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24年前の出来事から

今から24年前の5月3日午後8時15分、西宮にある朝日新聞阪神支局で起こった事件、赤報隊による新聞記者襲撃事件のことは、なぜか今でもその報を聞いた時の情景を鮮明に憶えている。当時ぼくは一度目の結婚をし、会社に勤めながら劇団活動に精を出していた。木屋町二条に稽古場を借りて、劇団を大きくしよう、少しでも食えるように役者を育てようという、ちょっと策士のような思いを抱いていた。

この夜、上京区の家でテレビを見ていてこのニュースを聞いて、それが朝日新聞という右の陣営から非難されているメディアに対するテロであることに気づくまで、少し時間が必要だった。それほど当時は思想に関しての知識がなかった。西部講堂などで触れる新左翼の残滓のようなイデオロギーに対し、興味こそ持つものの傾注することなどなく、芝居の内容はどちらかといえば重喜劇の方向を目指していた。

だがこの事件で死亡した記者がほぼ自分と同い年であること、そしてかつて新聞記者になりたいと言っていた塩田博氏のことを思い起こし、もし彼が記者になっていたとしたらこの日に起こった事件の様相も変わっていたのではないか、彼が阪神支局にいるという確率は低いが絶対にあり得ないということもない、だとすればとても他人事とは思えなかった。だから実によく憶えているのだった。

1987年といえば、「アサヒスーパードライ」が新発売され、石原裕次郎が亡くなり、竹下登政権が発足した年だ。芥川賞は池澤夏樹の『スティル・ライフ』、村上春樹が『ノルウェイの森』を発表し、『サラダ記念日』が売れ、映画館では「マルサの女」や「ゆきゆきて、神軍」が掛かっていた。討論番組「朝まで生テレビ」がスタートした年でもあった。

亡くなった記者は当時29歳。1958年生まれだろうか。言論を銃で封じ込むということに怒りを感じる反面、こうした武器によるテロ行為が世界ではその後、幾度も繰り返されて来た歴史を僕は知っている。1987年のこの出来事以降、世界では更に大きなテロが頻発してきたのではなかったか。

そして21世紀、2011年春。地震・津波・原子力発電所の事故による混乱状態が続いている。復興復旧をメディアは取り上げるけど、東京電力福島第一原発では現在も懸命な冷却作業、パイプ等の敷設作業が続いている。そのなかで、果たして新聞は真実を読者に伝えているのだろうか。

朝日新聞出版の広報誌「一冊の本」5月号で、佐藤優氏と魚住昭氏が対談している。そこで魚住氏がこんなことを言っている。
【たとえば、四月一日に「福島原発事故についての緊急提言」という文書が発表されました。複数の原子力安全委員会経験者はじめ原子力の平和利用を第一線で推進してきた専門家十六人が連名で発表した文書です。重要なのはここです。〈特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである〉。新聞は、この提言を黙殺こそしませんでしたが、大々的に報じることをしませんでしたね。提言に名を連ねた人に、原発事故の見解を聞き、今後予想されることをさらに詳しく取材してもよさそうなのに、私が知る限り、そういう記事を目にしていません。】
この魚住昭という人物は元共同通信の記者で、現在はフリーのジャーナリスト。佐藤優氏は同志社大学神学部出身という異色の元外交官で、現在は著述家だ。「外務省のラスプーチン」などと言われた人物として有名だ。

新聞は危機に直面すると真実を書かない、書かない方向に流れるということに対し、佐藤氏は支那事変(1937)の際の政府と新聞社の関係を指摘している。メディアによってコントロールされている感じがどこかにある。またメディアというものはそうした操作装置であることも見聞きしている。だが、他に情報を入手する手段がなければ、やはり報道の上に立って自分は話をしている。

そういえば昨晩のNHKの9時からのニュースで小説家の高村薫さんがコメントしていた。『神の火』で原発の内情を克明に描いた作家だ。彼女は、原発が賛成派と反対派というイデオロギーの対立の構図で捉えられていて、科学的な説明が欠落していると指摘し、原発建設が政争の道具として使われていることを批判していた。そして今回事故を起こした原発の周辺で生活をしていた人々が、また同じ暮らしができる可能性がほとんどないと話した上で、「もう、原発事故は、なかったことにしてしまおう」という気運に流れているのではないかと話す。延々と続いてきた「暮らし」が一瞬にして遮断されてしまうこと、また同じ暮らしができないことを原発周辺から避難してきた人々はまだ自覚的ではないし、国民の多くもそう思っているのではないか、とも。さらに「想定外」という言葉に対して「問題外」ではないかったかと批評した。地震国である日本。原発によるエネルギー確保ではなく、別のエネルギー源を開発していくことこそ科学の役割ではないかという言葉には説得力があった。

いずれにしても、新聞やテレビなどで日々報じられていることを情報ソースにして自分は考え、話をているのは確かだ。だが、その情報の内実にある問題を読み解き、解釈し、分析するためのリテラシー能力がなければダメだということが今回の地震・津波・原発事故を通してよく分かった。思考するには訓練が必要だ。

24年前のテロによる事件から、思いつくままに書いてみた。
Commented by SHIODA at 2011-05-04 09:28 x
>原発が賛成派と反対派というイデオロギーの対立の構図で捉えられていて、科学的な説明が欠落していると指摘し、原発建設が政争の道具として使われていることを批判していた。

そうだよね。
かつて反戦を口にすると左だと言われたのと同じように、原発反対を口にすると左翼って言われるのは原発マフィア(?)の常套手段だと思う。政争として都合がいいから。
原発反対? そうか、塩田は左なんだって、いうふうにね。
思われてもいいけど科学的な説明や自由な議論を封殺しようという意図が見える。

こういうメディアもある。
http://www.ourplanet-tv.org/
米作りのリポートもここで放送したら?
でも、ちゃんと作らないと載せてもらえないね。

Commented by kazeyashiki at 2011-05-04 17:01
原発の話をするとどうしてもイデオロギッシュになってしまうようで、
右左という位置の話になって、感情論になってしまう。
たぶんそれは、自分に科学的知識が欠落してるからですね。

だから広瀬隆氏の『原子炉時限爆弾』なんて本を立ち読みすると、
その内容が現実化してしまったことにびっくりしてしまう。
原子炉本体ではなく、配管や電気系統がダウンすることの危険性を、
広瀬氏は指摘してる。
この本は2010年に出版されたものなんだよね。

だからといって、広瀬氏の盲信的信者になるわけではない。
(彼が左なのかどうか、その定義はよく分からないけど)

これまで、
「原発はアブナイなあ、あかんよなあ」と言った時、
「ほな、電気がなかったらお前生活できるか?」と言われ、
別のところでは、
「反原発のデモの参加してくれよ」と言われ、
結局どっちにも反論したり、参加したりして来なかったのは、
自分がアホやからとしか言いようがない。

原発事故に関する文章は実に多いし、映像情報も多い。
全部読んだり見たりすることはできない。
だから、農業の現場にしぼった形で見聞したいのです。

農業という括りも実に広大なんだけどね。



by kazeyashiki | 2011-05-03 23:00 | 世界 | Comments(2)

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