カテゴリ:暮らし( 125 )   

手紙を書く   

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ほぼ毎日仕事でPCやスマホでメールを打つけど、

連絡先の方がメールを使えない場合があると郵送になる。

資料だけを封にして送るだけでは何か足りてない気がして、

いつも一筆箋にご一読くださいなどと書く。

ところが相手によっては短文だけで済まなくなる。

電話で話したり直接対面して話すのとは違う感覚があって、

一筆箋なのに何枚にもなってしまう。

思い直して普通の便箋に書き改めることもある。



書き終えて読み直して折りたたみ、封をして「〆」を書く。

それを町の郵便ポストに投げ入れる。

僕が使うのは駅前の赤いポストと青いポストが並んでいるもので、

これまで青の速達便に投函している人の姿を見たことがない。

だけど青ポストがなくならないのは利用する人がいるからだろう。


メールは便利だけど、資料を印刷し、

手書きで一文と宛先、自分の住所と名前を記して切手を貼り、

ポストまでのこの一連の流れが割と好きである。



仕事で用件を郵送するのは迷惑かもしれないなとも思う。


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by kazeyashiki | 2018-05-18 13:10 | 暮らし | Comments(0)

天晴れな人   

 あなたは私利私欲のない人でした。何かをしても、その何かはいつも「だれかのために」でした。旦那さんのため、子供のため、親戚のため、友達のため。常に何かをすることは自分以外に対してのもので、そこには何の思惑も、下心も、わだかまりもなく、あっけらかんとした明るさに満ち溢れていました。すてきな笑顔も。


 欲を出すのはゴルフのスコアだけだったかもしれませんね。


 私利私欲より人のため、だれかが喜ぶことができればそれが自分の幸せになる、嬉しいと思う、笑顔で、「そのほうがいいですやん」という人でした。


 そんな人生を若い頃からずっと歩んできたから、人の悪口も、だれかが言うことに相槌を打つことはあっても、自分から言うことは決してありませんでした。


 百合子という名前のとおり、花や木を愛でる気持ちがありました。季節の花を心待ちにし、けなげな姿の蝋梅や苔をいとおしみました。大きなものより、小さくて可憐なものに心を寄せていました。小さくてもしっかりと存在感を放つもの、だけど押しつけがましくなく、ひそやかな可憐さを持ったものたち。それは長野百合子さんそのものです。いつもにこやかで、花のような微笑みがありました。


 愛する人を失った後、忍び寄る喪失感と虚脱感。だけどあなたは、「さびしいわ~」とは言わず、「みんなあの人はほんまにええ人やったと言いますねん」と、笑い話にしてしまいました。


 ひとりの道を歩み始め、ときにひとり言をいい、ときに亡き人に呼びかけていましたね。これからもずっと続くと思っていたのに、まるでつむじ風に連れ去られるように、あなたは愛する人のもとへ飛んでいってしまった。残された私たちはたまらなく哀しいし、残念だし、本当にやるせないけど、すでに空の高みにいるあなたは、「次、どんなことをしらたあの人は喜ぶんやろ?」と思っているかもしれません。


 女性だけど、実に天晴れな人生でした。あなたが行ってしまった翌朝の空は見事に晴れ渡り、澄み切っていました。あなたの空、天晴れな空でした。みんなの心の中には、それぞれの長野百合子がいます。そして、みんな感謝しています。


 バレンタインのチョコレートを届けるために、武久さんのもとへ飛んで行った人よ、さようなら。ありがとうございました。




 2月12日の夜、おそらく午後8時30分から9時30分の間ころに急逝した義母。

その通夜と葬儀のときに読んだオマージュです。


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by kazeyashiki | 2018-02-18 13:40 | 暮らし | Comments(0)

ホスウ   

歩数計を持っていていつもジーンズの後ろポケットに入れている。
京都の通りを巡る仕事の際、下見で朝早くから日暮れまで町中を歩き回る。
だいたい25000歩程度が計量される。
私の歩幅は84㎝であるから約20キロ程度。
以前、一緒に歩いた人の歩数計は30000歩と計量された。
歩幅の違いだとその人は分析した。

軽作業の仕事ではやはり日に25000歩になる。
だけどコンクリートの倉庫内をこれだけの歩数を歩いたとしても、
健康的だとは言い難い。空気も良くない。
京都の通り歩きにしてもアスファルトの道である。
だが頭上には空が広がっていて風に吹かれる。
この環境が大事なのだ。電灯のぶら下がった倉庫ではいけない。

これまでに最高によく歩いたのは、
天満橋から淀川沿いを上流へ歩いて京都東寺までだ。
夏の朝5時に家を出て、到着したのは午後6時だった。
この時は歩数計を持っていなかったから何歩だったのか分からない。
しかし、疲れた。

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by kazeyashiki | 2017-12-16 00:03 | 暮らし | Comments(0)

無題   

 今日は先日取材したF農場の女性役員の録音聞き起こしをするはずが、細かい書き物がいくつかあって、途切れ途切れで中座。

 昼前から近くのエディオンに外付けハードディスクを見に行き、同じビルのジュンク堂に寄ると、佐藤雅彦さんの『新しい分かり方』が並んでいたので思わず図書券で購入。小泉文夫さんの『日本の音』文庫本が復刊されて平積みされていたのでこちらも購入。神戸の社長に贈呈する『神様と祭』というムック本も買う。

