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4月13日水曜日/仙台から石巻経由、涌谷へ

昨晩は、ぷよねこ氏の親類の方がやっている仙台市青葉区国分町のスナックで飲み、震災に関する話を聞いた。やがて奥のボックス席にいた某電機メーカーの人達が、震災の疲れとストレス解消もあってか、ずいぶん盛り上がってしまい、同年代のよしみもあって「なごり雪」をギター伴奏してほしいと頼まれ、応じてしまう。また来年定年だという課長は、学生時代ロックバンドをやっていたようで、彼の弾くブルースギターに合わせてブルースハープを合わせる。みんな喜んでくれたので、まあ、よかった。

午後11時頃にホテルに帰る。朝が早かったので、すぐに眠りのなかへ・・・。
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朝レンタカー店へ行き、アリオンというP3の中型車を借りる。

仙台市内は花粉真っ盛りなのか、鼻がむずむずして具合が悪い。集中が切れないように神妙に運転する。ナビを佐々木さんの家がある涌谷町に合わせるが、途中の東松島、石巻などを回りたいので、一般道優先で進む。

仙台市内、沿岸部以外はさほど地震の影響は感じられないが、道路が川を跨ぐ部分、つまり橋脚部分は段差がついている。塩竃を通過し、東松島市内に入ると、道路周辺の田んぼに瓦礫の一部が入っているのが見えてくる。ビニールハウスがひしゃげている。田んぼが多い大曲地区では、瓦礫が格段に増えて、流されてきたクルマや、家々が田んぼに入り込んだままになって止まっている。相当酷い。

クルマの中から見ているだけなので、また明日にでも見に行こうと思う。

さらに石巻市内に入ると、国道から北側の住宅地はほとんど被害がなく、家々の屋根瓦が落ち、ブルーシートなどが被せられている状態だが、海側は何だか風景がおかしい。ぼんやりと霞んでいる。それは瓦礫撤去のための土埃だと気づいた。大型重機の突端が見える。立ち寄りたいが、佐々木さんが今、種蒔き作業をされているので、その様子を見たいので、先を急いだ。
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涌谷町内は津波の被害がなかったものの、地震による被害は所々あるようだ。だが、道路沿いに瓦礫はない。穏やかな春の陽差しが降り注ぎ、暖かい。田舎の道をのんびり走っていると、地震があったことが別の場所の出来事のように思える。

第三小学校を目指して下さい、と言われていた。だがこの小学校は今年3月へ閉校してしまったのだという。やがてその小学校の校舎が見えてきた。丘の上に建つ優しい印象の建物だ。その近くに佐々木邸があった。
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種蒔きとは、育苗箱と呼ばれるパレットのようなものに、種籾を入れて水を掛け、その上に薄く土を被せるという作業で、ベルトコンベア式でおこなわれる。箱を用意する者、コンベアに載せる者、種と肥料を補給する者、仕上がった箱を取り出す者、その箱を積み重ねて行く者と、最低5〜6人の人手が必要な作業だ。発芽し、青苗になり、田植えができるようになるまでおよそ30日程度かかる。種蒔きは米作りの最初の大切な行程だ。

