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1月13日(木)   

今日は、母の病院の日。
朝10時過ぎに豊中の家に到着し、珈琲を飲んでいると妹が来て、
タクシーに乗って曽根のかかりつけ医院に。
11時過ぎだというのに待合室はすべてのシートが埋まっていて、
これはかなり待たされそうな気配。
ドアから離れた暖かな席に母を座らせると、
まずいつもの血圧検査。
その後、あまり待たずに診察室に呼ばれた。早い。
脚が痛いという申告に、医師は「水を抜きましょう」。
太い針の注射器を膝の上の部分に「ぶすり」。
顔をしかめる母に、「そんなに痛がるんやから元気なもんや」。
内科的には何も問題がないこと、食欲もありすぎるくらい……
そういう診断で、母も水を抜かれたせいか、元気になった。
薬はまた明日薬局に取りに行くことにして、
タクシーに乗っていつも行くトンカツ屋へ向かう。
「カキフライが食べたい」という希望を満たすメニューを注文し、
しっかりと一人前のランチを完食した母91歳であった。
家に戻り、しばらく話をして帰る。
いつものように涙ながらの見送りなのであった。

歩いて豊中駅方面へ。
仏壇屋に入る。仕事ではあるけど、知りたいことがあった。
それは、いずれ母宅にある仏壇を私が引き取ることになった場合、
今の仏壇は大きすぎるので、買い換えなければならないということ。
そんな先の話の布石をいま打つこともないし、親不孝なことかも知れない。
しかし知っておくことは大事だと思う。
仏壇屋の担当者は「仏壇コーディネーター」の資格者のようで、
いろいろこちらの質問に間髪を入れず答えてくれる。
実に瞠目すべきことが多かった。

仏壇は家の中にあるお寺であり、
仏壇をまず買うのではなく、本尊をお寺で貰ってきて、
そのサイズに見合った仏壇を選ばなければならないということ。
つまり本尊の掛け軸を本山である寺で購入し、
たとえばそれが10万円のものであるなら、かなり豪華な部類になる。
そしてその豪華な本尊に見合う仏壇でなければ釣り合いが取れない。
仏壇が先ではなく、やはり本尊が先というのが物事の道理だ、
そう「仏壇コーディネーター」は言うのである。

また、日本の仏壇の元締めというか原点となるのは、
「京仏壇」と「大阪仏壇」なのだそうだ。
「京仏壇」の特徴は、仏壇の造作がお寺の建物を模していて、
「大阪仏壇」は、唱えるお経の内容を立体化させている点。
「京=寺院建築」「大阪=経典内容」が仏壇に再現されているのである。
これは知らなかった。
そしてこの「京仏壇」と「大阪仏壇」の形式が全国に広まっている。
京都は越前、加賀、越中と、宗派の関係もあるのだろうが東へ行き、
大阪仏壇は、概して西日本へ伝わっていったという。
仏壇工芸師が各地へ伝授したという。
たしかに富山の砺波に出かけたとき、京から仏師がやって来たと聞いた。

いい勉強になった。

帰路は阪急豊中駅から急行に乗る。
Iさんからメールが2通届いていた。
今日、スティングのコンサートに行くという。
3月にはイーグルスのコンサートにも行くという。
「自慢その1.その2」というタイトルで来た。
ふざけた返事を打って送り返す。

梅田まで出て、地下街を歩く。
久々に富国生命ビルへ入る。新しくなっている。
地下街から入ると、セイロンカレーがあった場所は木製の広場になり、
天井が吹き抜けている。セイロンカレーの奥にパーラーがあり、
その奥にもう一軒、カレーショップがあった。インディアンだったか?
カレー以外にも、ハンバーグや焼き肉、揚げ物の定食も出していた。
宝くじ売り場があり、煙草の自動販売機が並んでいた。
その裏側にエスカレーターがあって、二階に上がると喫茶店があった。
「トレビ」という名前の、昔ながらの広い喫茶店だ。
ぼくは高校生の時、畠清美さんという女の子と、
この店で長い時間、話をした思い出がある。この娘のことが好きだったのだ。
彼女は池田に住んでいたが、途中で堺市に引っ越した。
だから梅田で会ったんだろうな。どうしているんでしょうか・・・。

ともかく街もひとも変わっていく。変化し続けていく。
おれも変わらなくてはいけない時は、心して変わらなければ!

by kazeyashiki | 2011-01-13 23:07 | 暮らし | Comments(0)

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