京都にはかつて、ものを売り歩く女性達がいた。大原女や白川女という言葉をどこかで耳にしたことがおありだろう。
大原女は薪や柴を運ぶ。建礼門院に由来しているらしい。白川女は御所に花を献じたのがはじまり。このほかに、周山街道から、畑の姥という梯子や鞍掛を売る梅ヶ畑の女人たち、鮎を売り歩いた桂女、上賀茂から、すぐきを売る女性達がいた。
ほぼ共通する衣裳は、紺木綿の脚絆、手甲に三巾前掛姿だ。
いま、観光用の人々はおられるものの、絶えて久しいように思う。彼女達は古代末期から中世初めあたりに平安京が政治の都から、商いを営む町へと変貌した頃に登場したのではないかと林屋辰三郎氏が書いている。
なかでも白川女は毎月一日と十五日の紋日にはかならず朝の町にやって来たという。紋日とは辞書によれば、日常と違ったハレの日を意味し、年中行事や祝祭日や婚礼、葬式などの人生儀礼の行われる日のことて、紋付の晴れ着を着ることが多かったので、近世以来、紋日という言い方が流行したらしい。旗日と共通している。
一乗寺に住んでいた頃、1976〜7年頃に白川女を見た記憶がある。だがその時はなんの感慨もなかった。残念であります。