 神戸社長は最近、日本各地の祭りに興味津々なのだ。キャンピングカーを購入して各地に出掛ける計画があるらしい。日本には大小、実に多彩多様な祭りがある。「ケ」の続く日常を破るものとして「ハレ」の祭りが開かれる。五穀豊穣、豊作を願うものが多いが、日本三大祭りの祇園、天神、神田の祭りは農業とは関係のない、町っ子の祭りだ。疫病封じの鎮魂がその根っこにある。

 帰宅してPCに向かったものの電話やメールが次々ときて、聞き起こしができない。明日は勤労感謝の日だから今日中に連絡しておこうという魂胆なんだろうけど、おれには祝日は関係ない。晴れなら京都へ行く予定だ。五辻と姉小路を歩く。予報では昼まで京都は曇り空。写真をとってもあまり使えないだろうな。朝の時点で決定しよう。

 年末の進行なので〆切が早い。ゆっくりできるようになるのは12月20日頃か。読みたい本がたまっている。新井さんからもらった伊集院さんの『琥珀の夢』上巻残り少し。

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by kazeyashiki | 2017-11-22 23:18 | 暮らし | Comments(0)

疲れたときのバート・バカラック(笑)   

肉体を酷使した(といってもたかが知れているが)とき、
仕事が終わってひと息つくと
ビールがうまい
……のは、言うまでもない。
ナッツくらいあればいい。
テレビはかしましいだけだから点けず、
音楽。

そんなときにいいのがバート・バカラックだ。
古いものなら尚更いい。
湯舟につかりながら聴くのもいい。
今の音楽とはかなり違う、
ノスタルジックさがいい。

昔、
亡き友のクルマに乗せてもらった折、
カーステから流れて来た「遥かなる影」。
すこし音量をあげてもらったくらいにきれいだった。
カーペンターズの歌ごえ。
こんなイージーリスニングポップスなんか!
と思っていた年齢だったけど、
青いシビックのなかで流れて来たこの歌に、
音質に
ニュアンスに、
感動してしまった。

疲れたときに聴くバート・バカラック。
こんな感触になるとは思わなんだ(笑)
だが、心地よいのであるな。

「ウォーク・オン・バイ」
「小さな願い」
「サン・ホセへの道」
「エイプリルフール」
「プロミセス・プロミセス」
「雨にぬれても」
その他もろもろもろ……。

聴きながらビールを飲むのを至福と呼ぶ。

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by kazeyashiki | 2017-11-11 21:30 | 暮らし | Comments(0)

墓参   

母が亡くなってもう一年も経ってしまった。
早いものだなあ。

まだ納骨はすませてないが。

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by kazeyashiki | 2015-04-02 10:29 | 暮らし | Comments(0)

非制御状態   


忙しいのではない。時間はある。
ただ、制御できていないだけだ。
こんな時期もある。

不調和は不健康だ。
呼吸が浅くなる。
では、深呼吸をくりかえせ。

何かが欠けていることに気がついているのに、
気が付かないふりをしているのはお前の罪だ。
こういう時は、とにかく歩け。
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by kazeyashiki | 2015-02-09 15:04 | 暮らし | Comments(0)

手紙   

よく手紙を書く方だと思う。
便箋に万年筆で文字をしたためる。
いきなり書くこともあれば、下書きしてから書くこともある。

ごくたまに私信でありながらパソコンで打ったものを送ることもある。
なんだか邪道な気がして申し訳ない気持ちになる。
同時に、パソコンだと書きすぎて迷惑な文章・文体になると思う。
ブログの弊害である。
手書きだとあまり長々と書くことがぼくの場合、ない。
それだけに求められるものが高い、と解釈している。

手紙を出すと、返信が来る。それが嬉しい。
絵葉書を出すことも多い。
いつも切手を持ち歩いているから、出先の売店などで絵葉書を買い、
季節にあった風景や、相手が喜びそうな写真のものを出す。

手紙を出す相手は年配の方が多い。
メールなどされていない方々。
いまぼくは、5人の年配の方と”文通”している。

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by kazeyashiki | 2013-12-17 14:26 | 暮らし | Comments(0)

月末から師走へ   

 店を閉じてしまった散髪屋の話のつづきです。
髪を切ってくれていたスタッフから連絡があり、
次に働く店が決まったという。よかった。
彼は休みの日に高齢者のために出前の散髪屋をやっていて、
無料で知り合いの高齢者の髪を切り、
それが数珠繋がりで、いろいろ回っている人なのだ。
仕事は丁寧で早い。プロというのはこういうことなのだ。

 いずれにしても年内に一度、刈りに行こうと思う。



 久しぶりにライブステージに立った。
3年ぶりだろうか。
西天満一座という名称から、神山社中に変更し、
メンバーもサックスの金ちゃんが抜けて、
ボーカル+ベース+ギターの3人。
メロディ楽器がないのが心許ないが、
ハーモニカで何とか間に合わせた。

