2018年 02月 18日
天晴れな人
あなたは私利私欲のない人でした。何かをしても、その何かはいつも「だれかのために」でした。旦那さんのため、子供のため、親戚のため、友達のため。常に何かをすることは自分以外に対してのもので、そこには何の思惑も、下心も、わだかまりもなく、あっけらかんとした明るさに満ち溢れていました。すてきな笑顔も。
欲を出すのはゴルフのスコアだけだったかもしれませんね。
私利私欲より人のため、だれかが喜ぶことができればそれが自分の幸せになる、嬉しいと思う、笑顔で、「そのほうがいいですやん」という人でした。
そんな人生を若い頃からずっと歩んできたから、人の悪口も、だれかが言うことに相槌を打つことはあっても、自分から言うことは決してありませんでした。
百合子という名前のとおり、花や木を愛でる気持ちがありました。季節の花を心待ちにし、けなげな姿の蝋梅や苔をいとおしみました。大きなものより、小さくて可憐なものに心を寄せていました。小さくてもしっかりと存在感を放つもの、だけど押しつけがましくなく、ひそやかな可憐さを持ったものたち。それは長野百合子さんそのものです。いつもにこやかで、花のような微笑みがありました。
愛する人を失った後、忍び寄る喪失感と虚脱感。だけどあなたは、「さびしいわ~」とは言わず、「みんなあの人はほんまにええ人やったと言いますねん」と、笑い話にしてしまいました。
ひとりの道を歩み始め、ときにひとり言をいい、ときに亡き人に呼びかけていましたね。これからもずっと続くと思っていたのに、まるでつむじ風に連れ去られるように、あなたは愛する人のもとへ飛んでいってしまった。残された私たちはたまらなく哀しいし、残念だし、本当にやるせないけど、すでに空の高みにいるあなたは、「次、どんなことをしらたあの人は喜ぶんやろ?」と思っているかもしれません。
女性だけど、実に天晴れな人生でした。あなたが行ってしまった翌朝の空は見事に晴れ渡り、澄み切っていました。あなたの空、天晴れな空でした。みんなの心の中には、それぞれの長野百合子がいます。そして、みんな感謝しています。
バレンタインのチョコレートを届けるために、武久さんのもとへ飛んで行った人よ、さようなら。ありがとうございました。
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2月12日の夜、おそらく午後8時30分から9時30分の間ころに急逝した義母。
その通夜と葬儀のときに読んだオマージュです。