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ひとつの発言   

アメリカの前駐沖縄総領事の発言が物議を醸し出している。親日家といわれ、日本語もうまく話す人物だそうだが、話せるからといって好人物ということはない。日本語を学ぶきっかけになったのはどういう経緯か知らないが、少なくとも彼は日本及びアジアに興味を抱いていた。で、日本語を学び、日本と関係する仕事をした。東京大学で客員研究員となり、その後福岡などでも任務に就き、沖縄には2006年にやって来て、3年間勤務して故国に帰った。沖縄在任中からその言動に問題があると指摘されていたようだが、母国へ帰国して、大学生相手の経験話の中で、思わず胸の内に溜まっていた憤懣が出現したのだろう。いや、それとももっと計画的だったのかも知れない。「今日は言ってやるぞ」と考えての発言だったのかも知れない。

いずれにしても現場を知らないので空想の域を超えないが、事実としてあるのは「沖縄の人はごまかしとゆすりの名人だ」という言葉である。こういう言い方をしてはいけないということを私達は少なくとも小学校、あるいは中学校で学習している。地域、身分、職業、文化、言葉、風習といったものを主観的に批判することは「してはならないこと」として学んだ。なぜなのか。簡単にいえば、自由と平等の名のもとにおいてこの主観的な批評は、事実・真実ではないのにも拘わらず風聞として拡大してしまうからであろう。いわゆる風評である。こうした発言をする人には特徴があって、自分の内の苛立ちを批判する対象の一部に仮託して造形してしまうのだが、そのモンタージュが決して巧くない。強引な結びつけだけが目立ってしまう。しかも情報収集能力に問題があるので不正確な情報、噂程度のものを信頼してしまうことで論を組み立てているものだから、聴かされた方にとっては憤怒を感じつつも、最終的に脱力感を抱く結果になってしまう。「間違った情報で発言している人なんだからね」ということになり、下手すると同情されてしまうこともあるし、最悪の場合は「あの人だからね、仕方がないさ」となってしまい、これはもう弱者へのいたわり、宗教的な慈悲になってしまう。だからもし日本の外交官が「ケヴィン・メアさんの発言は、これはもうアメリカ人だから仕方がないですよ。アメリカ人はそういう間違いをこれまでいっぱいやってきたんだから」とか、「ケヴィン・メアさんはサウスカロライナ州フローレンスの生まれだそうじゃないか。あの州の、あの町の人間は信用できない人間ばかりだから仕方がないよ。アメリカの国民もみんなそう思っているそうだし」なんて言うとどうなんだろう。

ケヴィン、沖縄でよっぽどヒドイ目に遭ったのか?フラれたのか?君はまだ56歳だから、日本やアジアに関係ない仕事をすればいい。あるいは仕事を辞めて沖縄に永住するという選択肢が描けるなら、それもいい。いずれにしても、君が沖縄のことをあんな風に言いたくなった背景にある現実というのもあるはずだろうから、それをどこかで語る機会はあるし、アメリカのメディアは作ってくれるだろう。日本のメディアがやればいいのだが、どうもそれは難しいかも知れない。君の語る言葉を、沖縄の人達は決して感情的にならずに聴くと思うよ。そう信じている。

by kazeyashiki | 2011-03-09 11:09 | 世界 | Comments(0)

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