「愛のさざなみ」
「ラッキーオールドサン」
「街暮らし」
「西天満ホンキートンクブルース」

以上の4曲。
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一緒に出た他のバンドやシンガーが強力なので、
80人近くのお客さんに来て頂き、盛況だった。
・ベーシックなフォークバンドのAngie/fukui、
・2番手にうち、神山社中、
・憂歌団の木村さんの息子さんのtoshiaki kimura band、
・チラシに名前がない飛び入りの李知承(イーチスン)、
・エルキュール上野とアフターアワーズSHOW
(出演順)

みんな素晴らしいのである。
詳しくはまた後日書くが、
toshiaki kimuraさんは、憂歌団の…という言い方が憚れる、
パワフルで、ストレート、そしてどこかに青空が広がるロックバンド。
そして李知承。「哀号」という歌に心が打たれた。
歌は物語であり、それは人間の奥底から湧き出るものであり、
全身で歌う人の歌は、聴くこちらの奥底を震わせる。
エルキュールさんとこは、相変わらずの二の線。渋い。
この渋さが何か腹立ってくると、うちのfatfat氏と語り合った。
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友人も来てくれた。
とりわけちんどん通信社の林幸治郎さんと娘の風見花さん、
銀色昆虫館のマキが来てくれたので、たいそう緊張した。
だが、「始まってしまえばアッという間」という上野公資氏の言葉通り、
たちまちにしてステージは終わった。
その後は気持ちよく酔いました。

評判はそこそこ良かったんで安心した。
次にステージに立つ機会がもしあれば、ホンカー金岡を加えたい。



師走である。
何かといそがしい。
深酒、睡眠不足をコントロールしよう。



翌日の日曜日は久々の休日。
読書三昧で過ごす。
急に部屋のなかにゴムの焦げた匂いが漂ってくる。
何だろうと不審に思ってあちこち調べると、
屋外からの匂いだった。
近くの駐車場でクルマが炎上して、
その匂いが漂って来たのだった。
通りに煙が……。
なぜクルマが燃え上がったのかは不明。
滅多にそんなことはないはず。
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なぜか突然食べたくなる三色だんご。
おいしいね。
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by kazeyashiki | 2013-12-02 14:44 | 暮らし | Comments(1)

散髪屋    

いつも行く散髪屋、理容室が先月末で閉店してしまった。
大阪市内に引っ越してきたからずっとだったから、
十年以上、正確には11年もの間、髪を切ってくれた店だ。
店は大阪市内にあるチェーン店の名前を冠していたが、
聞けば、フランチャイズではなく独立した店舗だという。
店主はおれと同年配、
出身地が同じ大阪・箕面ということで、話が合った。

だがおれは決して上客ではない。
長いときでは2ヶ月、3ヶ月に一度に訪れる気まぐれ客だ。
一度、東京滞在が長いときに彼の地の理容室でカットしたことがあった。
初めての店だしこちらの説明下手もあって、
座り心地ならぬ頭髪心地がよくなかった気がする。
そして東京で散髪してから2ヶ月後に出かけたいつもの店、
座ってすぐに「この前はどこで散髪されたんですか?」と聞かれた。
見れば分かるようだ。髪が伸びたら同じようなもんだと思っていた。

この店の理髪料金は安くはない。美容室のように高くもないのだが、
昨今の手軽な街角理容室のように、
短時間で安く仕上げてくれるところに比べると、数倍の料金だ。
だが、腕がいい、とおれは思っている。
友人の中西氏によれば「後頭部が刈り上げすぎ」らしいが、
人間は自分の後頭部のことについては、
自分の内面と同じくらいに、知らないものだ。

昨日、店の前を通りすぎたら、内装業者がリフォームしていた。
閉店の原因は、「安くて早くて手軽な店」の浸透だというが、
常連客としては実に困ったことだ。
そういう店に行きたくないからこの店に来ていたのに。
スタッフは、同じ名前のチェーン店に行くことを進めてくれた。
だが、おれは果たして行くだろうか。

いずれにしても散髪をしなければ生きていけないわけではないが、
伸ばし放題でいるわけにもいかないから、行かなくてはいけない。
「何のために散髪をするのですか?」と尋ねられたら何と答えるだろう?
すっきりしたいから。身繕いをするのが社会人だから。
長髪だとシャンプーをたくさん使ってしまいもったいないから。
いろいろ考えてみるが、納得度の深い解答がないような気がする。

こんなことを書くと、
「髪の毛のことなんかで長々書くな」という声がしそうだ。
人にはさまざまな髪型があるし、生態的にその量も質も違う。
散髪屋を必要としない人もいるかもしれない。
あるいは自宅で家人にカットしてもらえるという恩恵人もいるだろう。
(当人はそれを恩恵だと感じてないケースが結構多い)

さてどうするか。おれは何も考えていない。
なぜなら、まだ髪が伸びていないからだ。
伸びてきて、あーだこーだと考えるのは、どういうときでも同じだ。


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by kazeyashiki | 2013-11-21 11:18 | 暮らし | Comments(0)