ぼくが訪れた時、まさにこの流れ作業の真っ最中だった。
挨拶もそこそこにすぐに作業の様子を撮影する。作業されているのは佐々木さんの知り合いの方々で、元JAの方、元種子会社の方、元農業高校の先生、佐々木さんの奥さんの祖父、佐々木さんの息子さん、アルバイトの若者、そして佐々木さんの合わせて7人。佐々木さんは監督役で、一連の作業の流れを統括するような立場だ。というのも佐々木さんは30歳代半ばに農業機械に左手を巻き込まれ、手首から先がない。「機械の運転は誰にも負けないけど、手を使う細かい作業は全然ダメなんだ」とみずから解説してくれた。
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佐々木さんを紹介してくれたのはぷよねこ氏で、テレビのスポーツ番組で障害者野球を取り上げた時、彼らは知り合った。その後、2007年2月にぼくとぷよねこ氏が宮城県を旅した時、温泉宿で落ち合って、酒を酌み交わした。10町歩という広大な水稲を営む専業農家である佐々木さんに、農業の話をしてもらって、大いに勉強になったのである。1町歩とは3000坪、10町歩は3万坪である。大変な広さである。ここで米作りをされているのだが、もちろん農業機械がフル稼働する。元々、農業機械の会社に勤務されていた佐々木さんは、この会社での仕事中に事故に遭われた。それを契機に退職し、専業農家になったのである。
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10町歩の米を育てるということは、非常に多くの苗が必要だ。育苗も半端ではない。それゆえに朝から晩までかかって種蒔き作業をする。仕上がった育苗箱がずんずんと積み上げられていく。
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昼食時間になり、家で食事が振る舞われる。ぼくも末席に招かれ、頂いた。朝8時からずっと作業をされてきた面々は腹ぺこのようで、焼き鮭、ネギのぬた和え、小茄子煮、胡瓜の漬物、焼き鳥、大根・人参・豚肉・牛蒡・油揚げなどの具だくさんの味噌汁、コシヒカリの大盛り飯を平らげていく。もちろん罐ビールもシュポシュポ抜かれる。「日本酒は終わってからだな」元JAの親爺がいう。

食べながら震災の話を聞く。みんな口々にそれぞれの体験を話すので、ぼくはあっちを向いたりこっちを向いたりする。この涌谷町は大きな被害はなかったものの、親類縁者が多く暮らす石巻では津波にさらわれたままになっている者も多いという。佐々木さんの奥さんの親類や知人も被害に遭い、指を折って数えていくと「7人もいる」という。7人の方々の多くは今も行方不明のままだという。身体の中に錘が垂れ下がるような思いになる。「だけど、まだわしらは農業ができるだけマシ」とこの年配の男達は言う。

「仙台市の若林区荒浜に二瓶さんという、全国認定農業者協議会代表で、全国ネットワークの代表でもあった素晴らしい人がいたんだ。だが地震で亡くなってしまった。残念でならない」佐々木さんがしんみりした口調でいう。それまで喋っていた男達の言葉が途切れ、一瞬の間のあと「そうだなあ」と、この馬力のある農業者のことを悼んだ。

『全国農業新聞』の記事を引用しておく。

「全国認定農業者協議会・二瓶会長が被災し死亡/東北関東大震災により安否が気遣われていた全国認定農業者協議会代表の二瓶幸次さん(60、宮城県仙台市若林区荒浜)の死亡が21日までに確認された。/行政刷新会議の規制・制度改革分科会が昨年末「認定農業者制度廃止」の方針を打ち出すと「直ちに反対運動を起こしたい」と表明。その後本紙「農 声」への寄稿や分科会のワーキンググループ委員との意見交換、「規制仕分け」での意見表明など、制度の維持・発展に向け精力的な対応を見せていた。/二瓶さんは1995年に認定農業者になると、その後宮城県認定農業者協議会会長に就任。2008年から全国ネットワークの代表を務めた。42ヘクタールを経営する(農)荒浜農産の代表でもあった。ご冥福をお祈りしたい。」〔2011-3-25〕

