最近のメディア   

菅首相にも外国人からの献金があった。
スクープしたのは朝日新聞だ。
確かに法に抵触する事項である。
だが、ここ最近思うのだが、こうしたスクープ記事の持つ内容が、
何か、場を混乱させるための害毒の一種に思えて仕方がない。
試験中にネットを使ってカンニングした青年の事件、
遡れば、小沢一郎の”政治と金”の問題にしても、
現在進行中の政治状況を阻害するくらいのキャンペーンの張り方だ。
これは新聞だけではない。テレビも連日この報道をくり返してきた。
こうした木を見て森を見ない報道の姿勢に対して、疑問を感じる。
国益に反しているのは諸々の事件、出来事ではなく、
メディアの姿勢そのものが反国益的、反国家的ではないかと思う。
メディアというのはヌエ的なもので、
報道するだけで結果や成果を達成することが少ない。
もちろん小さな新聞記事やテレビ番組が社会を動かしたことはあるが、
ここ一連の報道、しかも過熱気味で狂信的な報道には、
非難、罵倒、糾弾だけがあって、どこにも創造性がない。
私は現政権の支持者ではないが、
このような報道体制では国家の方向性を決める国会運営が支障を来し、
最終的には国益を損ない、国民にその代償が回ってくるのではないか、
そんな風に思ってしまうのである。
大学受験におけるカンニング事件にしても、
当事者を糾弾し、追い込み、断罪することに生き甲斐があるという、
何だか強権的な態度しか見えないのだ。
新聞や雑誌なら、あの学生の背景にあるさまざまな物語、
「なぜ彼はこうしたことをしたのか?」
という視点から書く姿勢があってもいいと思う。
父を亡くし、母に心配と経済的負担をかけたくなかった若者の心情、
これを平明な文体で書き、伝えていくことがなぜできないのだろう。
むろんそうした記事も一部にはあったかも知れないが、
新聞からテレビという濾過装置を通っていく中で、
ヒステリックともいえる論調で叩く。
人間性もなにもあったものではないと感じているのは私だけだろうか。

by kazeyashiki | 2011-03-11 10:54 | 世界 | Comments(0)

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