えばいいのにと思っていただろうその期待をあっさりと遮断した。ご愛敬である。


その後、阿部さんの遺したアルバム”マジック・アニマル”から数曲、最後は”That Lucky Old Sun”でシメ。「今年初めてやねん、ステージ出るの」と上野さんから聞いていたから、途中で「あ、間違えた!」とかあるかなと思ったが、スムーズに、そしてマスターは熱唱してはりました。継続して歌ってほしいもんであります。



Bald-head Brothers_a0193496_11271223.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11272714.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11274582.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11275786.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11281399.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11282690.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11283756.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11284898.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11290148.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11291112.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11292317.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11293494.jpg
Bald-head Brothers_a0193496_11294511.jpg

# by kazeyashiki | 2019-12-09 11:36 | Music | Comments(0)