午後から作業再開。ぼくは佐々木さんの長男がやっているネギ栽培のハウスを見学に行く。16張のビニールハウスの中で、幾種類かのネギがすくすくと育っている。大学卒業後、1年間の農業研修を経て、24歳からネギ栽培を始めた長男の寿幸君は、この6年間で借りた資金を完済し、現在はパートタイマーの方々を雇い、ネギ農家としてがんばっている。後に寿幸君とは酒を呑んで仲良くなるのだが、父親である佐々木さんにとって、専業で農家を担ってくれる頼もしい息子だ。後継者不足が叫ばれるなか、こうした若い農業者のがんばりは嬉しい。
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午後になってクルマで女川方面へ向かう。
女川といえば良港を抱く三陸海岸沿いの町で、東北電力女川原子力発電所がある地域でもある。田んぼのなかの道をナビに従って走行するが、すれ違う車輌に自衛隊車輌が多くなってくる。いくつかの橋が落ちていて、通行不能だ。迂回するのだが、なかなか女川へたどり着けない。北に行けば南三陸町(志津川)だが、国道45号線は通行止め区間が多い。カーナビに「×マーク」が表示される。とにかく海が見えるところまで行こうとするのだが、やはり通行止めだ。斜光になってきたが気温は高く、田んぼは乾いている。どこかに農夫はいないかとクルマを走らせながら探すのだが、農作業する人の姿が見当たらない。結局、戻ることにした。
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夕暮れ近く、ようやく佐々木家の種蒔き作業は終了し、男達が「終わった終わった」とにこやかに手を洗い、夕食に向かっていた。「クルマで送って行くから、飲め飲め」といわれ、元JAや元種子会社の親爺達が日本酒のグラスを手に取る。宮城の酒蔵の話になる。
「一ノ蔵」は内陸部の大崎市に蔵元があるが、かなり酒瓶が割れたらしく、塩竃にある「浦霞」は酒蔵の壁が崩壊、機械類も被害を受けたそうだ。そして酒米作りも今年はかなり厳しくなるという話になる。もちろん「水」の問題もある。「支援するとすれば、宮城をはじめ東北の酒を呑むことでしょうか」とぼくが言うと、「その通り!」と親爺達に言われた。「それに、葉タバコ農家もあるんで、タバコもじゃんじゃん喫ってもらわにゃ」と笑う。新築された佐々木家は全面禁煙なのだ。そして皆さん、愛煙家だ。

暗くなって来たら、佐々木家が面倒をみているボランティアの人が帰ってきた。
横浜市の水道局を定年退職した男性で、避難場所で病気になった人や、通院ができない人をクルマで搬送するボランティアをやっている方だ。みずからバン・タイプのクルマを持ち込み、車椅子の方も載せられるし、担架でも大丈夫な構造になっている。この病人の搬送という仕事はなかなか重要な仕事だと、話を聞いていて思った。夜中でも携帯が鳴り、出掛けていくことがあるという。病院はここから20分程度のところにあり、佐々木さんは長女の依頼によってボランティアの寝泊まりの場を提供し、朝食と夕食も提供されている。「大事なことだからね、ボランティアは」そう佐々木さんは言う。多い時は5〜6人が寝泊まりしていたという。
午後7時過ぎになって、石巻の小学校の避難所にボランティアに出ていた大阪出身の若い女性が帰ってきた。正確には東大阪出身で、言葉が完全に河内弁だ。ぼくが大阪弁で喋ると「ひえー、ここで大阪弁喋るひとに会うとは思えへんかったー!」などという。

種蒔きという大切な仕事を終えた佐々木さんは、ようやくひと心地ついたのか、「今夜は飲みましょう」と一升瓶を抱える。テーブルの上には手作りの料理が幾品も並ぶ。どれも味付けが濃くて、うまい。ボランティアの方々は酒が飲めないので、酒のみのぼくを迎えて佐々木さんは少し嬉しそうだ。障害者野球のこと、オフロードバイクを中学生の頃から乗り回していたこと、クルマの免許を取ってからは「スカイラインGT-R(箱スカ)」が欲しくて仕方がなかった話、だが結局ケンメリの「GT-R」を手に入れた話(箱スカより、ケンメリのGT-Rの方が貴重!)、クルマで奥さんを誘ってデートした話など、気がつけば午後10時を回っていた。

明日は石巻、東松島、そして話に出た若林区荒浜の二瓶さんの田んぼに行くことを佐々木さんに話し、寝た。実は佐々木さんの家族は、石巻にも仙台市内にも震災以降、出掛けていないのだという。
「やっぱりね、見たくないって気持ちあっから……」ぼくが代わりに見に行きます、と宣言したのだが。
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by kazeyashiki | 2011-04-20 12:49 | 農業 | Comments(0)

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