2012年 07月 26日
縄文
これは5500年前の地図である。
上町台地の突端に大坂城がマーキングされているが、
もちろん縄文時代に城など存在しない。
宰相山とあるのは、現在の真田山公園のあたりだ。
上町台地の西海岸は松屋町筋あたりだといわれているが、
西成区にある岸里が古くからその名のとおり岸であったことから、
松屋町よりすこし西側が海岸線だったのではないかと想像する。
鬼虎川とあるのは、遺跡のある東大阪市の石切あたり。
そこまで河内湾が広がっていた。
北部には千里丘陵、富田台地がある。
高槻市の氷室というところに住んでいたことがあったが、
アパートの目の前に広がっていたのが今城塚古墳だ。
継体天皇陵といわれながらも、宮内庁が認めていなかった古墳。
休みのたびにこの今城塚古墳内を歩き回ったが、
やがて継体天皇のことを調べ始めて、この異端者に興味を持った。
千里丘陵の西端は、おそらく池田市の石橋あたりだと思うのだが、
高校時代、この石橋のあたりまでかつて海であった、と先生に教わった。
だが、「かつて海であった」だけではよく分からないよね。
年代を聞いた憶えがないのだが、この縄文地図を見て合点がいった。
伊丹が台地であることは薄々気づいていたが、正式な名称だったのか。
JR大阪駅がこの位置だとすれば、尼崎はまだ海の中ということになる。
時空移動が可能だったら、一度は旅してみたいなあ、縄文時代に。