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歩く日々。

このところ、よく歩いている。
靴のせいだ。
新しい靴を買ったのだ。
安物である。
しかし、安物でも新しいうちは履き心地がいい。
だから歩けるのだ。

過日、桃山台駅と豊中駅の中間地点にある母の家から、
とりあえず緑地公園まで歩いてみようと考えた。
服部緑地公園の野外音楽堂はおなじみだが、
そのほかの区域を知らないから散策してみようと。

歩いていると興に乗るというのか、
歩くことが楽しくなってくる。
もっと早く行きたければ”走る”という選択になるのだろうな。
だがおれは”歩く”がいい。

緑地公園から江坂、東三国、新大阪まで来た。
どうせなら淀川の橋、新御堂に並行する橋を渡りたくなる。
天気もよかったし、風が適度に吹いていて気持ちいい。

結局、中津から中崎町へ、天神橋商店街を突き抜け、
天神橋を渡って自宅まで歩いてしまった。

過日、近江八幡で仕事が終わり、まだ日が高かった。
隣駅が「あづち」である。
数年前に安土城址に仕事で来たことがあって、
そのときはある作家のお供だったので気まぐれ散策ができなかった。
そこで自分なりに歩いてみたいと思っていたその機会だと考えた。

安土駅前にはレンタルサイクルショップが2軒ある。
だが、地図でみると安土城址まで2キロもない。
これなら歩くに限る。駅から田んぼ道を歩き出した。

風がなんと気持ちいいことか。蛙が鳴いて音環境もいい。
入山料を支払って安土城址の石段を登り出す。
幅広の石段であることよ。
きっと信長はここを馬で駆け上ったにちがいない、
と妄想しながら、汗を拭い、登ったのだ。

人とは何人か出会ったが、
頂上の天守台跡まで行くと、だれもいなかった。
200メートルに満たない小山だけれど、
しっかり登った感があった。
そういう山を信長公は選んだのだ。

石段を登りながら考えていたのは、むかしの出来事だ。
まだ城があった頃、信長が京かどこかにでかけていて、
翌日夕刻まで帰らないという日、
城詰めの女官たちがこのときとばかりに城を下り、
どこかで骨休めをし、羽目を外し、享楽に浸していたら、
いきなり信長公が帰城されるぞという声。
慌てて安土城に戻ったものの、信長は一足先に到着していて、
城内を、怒髪天を衝く形相で歩き回っている。
侘びたものの、遊んだ女たちは全員処罰されたという。

女たちが駆け上った石段がこの石段かどうかは分からぬ。
しかし”駈け上がった”という事実はあったことだろう。
覚悟していた者もいたにちがいない。
覚悟していなかった者もいたはずだ。
だが、女たちはみな急いでいたことだけは確かなこと。

石段を踏みしめながらそんなことを考えていた。

頂上から見た近江の風景は霞んでいた。
水を飲み、煙草を喫って、風に身体を晒して、じっとした。
鳥の声と木々のざわめき、だけ。

帰路に遭遇する三重塔。
その横の台地からは西の湖が見渡せた。
きっとこのあたりで信長は鷹狩りなんぞをしていただろう。
共有する感覚など微塵もないこの猛禽類を、
信長はもっとも信頼していたのかもしれない。
かたわらの三重塔も眼下の仁王門も、
甲賀の里から強奪するように移築させたのは、
信仰心ではなく、彼なりのバランスであったのではないか。
「調和だ、調和。それ以外に何もありはせぬ」
正対ではなく、斜め目線で信長はいいそうだ。

歩いていると微細が見える。
それが見えると細かいことを考える力が立ち上がってくる。
そういう時間が自分には必要なのだと気づかされる”歩く時間”である。
by kazeyashiki | 2012-06-28 23:00 | 素描 | Comments(0)

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by 上野卓彦