ダム考   

ダムは自然破壊である、自然体系を変えてしまうと言われますが、治水利水や洪水防御、灌漑、発電などの役割があります。ダム数が多すぎるという意見もありそれは否めないとは思います。そこに利権が絡むといったこともあるでしょう。


しかし、ダムに足を運んでその造形を見ていると、こんな山間地によく造ったなと感じます。


神戸の布引五本松ダムは市民の水がめとして、宇治の天ヶ瀬ダムは瀬田川→宇治川→淀川が氾濫した昭和28年の台風13号の再発を防ぐ目的で建設されました。実際、それ以降洪水を防いだかどうか分かりやすい形で実証されたか、万人の納得するところかどうか分からないのですが、山の中に造られたその姿を目の前にすると、国土の70%が山岳地で海までの距離が短く、雨が多くて急流の川が何本も流れるこの国の大地にダムが造られた理由が分かるように思います。


【上2枚、布引五本松ダム(神戸市)下2枚、天ヶ瀬ダム(宇治市)】

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伐採してもまた樹木が成長するわが国の豊潤な森林形態の自然の中に、無骨なコンクリート製の防水壁は不似合いかもしれない。しかし、歩いてその近くまで行くと、自然という野生の無秩序ともいうべき強い繁殖力を、秩序という人工物でいくらか防ぐことで人間の営みを確保しているように思えます。


台風が来るたびに、ダムが暮らしを守るのか、悪の存在となるのか不安に駆られます。「こんなところにダムなんか造って」とかつて私も言ったことがありました。ダムの機能など知らずに。ダムを見に行き、水没した村落の歴史の物語を知り、歩き回り、誰とも話をせず、来た道を帰ることを幾度かくり返してみて、我がの無知を知ることになりました。無目的に建設されたものなどないという現実。損か得かではなく、役立つか不要かでダムを見なければいけない。場合によっては自然に戻すことも考える余地は作るべきでしょう。そこに人間の知恵と技術が使われる。



巨大なダムを見て美しいと感じるか無骨と感じるかは情緒であると自覚し、その上でダムの話をしたいというのが今の私です。


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by kazeyashiki | 2018-09-29 11:15 | 世界 | Comments(0)

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