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冬の京都、木屋町三条上ル。

昨日は京都北区の佛教大学で映像制作の打合せ。
午後4時頃に終わり、北山通りあたりから堀川を下がり、
紫明通りから出雲路橋、そのまま賀茂川に沿って出町柳まで歩いた。
途中、出雲路橋西詰あたりで風景を携帯のカメラで撮影し、
幾人かの友人(石田貴子、金岡哉夫、塩田博、中西克己)に送った。
こんな文章を添えた。

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「京都も北山通りを越すと雪の郷だった。
 灰褐色のカンバスに輪郭のない雪花が舞う。
 鞍馬貴船は人家があるが、
 寺ひとつの雲ケ畑は雪に埋もれていることだろう。
 吹き下りる山風、さすがに寒い。
 出雲路まで下って来た。」

すぐに、塩田氏から返信メール。
那覇にいるという。仕事でプロ野球キャンプ地へ出かけているのだ。
街角の小さな商店の写真が添付されている。
「マジでサムイヨー」の一文。
寒い那覇の街で、京都が舞台の「マザーウォーター」を観たそうだ。
京都からのメール、シンクロニシティだ。

その後、中西克己氏から電話が入る。
僕は出町柳の手前を歩いていた。
氏は、河原町と烏丸の間の御池通りにいるという。
彼が京都にいるのはめずらしいことなので、
「では、寒いので一杯いきますか?」
新京極三条下ルの紀伊國屋書店前で待ち合わせた。

どこへ行こうか……
思案の末に「ふぉあぐら屋」へ向かうが、月曜定休。
店の向いにある本店の「極楽とんぼ」へ。
地下にある店で、オーナーのミアちゃんは旧い友人だけど、初めて入った。

和食中心のメニューで、店の装いは無国籍風(ちょっと南欧風)。
付き出しは「河豚皮と菜っ葉のぬた和え」と「数の子」。
ハートランドビールから日本酒の温燗酒に。
「牡蠣の天麩羅」「〆鯛」「自家製チーズおろし山葵醤油」と、
数あるメニューからfat氏が注文し、お銚子を三本。
冷えた身体がすっかり温まり、おなかの底が微笑みはじめた。

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夕刻から飲りだしたので、表に出ると午後7時前。
洋酒を飲もうと、以前から名前だけは聞いていた酒場へ。
細い路地の奥に隠れるようにその店はあった。
「文久」という。
一本南の筋で営業している花屋「花政」が経営している酒場で、
店の名前は創業の年号。
御一新前が慶応で、その前が元治、
文久は万延との間にはさまれた1861年から1863年までの元号である。
こうした命名の仕方が京都らしい。

7〜8人も座れば……という小さな酒場で、
母屋の離れとして建てられた部屋を店にしている。
中西氏はジントニック、僕はラフロイグを注文する。
やがてマスターに話しかけ、彼が埼玉出身であることを知る。
「まだ京都には馴れていません」と言いつつも、
京女といつかは一緒になりたいという。
常連客がぱらぱらとやって来て、気がつけば4人の客になっていた。

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与太話をしていると、少し離れた席の女性が話に入ってきた。
我々より先達で、女坂の中学・高校に通っていたという。
ご出身は?と聞けば、尼崎立花。
ここで中西氏が「くーーーっ」と腰を浮かせる。
氏にとって「尼のひと」は一種の痛点のような感覚がある。
これまで幾人かの「尼のひと」と接点があり、
その都度、氏は女性の有象無象森羅万象を垣間見てきたようだ。
「ここでも尼かよ」
しかし中西氏は嬉しそうにも見えるのである。

彼女は紅テントが三条の河原で公演したのも観たという。
ここで状況劇場が芝居を打ったのは1968年のことだ。
その後、アングラ文化の話で盛り上がる。
紅、黒テント、西部講堂、白樺、暗黒舞踏、土方巽など、
闇の底で鈍色の輝きを放つ固有名詞が次々飛び出して来る。
女性の連れ合いは、俳優の小林薫と同級生だったとか。
そんな時代もあったね……って感じなのだが、
この埃を浴びたような感触は、東京や大阪では味わえない。
なぜか京都の、あの身勝手な奔放さのなかにしかあり得ない。
僕はそんな風に思うのだった。

二軒とも、中西氏に奢ってもらった。
僕のこの貧困火の車はいったいいつまで続くのだろうか。

京阪電車で天満橋まで戻り、
中西氏が帰る上本町までタクシーに便乗させてもらう。
by kazeyashiki | 2011-02-01 10:00 | 京都 | Comments(0)

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