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ペースメーカー

今日は仕事がいそいがしくて病院に行けなかった。
妹は毎日行ってくれている。
メールが来て、妹の義父母さんが見舞いに来てくれたという。
母は、誰であるか判断できたという。
その後はまた眠ってしまったらしい。

主治医から、
心臓のペースメーカーを付ける手術をすすめられている。
日に数回、脈が落ちることがあるらしい。
通常5〜60なのが、瞬間的に20くらいになるという。
これはよくない状況だ。

解決するためには手術しかない。

しかし本人に「手術」という文字を読ませると、
ただちに拒否することは目に見えている。
その言葉が判断できるかどうか、それ以前の問題もあるのだけれど。

手術にはトラウマ感がある。
父が食道がんになり、放射線治療を受けたことで、
目に見えて体力が落ちてしまい、結果亡くなってしまったからだ。

母は92歳である。
この年齢で手術を受けることはどういうことなのか。
ただでさえ体力がないのに、手術が可能か。

あれこれ考えてしまうのだった。

友だちに聞いてみる。
「回復して、また安楽な生活を望んでいるなら受けるべき」
「自分の母なら、高齢者に手術は受けさせない」
いろいろあるだろうけど、突き詰めればこのいずれかだろう。
それだけに揺れる。

作業療法士のAさんからメールをもらった。
「今後お母様に送っていただきたい
(そしてご本人が望んでいるであろう)生活像を思い描き、
それに少しでも近くなる選択をすることではないかと思います。」
とあった。この言葉から考えられることをあれこれ考える。
そして週明けまでにはおれたちで決めるという心積もりに、
揺れがすこし止まった気がした。

手術自体は30分程度、局部麻酔なので体力の消耗も少ないという。
主治医と話をする時間が迫ってきている。
慌てふためいているわけではない。
冷静かどうかは分からないけど、客体的な位置にいると思っている。
だけどどこかに静かな戦慄感があることも否めない。

たとえ手術することを「お願いします」と答えても、
「やはり手術はしないでください」と答えても、
そのあとに、きっと〈流れ〉が続いていくことだろう。

その〈流れ〉のことをおれはいま、考えている。
by kazeyashiki | 2012-10-11 17:45 | 暮らし | Comments(0)

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by 上野卓彦